第三十一回坂東吟行 第三十三番札所  補陀落山奈古寺

 

坂東札所三十三ケ寺は関八州(相模の鎌倉をはじめに武蔵、上野、下野、常陸、下総、上総、安房)にまたがり、その距離1560キロ、徒歩で巡拝して回ると30日から40日かかると言われています。奈古寺の寺歴は古く養老元年(717)に僧行基が、元正女帝勅命により建立されました。その後、源頼朝が七堂伽藍を建立し、里見氏が帰依し隆盛のうちに推移しました。元禄十六年(1703)の大地震で伽藍は壊れ、再建されて今日を迎えています。



◎開催日 平成二十年三月二日(日)
◎日 程
十時 
十三時
十六時
奈古観音集合
出句締切 三句出句 三句選
句会終了
◎句会場 たてやま夕日海岸ホテル

主宰ご出句
 

夕日看て朝日を拝み花を待つ

鳥雲に入る坂東の結願寺

百寿者の言霊は金揚雲雀 

 
 
 

秀句
 

舟を遣る音のもつとも春めける

春潮の真実青くたくましく

菜花また菜の花の道安房をゆく

菜の花に真向ひてくる波頭

蜂の巣のかかる岩屋に波の跡

船頭の阿形吽形浦の春

梅東風や仁右衛門島に句碑いくつ

春怒濤母を呼ぶこゑその中に

さへづりも寄す波音も鎮魂歌 

打ち上げし搗布の香り仁右衛門島

雛の軸掛け島主の奥座敷

春蚊ほど金銀茄子の刺の痛み

ひとめぐり仁右衛門島の日永かな

啓蟄や仁右衛門島へ引き返す

百千鳥槙の御坊に灯のともる

海光を来て昏き家桃の花

春夕日鏡ヶ浦に沈みけり 

春暁をことりことりと旅支度

もの言はぬ椿なりけり結願寺

山に咲き山に落ちたる椿かな

屋根替へて観音堂の力士像

ホルトノキタブノキ那古の山笑ふ

啓蟄や工事幕とる大伽藍

実を抱き春光はじく大蘇鉄

匿したる実をくれなゐに蘇鉄の実

菜の花や目覚めて安房の国に入る

三月や樹木のいのち木のいのち 

水仙と化し和泉式部の薫る山

観音のみ手羽のごと白椿

あたたかや海の近くの結願寺

春なれや撞鐘わたる海へ山へ

うららかやのつぺり一枚海と雲

じぶんからじぶん手離し風光る

浦々の雲の深さにさへづれる

貝殻のこぼせる春の愁とも

春潮や小石となりしガラス片

春の海とんびつかまるもののなし

うらうらと鏡ヶ浦に照らさるる

鳥帰る基地も港もただ日向

息深く吸へば波来る鳥雲に

母の貝娘の貝や春の海

雛飾る水平線の見える窓

荒東風や空肌色に安房海

春の海耳の形の貝拾ふ

海へ出て東国遍路句座の端

嘘のやうに凪ぎて今朝の浜は春

鳥帰る少女に赤いチェロケース

ふるさとと同じ潮の香雲雀東風

波音のどこに佇ちても春淋し

何もなかつたかのやうに春の海

潮の香濃くなり春の午後となり     

川ア 柊花

桑田津海坊

伊藤 初恵

武井 伸子

小池 啓子

依田 百合

浅井 敏子

鎌田 明子

浅見 宏子

奥澤 信子

大貫 瑞子

海野 山椿

加藤多美子

小久保 寛

菅沼喜久子

野木 藤子

村上 瑩子

植村やよひ

二宮 操一

藤田 惠理

岩井久美惠

寺澤 慶信

田中 修明

飯倉あづま

後藤 洋

鈴木 仁

今野志津子

佐藤 古城

古橋 淑子

軽部 梢

水野 浩子

剱持 育代

はたちよしこ

森田伊佐子

渋谷 澪

小松勢津子

田浦伊久子

深津 健司

水巻 令子

さとうかしこ

田中 啓介

鳥井 月清

岩崎 芳子

尾崎じゅん木

成岡ミツ子

三木 潤子

神保 洋子

深津 瑩子

門奈 明子

河村 晶子

盛田 道子






 
 

記録:後藤洋




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