第二十七回坂東吟行 第十一番札所 岩殿山安楽寺

 
  

岩殿山安楽寺は古くから吉見観音の名で親しまれてきた。本尊は聖観世音菩薩で、吉見観音縁起によると、今から約1200年前に行基菩薩がこの地に観世音菩薩の像を彫って岩窟に納めたことが始まりとしている。平安時代の末期には、源頼朝の弟範頼がその幼少期に身を隠していたと伝えられ、安楽寺の東約500bには「伝範頼館跡」と呼ばれる息障院がある。この息障院と安楽寺は、かっては一つの大寺院を形成していたことが知られている。天文6年(1537年)後北条氏が松山城を攻めた際に、その戦乱によって全ての伽藍を焼失し、江戸時代に本堂・三重塔・仁王門が現在の位置に再建されたと伝えられている。

◎開催日 平成十九年一月二十八日(日)
◎日 程
十時 
十三時三十分
十六時三十分
安楽寺集合
出句締切 三句出句 三句選
句会終了
◎句会場 フレサよしみ(吉見町町民会館)スカイホール

主宰ご出句
 

塗香して吉見観音初太鼓

心経一巻奉る寒日和

百穴を辿り巡りて花を待つ



 
 
 

秀句
 

山門に大注連縄を張る札所

九輪より冬青空へ目を瞠り

朱をとどめ春待つ塔の組木かな

冴え冴えと影深々と御前立

御僧の話愉快に春を待つ

比企連山ゆさぶる寒の大太鼓

心経と太鼓のひびき寒日和

寒晴に聴く法螺貝や安楽寺

寒晴や僧の太鼓に身内跳ね

息白く般若心経となへけり

大寒の天の岩戸の観世音

天の岩戸に福豆の一と袋

亡き人とともに祈りてあたたかし

観音へ近づく一段ごと温し

手袋を脱いで観音拝みけり

観音に赤き?涙寒椿

二つ三つ大悲にひらく紅椿

春きざす天の岩戸の閉ぢしまま

虎の匿はれ狸の追ひ出され

春近し野荒らしの虎耳を立て

塔しづか狸退治のそののちの

冬終る仁王の脚の筋深し

咲き初むる寒梅一分二分三分

春待つや塔ひと巡りふた巡り

いつかとはいまにちがいない冬の旅

墓穴のひとつ出られぬ春の夢

吾を嗤ふこゑ響きけり寒の穴

百穴に冬日満遍なく当たり

百穴は四角き穴よ春隣

寒林や吉見百穴てふ墓群

百穴をひとまづのぞく寒日和

吉見百穴のぞく皆地味なコート

百穴かはた百穴か寒晴るる

日脚伸ぶ百穴の闇ひかり蘚

死者祀る吉見百穴ひかり苔

百穴の軍需工場跡冴えぬ

百穴のいにしへ人に春ひざし

日脚伸ぶさへぎりて観るヒカリゴケ

百の穴百の心経梅の花

ひろひ読む茶店の句集春隣

団子屋のつづきの畑に野水仙

眠る山啓介さんの歩む音

ことごとく千両の実の喰はれけり

樟大樹槙大樹寒ゆるびけり

桜の芽谷の底より鶏のこゑ

百穴のひとつひとつに寒の闇

大冬田空中楼閣句座ひとつ

おだてられ関東平野春近し

寒晴や武州一望藍生句座

水煙のにじめる寒の雲流れ

水煙や冬青空のどこまでも

耕せば寒の鴉の五羽十羽

希ふこといつもかはらず下萌ゆる

手袋をはづして風のやはらかし

寒雲の絹糸舞ふごとながれけり  

 



井上 英

小松勢津子

中田千惠子

野木 藤子

森田伊佐子

植村やよひ

丹後喜美子

鎌田 明子

武井 伸子

桑田津海坊

岩井久美惠

大貫 瑞子

木村ますみ

佐藤 古城

岩崎 芳子

門奈 明子

福田 礼子

安居須美子

田中 啓介

石田 利夫

小池 啓子

池田 正恵

松本軍治郎

城田 明子

はたちよしこ

二宮 操一

水巻 令子

軽部 梢

さとうかしこ

今野志津子

高橋 由枝

盛田 道子

寺澤 慶信

深津 健司

城下 洋二

永井 道子

川池 一水

広川 一美

鈴木 仁

礒野トシ子

小野 伸子

田中 修明

三木 潤子

後藤 洋

岩谷美津子

加藤多美子

藤井 正幸

梅田 昌孝

柴山 正子

久保 京子

飯倉あづま

鈴木 信幸

深津 瑩子

入沢まき子

村松寿満子

 







 
 

記録:後藤洋




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