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| ナガサキ Nagasaki 1956年、リトグラフ、52x39.5cm、ed.150、#4 1956, lithograph, 52x39.5cm, ed.150 |
雪の中のけもの Beast in the Snow 1959年、リトグラフ、65x50cm、ed.100、#27 1959, lithograph, 65x50cm、ed.100 |
青空 Blue Sky 1963年、リトグラフ、58.2x45.5cm、ed.100、#91 1963, lithograph, 58.2x45.5cm、ed.100 |
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| 大男 Big Man 1961年、リトグラフ、90x63cm、ed.10、#57 1961, lithograph, 90x63cm、ed.10 |
赤 Red 1958年、リトグラフ、65x50cm、ed.150、#17 1958, lithograph, 65x50cm、ed.150 |
紫の風 Purple Wind 1962年、リトグラフ、76x56cm、ed.88、#78 1962, lithograph, 76x56cm、ed.88 |
| 1919年 | 神戸市東灘区御影町に生まれる |
| 1937年 | 阪急電鉄にて商業デザインの仕事につく |
| 1952年 | 渡仏。この間、イタリア人画家パオロ・バロールズらと知り合う |
| 1954年 | クラヴェン画廊と契約。詩人、ジャン=クラランス・ランベールらと親交 |
| 1955年 | ピッツバーグ・カーネギー・インスティテュート国際美術展出品(以後、58、61、67、70年に出品) |
| 1957年 | ニューヨークのクーツ画廊と契約。東京国際版画ビエンナーレ展第一回展出品 |
| 1958年 | ブリュッセル、万国博覧会フランス館における「20世紀美術」展出品 |
| 1959年 | カッセル、第2回ドクメンタ展出品。リュブリアナ国際版画展出品。(以後、61、63、65、69、70、73年に出品)サンパウロ・ビエンナーレ展出品 |
| 1960年 | ウイーン現代フランス絵画展出品。東京国際版画ビエンナーレ出品。ドイツ、レーベルベルクーゼン国立美術館にて回顧展 |
| 1961年 | エコール・ド・パリ展出品。毎日日本国際美術展出品 |
| 1962年 | この頃より主観性を廃し、対象物を記号化した明快でスピード感ある表現を展開。エコール・ド・パリ展出品。パリ、シュルアンデパンダン展出品 |
| 1963年 | ハノーバー、ケストナー協会にて回顧展 |
| 1964年 | ハンブルグ、「デイ・インゼル」にて回顧展 |
| 1965年 | プラハ、世界グラフィックの現代諸流派展出品。東京国際近代美術館、海外在住日本作家展出品。 |
| 1966年 | クラコウ国際版画展出品(以降、68、70、72、74年にも出品)東京国際版画ビエンナーレ展出品 |
| 1967年 | バカンスからの帰り、パリ郊外で交通事故を起こす。頸部骨折の重傷を負うが奇跡的に一命をとりとめる。カナダ、モントリオール万国博覧会フランス館に出品。パリコンパレゾン展出品。パリ、ガリエラ美術館における「ジャズの時代展」に出品 |
| 1968年 | 退院後、東京国立近代美術館の壁画制作に専念する。フランス絵画1900-1967展出品。(アメリカを巡回)ヴェニス・ビエンナーレ展出品。パリ、今日のヨーロッパ絵画展出品 |
| 1972年 | 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館「在外日本人作家展」出品 |
| 1976年 | 菅井汲全国展 |
| 1980年 | 菅井汲新作版画全国展(現代美術センター) |
| 1984年 | 巨大リト制作 |
| 1991-93年 | 東京、芦屋倉敷にて新作展巡回 |
| 1996年 | 5月14日、心不全により77歳で生涯を閉じる。 |
(参照:「SUGAI」美術出版社)
| 1.初期−神話とカリグラフィー(1952−62年) | |
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1952年に渡仏した菅井汲は、当初、クレーの影響を感じさせる繊細な風景画等を描いたが、やがて「鬼」や「けもの」といった日本古来の神話的イメージ、あるいは男女の性器を彷彿とさせる形態をシンボリックに扱った力動的なコンポジションが現われるようになる。また、1955年より制作されるようになったリトグラフでは、「書」を思わせるカリグラフィックな表現が追求された。
菅井の初期の版画作品は、リトグラフの技法によるものが中心となっている。1960年には自宅のアトリエに石版用のプレス機を据え付け、作品によっては、刷り師ではなく菅井自身が刷りの工程も行なった。菅井の版画作品は、同時期の油彩画と同じ主題を扱ったものが多いが、詩画集 「アレア(偶然)」のリトグラフ連作等、版画独自の特性を生かした実験色の濃い試みも見られる。
