第二十九回坂東吟行 第三十一番札所 大悲山笠森寺

 
天台宗、別格大本山笠森寺は笠森観音の名で親しまれ、延暦三年(784)伝教大師最澄上人が楠の霊木で十一面観世音菩薩を刻み、山上に安置、開基したと伝えられる。観音堂は長元元年(1028)後一条天皇の勅願により建立され、国指定重要文化財となっている。四方をさえぎるもののない空間に築かれている点で日本唯一の「四方懸造」といわれ、岩からお堂の床まで約16メートル、75段の階段を登り回廊に立つと、はるかに房総の山並や九十九里の海が一望できる。 周辺は「県立笠森鶴舞公園」に指定され、観音山は「国指定天然記念物笠森寺自然林」となっている。
  


◎開催日 平成十九年七月二十九日(日)
◎日 程
十時十五分 
十三時
十六時
笠森寺集合
出句締切 三句出句 三句選
句会終了
◎句会場 ユートピア笠森

主宰ご出句
 

早紅葉してにんげんをかなします

蓮の香のほのかに四方掛造

蓮の實のとぶころにまた来てみたし  

 
 
 

秀句
 

ひたすらに早稲垂るる道ひたすらに

夏うぐひす不在投票終へてきし

手をひろげ大役になふ案山子かな

梅雨明けのひかりの中のわが瞳

したたる山の翁の碑拝しけり

子授けの楠の大洞雨じめり

ひる暗き楠の双幹梅雨晴れ間 

涼しさのかの世へつづく切通し

黒揚羽行きつ戻りつ切り通し

老鶯ののびやか笠森自然林

切り通し涼しき風の曲りくる

風神雷神老鶯過りけり

長き梅雨越後絣を引き出して

房総に沖縄塚の涼しさよ

かなかなや過ぎにし刻のなかに啼き

笠森や梅雨も終りの鐘ついて

いつよりか飛ぶ夢を見ず青山河 

見晴して風は海より合歓の花 

山上の朝をまぎれず蓮一花

涼しさのくわんおんの風ねむの風 

みな生きてゐるなり額に玉の汗

今鳴くはこの空蝉の主ならむ

万緑の臍となりたり笠森寺

白蓮一つ開ける雲の上

射干やここにも風の通り道

遠嶺より素足に風のきたりけり

涼しさの往還として懸造り

笠森や四十七人その素足

くわんおんは高みにありてけふも夏

山百合やほんに住職やさしげな

藍衣涼しみ仏に坐し在せば

七月尽祈願の行き来風行き来

ハンカチを結びて母と子の願ひ

唖蝉とふしぎな山の観音と 

白南風や天地に水の匂ひ満ち

夏蝶や虚空笠森観音堂

笠森の四方涼しや観音堂

四方懸造蓮華廊とは涼し

風のぼり蝶のぼりゆく蓮華廊

観音にまみゆる素足ここちよし

見下して山百合見上げて山百合

鐘の音や蓮の模様の夏衣

回廊にやはらかき風蠅遊ぶ

老鶯や風は足元より起り

蝉時雨道のとほくに続きをり

連衆を集めてユートピア涼し 



深津 瑩子

成岡ミツ子

永井 道子

田中 修明

村上 瑩子

飯倉あづま

岩崎 芳子

軽部 梢

沖元 薫

田中 克子

水野 浩子

三木 潤子

岩井久美惠

植村やよひ

古橋 淑子

森田伊佐子

尾崎じゅん木

二宮 操一

後藤 洋

岩谷美津子

門奈 明子

さとうかしこ

加藤多美子

浅井 敏子

城下 洋二

小池 啓子

小松勢津子

深津 健司

徳島 妙子

神保 洋子

鎌田 明子

広川 一美

鳥井 月清

水巻 令子

入沢まき子

村松寿満子

藤本 一男

鈴木 仁

鎌田 ゑり

盛田 道子

寺澤 慶信

今野志津子

横井 定利

大貫 瑞子

桑田津海坊

佐藤 古城 







 
 

記録:後藤洋




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