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第十四回 二月・宮城の藍生だより

写真と文:矢持義峰
Yamochi Gihou:1935年8月生藍生入会平成2年
絵も好き、書も好き、写真も俳句も大好きな爺です。
よろしくたのみます。

仙台大崎八幡宮のどんと祭
仙台62万石の総鎮守として仙台城、瑞鳳殿と共に杜の都の印象度の高さを誇っている。仙台の歴史と共に鎮座以
来390余年の歳月を経ているこの行事は誠に見事であり厳粛さがある。
もちろん大崎八幡宮は国寶であり、安土桃山文化の遺風を今に伝える文化財とし尊厳されている。この八幡宮でお正月の飾りの大きな山に火入式典が宮司さん達のお手で火入れされる。杜の闇空を赫々と大火のごとしである。裸族が団体で午後9時頃まで参拝の列が続き、東北最大のどんと祭である。


どんと祭

 
どんど火や杜の都の闇焦がす       小久保 顕
どんど火へ錫杖の鐶近づきぬ  
どんど火へ裸参りの鈴の音
どんど火のうしろ甘酒売りのこゑ   

山形霞ヶ城主最上義光公
JR山形駅の北東に150mに位置する広大な城趾が県民の親しむ霞城公園である。冬の風物詩の一つ雪吊が円錐状に美を放つ。その中でひときわ目立つのが、最上義光公の像だが、長い独特の指揮棒を天帝へ指し突撃する雄姿に佇んでしまう。庄内勢力を築き山形57万石を領有した。その最寄りの公園椅子に集団猫が座を占めているのも面白い。
最上義光公像 お堀

雪蹴って野望を空へもののふよ    佐治 よし子
石垣に貼りつく雪や風の跡       
城跡の掘や水とも氷とも      
雪晴や公園の椅子猫のもの   

集団猫が座を占める

白石寒漉
 清少納言にも愛用された陸奥紙の良質をそのまま受継ぐ白石紙は純楮生漉和紙として、みちのくの風土も香をこめた逸品である。歴史につながる事が多いが白石城主の片倉小十郎領内の百姓の冬期間の内職として漉出された様である。300年前の俳聖芭蕉が奥の細道を辿った時も、旅荷の中に持参した紙子は、防寒衣料として使用された。これは、仙台紙子と称して白石で作られたものであった。
今日に至っては広範囲の製品が世に出ている。封筒から名刺、はがき、色紙、短冊に至るまで佳品で愛用されている。主宰の黒田杏子先生が白石和紙工房へ訪ねられたお話も遠藤まし子さんからおききした次才である。

白石寒漉 白石寒漉

楮蒸す湯気蔵王嶺に流れゆく      林 美佐子
みちのくの和紙みちのくの雪の色
白石の紙漉く女系家族かな
簀桁もつ素手に抄切れ欠片付す    矢持 義峰
漉槽の水のきらめき素手赤し


伝統こけし(弥治郎系)
 伝統こけしには幾多の系列がある。その中の白石の弥治郎こけしについて取材したので紹介する。内閣総理大臣賞を受賞は昭和53年福田赳夫首相からのもの。鎌田文市師匠に学び通年53年間のこけし作りの人生で、今も注文の殺到で追われていらっしゃる。どかっと大胆な滲ませる色彩の描写が力強い作にしている。こけしは、作者によく似て太めの眉を描き仕上げられる。作者の「気に入ったこけしが出来たときは、金銭云々にかかわらず売りたくない気持ちになってしまう」の談話もあった。しかし愛好者は秀作が欲しいものである。

伝統こけし(弥治郎系) 作業風景
 
工人 国分栄一氏

挽初や国分栄一眉太し           矢持 義峰
雪の音こけしに瞳入る工房かな
雪降るやこけしの絵付け無言なる


北上川の枯蘆刈
 北上川河口岸辺に生茂る蘆の刈り取りが今旺んである。12月から3月頃まで行われるが機械で刈取りがなされている。高さ3m位で直径30センチ位に結束される。蘆の長さによって下流の広場に束を集めて、屋根用、すだれ用などに分別される。1日2,000束位刈取られて、トラックで配送する。今年の刈り蘆は冷夏だった為出来が良質であると云ふ。風のない好天日に作業は全開する。

北上川の枯蘆刈

枯蘆の刈人遙かぬかるめり      矢持 義峰
満潮の水位濡らして枯蘆に
小舟径つくりし枯蘆原の中
錆びばしる枯蘆原へ揚げし舟



【宮城・山形の「游の会」について】
 「游の会」と称して宮城・山形の有志の集いで現代15名と参加者が、だんだん増えつつあり、旺盛である。東京の二宮操一氏に御選を頂き選評を仰いで邁進している。
紙上会報には、関東・東海地区からの入会あり総員21名の陣容である。年に2回は吟行句会を果たして来た。時には、岩手とも合流で大会をやる事があった。
これからも益々会員が膨らんで来るに違いない。

宮城・山形の「游の会」について


*「游の会」以外の写真はクリックすると拡大表示されます。
文中に撮影者名のない写真、文:(c)矢持 義峰


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