菅井は1954年にパリのクラヴェン画廊と契約を結び、同画廊で初の個展を開く。作家アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ、詩人ジャン=クラランス・ランベールらの良き理解者に恵まれた菅井は、戦後のエコール・ド・パリを代表する画家として50年代末頃より急速にインターナショナルな評価を獲得するようになった。
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![]() 「ナガサキ」 1956年、リトグラフ、52x39.5、ed150 |
| 2.「オート・ルート」の時代(1963−69年) | |
![]() 「黒のマッス」 1964年、リトグラフ、76x56cm、ed.200 |
1962年頃より菅井の作風は大きな転換期を迎える。ギターのボディーのシルエットにも似た「マッス(塊)」のフォルムが登場し、次いでこの形態をベースとして「オート・ルート(高速道路)」のシリーズが展開されることになる。この時期より、面あるいはフォルムを更に意識した構成が現われるようになり、以前の「書」的なフリーハンドの世界から、より整理された幾何学的な空間への移行が見られる。また、彩色においても、従来のマチエールに対する執拗なこだわりが薄れ、徐々に平塗りに近い均一な色面が採用されるようになった。
この変化は、菅井自身がある決意をもって意図的に行なったものであり、これには、1960年より愛用するようになったポルシェでの高速走行によって得られたヴィジョンとの関連性、あるいはドイツに立ち寄った際に触れた、この国の徹底した合理精神に対する共鳴が少なからぬ影響を及ぼしたものとされている。 1967年夏、ユーゴスラビアでヴァカンスを過ごした菅井は、パリに向かう帰途、高速道路上で大事故を起こし重傷を負う。奇跡的に一命を取り留め翌年には退院するが、後遺症のために助手を用いて制作を再開せねばならなかった。1969年には17年ぶりに日本に帰国し、東京国立近代美術館のロビーを飾る壁画「フェスティヴァル・ド・トウキョウ」の設置に立ち会った。 |
| 3.ハード・エッジの時代(1970−80年) | |
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1970年代に入ると、菅井の作品は更にラディカルな幾何学的構成を見せるようになる。「フェスティヴァル(祭)」のシリーズとして展開される作品群では、構図は、鋭いエッジ(稜線)を持つ円、正方形、三角形等の基本的なフォルムに還元され、また、彩色は赤と黒の二色を基調に、アクセントとして青や緑の原色が用いられる。全体として明朗な、交通標識にも似た機能的なイメージが得られている。 この時期の菅井は、交換可能なユニットの組み合わせから派生する、いわば「システム絵画」とでもいうべきものを志向しており、伝統的な絵画の一点主義の概念を覆す革新的な絵画のあり方を提示したものといえる。74年に発表された版画集「建築シリーズ」では、同一サイズの9種のイメージを、所有者が好みに応じて自由に組み合わせることが予期されており、上述の菅井の絵画観を示唆する一例として興味深い。 版画の分野においては、それまで中心であったリトグラフの技法に代わり、よりシャープな輪郭が得られるシルクスクリーンが多く用いられるようになる。1980年に出版された二つの版画集「ゲスト」と「グループ」(各シルクスクリーン5葉)は、ハード・エッジの時代の総括ともいえる緊張感に満ちた内容となっている。 |
![]() 「森」 1971年、リトグラフ、64x49cm、ed.100 |
| 4.Sのシリーズ(1981−96年) | |
![]() 「ヴァリエーション1」 1995年、リトグラフ、Ed.125、Hara 394 |
1980年を過ぎた頃より、菅井の作品には絵筆の跡を残した、いわば「曖昧な」領域が再び現われるようになる。これは、初期の抒情性をたたえた詩的な世界とその後に発展した幾何学的な明晰な世界との統合、言い換えるなら、情緒的なものと数式的なものとの包括の試みとも考えられる。 80年代後半からは、S字形のモチーフを主題とした様々なヴァリエーションが登場する。蛇行する曲線のイメージは、既に60年代の「オート・ルート」の連作中に見受けられるが、「Sのシリーズ」では、このモチーフに焦点を絞り、分割、変形、彩色のパターンといったあらゆる可能な組み合わせが、あたかもパズルを解くかのように飽くことなく追求されている。 |
およそ半世紀にわたる菅井の画業は、「Sのシリーズ」をもって終焉を迎えるが、SUGAIの ”S” であると同時に、ドライバーを待ち受けるスリルに満ちたカーブの連続を思わせる ”S” の連作は、 戦後の現代絵画のめまぐるしい変遷の中で、常に自分自身の道を颯爽と走り続けた画家にふさわしい最期の仕事となった。
| 1919 | Born in Kobe, Japan. |
