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第十七回 五月・山形の藍生だより

写真・ 文:原田 昇
Harada Noboru:1936年1月山形生まれ。俳句は、海外旅行先での感動を俳句の形を借りて記録したのがはじまりです。藍生には、投句10年になりました。写真は、退職後趣味で山形県内の美しい景色を発見したくて始めました。6年になります。どちらもマンネリです。現在は、早朝登山(高さ500mの山形市のシンボル千歳山)と親の介護です。

 松尾芭蕉の「奥の細道」は、あまりにも有名ですが、芭蕉は西行の東北への旅を偲んで、奥の細道へ旅立ったとも言われており、約700年前の西行の足跡は、伝説として山形県内にも語り継がれています。

 芭蕉が山形県を回ったのは初夏ですが、この度は芭蕉が見なかった山形の風景をお見せしましょう。

 知日家として有名であったライシャワー博士が駐日米国大使であった1965年ハル夫人同伴で山形県を訪れた時の印象を基にして、山形の未来のあり方を山形県民に示唆された感動的な文章の一部を紹介します。

山の向こうのもう一つの日本
 日本の本来の姿を思い出させる美しい所です。
それは、松尾芭蕉が300年前にかの有名な旅行で山形を訪れた時に目に映ったものであり、私自身が20年以上も前に山形に旅した時に感じたものです。
山形が過去の日本であるばかりでなく将来の日本であると共に発展の余地があり、しかもその発展には自然と人間の喜ばしい均衡を決して損なうことのないものであって欲しいと私は望んでいます。

エドウィン0.ライシャワー
ベルモンド、マサチューセッツにて
1988年3月1日


山形の人々は、桜の花を1年に3回楽しみます。     
正月に「啓翁桜」。
4月下旬に「染井吉野」。
5月初めに「大山桜」、西行が愛でた伝説から西行桜ともいいます。



淑気満つ啓翁桜枝若く   昇



宝珠山立石寺(通称:山寺)全景で真ん中上部に見えるのが五大堂
芭蕉の
閑さや岩にしみ入る蝉の声はここで読まれた。


最上川:山形県の母なる川と言われている。
スキーヤーで賑わう蔵王は、樹氷製造中である。


真白なる蔵王厳華を育てゆく  昇

山形県民歌

広き野をながれゆけども最上川 うみに入るまでにごらざりけり     昭和天皇
最上川逆白波のたつまでに ふぶくゆうべとなりにけるかも       斉藤茂吉

まんさくの花
山形の山野で一番早く花を見せるのがこの花です。


まんさくの花の雫の凛として    昇


羽黒山祓川のみそぎ
出羽三山神社神職養成所の卒業の神事で、毎年3月20日この行事があると春を感ずる季節になる。

平野部の桜(染井吉野)が、散って暫らくすると周りの山々の大山桜がピンク色の濃い花を見せてくれる。西行も眺めて旅の疲れを癒したと思いたくなります。
最近では、カメラマンが全国から来るようになりました。




そろそろ芭蕉さんが、山形にこられた時期に近ずきましたので

  行く末はたが肌触れん紅の花   芭蕉


*写真はクリックすると拡大表示されます。
写真・文:(c)原田 昇


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