| 1937 | Started working for the Hankyu Electric Railways, in the Advertising Department. |
| 1952 | Left for Paris. Became acquainted with an Italian artist, Paolo Vallorz. |
| 1954 | Made a contract with Craven Art Gallery. Made the acquaintance of Jean-Clarence Lambert, the poet. |
| 1955 | Pittsburgh International Exhibition, Carnegie Institutes. |
| 1957 | Made a contract with Kootz Art Gallery in Yew York. the First Tokyo International Biennale. |
| 1958 | Art du 20 Siecle a Charleroi, Pavillon Francais. Bruxelles. |
| 1959 | 2nd Documenta, Kassel. Exposition Internationale de Graure, Ljubliana. Biennale de Sao Paulo. |
| 1960 | Exposition "Peinture Francaise Contemporaine, Vienna. International Biennale Exhibition of Prints in Tokyo. Stadtished Museum Leverkusen, Germany. |
| 1961 | Exposition "Ecole de Paris", Galerie Charpentier. Exposition Tokyo Biennale. |
| 1962 | The change in the style of his work became prominent. Salon des Surrindepentants, Paris. Exposition "Ecole de Paris", London, Tate Gallery. |
| 1963 | Retrospective exhibition at Kestner-Geseleschaft, Hannover. |
| 1964 | Retrospective exhibition at Die Insel, Hambeurg. |
| 1965 | Exposition "Soucasne Proudy Svetove Grafiky", Prag. Exhibition "Japanese Artists Abroad Europe and America", National Museum of Modern Art Tokyo. |
| 1966 | Biennale Internationale de la Gravure, Krakow. International Biennale Exhibition of Prints in Tokyo. |
| 1967 | After having a vacation in Yugoslavia, while he was driving back to Paris, was involved in a serious accident. Very seriously hurt with a broken neck but his life was saved. Exposition Universelle de Montreal Pavillon Francaise. Salon de Comparaisons, Paris. Exposition "L'Age de Jazz", Musee Galliera. |
| 1968 | After leaving the hospital, worked on the mural in the lobby of the Tokyo National Museum of Art. Exposition "Painting in France 1900-1967" (National Gallery of Art, Washington, The Metropolitan Museum of Art, New York. etc....) Exposition "Peintures Eurpeens d'Aujourd'hui", Musee d'Art Decoratif, etc... |
| 1972 | Exposition Japanese artists in europe, National Museum of Modern Art Tokyo, Kyoto. |
| 1996 | Died on May 14th at the age of 77. |
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