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第7回 七月・広島、瀬戸内の藍生だより

 
写真と文:青天子(せいてんし)さん
Seitenshi:瀬戸内海の島に暮らしている。育った家から海は見えなかった。通学の途中にも海はなかった。一時期を京都に過ごし、大人になってふたつの島を船で日々行き来する日常となってからも、わたしにことさら島人という意識はなかった。あるとき人が来て、おまえは島の人間であると耳元に吹き込んで去った。青い硝子玉のなかに嵌め込まれたような気がした。

島は360度、開かれている。
鳥になって空から見れば、すぐにわかる。


球体のどこが辺境青葉木菟  

恩恵もまずさも、あまりに日常的なるものに対しては、感覚が麻痺している。

みなあをきうすぎぬ被く春の島  

石仏 (登山道の随所に)
石仏 (登山道の随所に)
大三島と来島大橋 四国方面
大三島と来島大橋を望む、四国方面(大崎上島「神峰山」展望台より)

瀬戸の海は、春先から夏にかけて淡い青である。シフォンのヴェールをかけたようにやわらかくもどかしい。人への便りにはいつも、「いま、海は穏やか」と書いてしまい苦笑する。それほど変哲がない。もちろん、日も照れば雨も降る。時には波も立つ。刻々と色が違う、流れが違う、風が違う、匂いが違う。しかし、ことさら注意深くは見ない。せっかくの海を見ないのかと驚かれるが、通勤電車の車窓を流れる風景にいちいち心を留める人の少ないのと同じである。
見るべきものは、向こうから飛び込んで来る。その瞬間に鎧は解かれ瞳孔は全開する。来たものは瞳からまっすぐに入りたちまち心底にふれる。たとえ、それが傷つけるものであってももはや拒むことはできない。
大崎上島明石港
夕暮るる夏の港のあをきまま





灯台のある風景(大崎上島明石港)

灰色の海(長島) 誰もいない海岸。大きく潮が引いて長い藻のおびただしく露わとなった浜は磯の匂いに満ちている。裸足になる。午後の砂は温かい。曇った空から薄日が灰色の波間に絶え間なくこぼれ落ちる。水にふれてみる。
つ・め・た・い。眼を閉じる。誰もいない。静か。



波音の耳朶に止まざり五月闇


灰色の海(長島)

緑の海 緑の海というと、知らない人は信じない顔つきをする。が、見ればわかるとしか言いようがない。島と島とを結ぶ海上25mの橋の上。いつぞや誰かがここから飛び降りたそうな。きちんと靴を脱ぎ揃えて。飛ぶとき、その眼には何が見えたのだろう。また、何が見えなかったのだろう。
(写真ではわかりにくいが、目に入る海は深い緑色)



六月の長きかひなを垂れにけり

緑の海

夕日

夕焼けというだけで身の奥に痺れる感覚がある。季節を問わず場所を問わず、夕焼けはわたしのこころを掴んで放さない。


種子のままつひえしものも夕焼けて




夕日(撮影は峠哲夫氏)

蓮池

小さな蓮の池がある。十数年、毎日のようにそばを通っているのに気が付いたのはそれほど昔のことではない。そのくらい日常とは視野をせまく暗くする。まだ枯れ蓮の残骸がおびただしい池の表に、ある朝、ぽかりと小さな丸い葉を認めたと思うやいなやぐんぐんと成長する。この蓮池に会ってから、わたしは蓮を詠むようになった。俳句と出会わなければ、いまも気づいていないだろうか。蓮にもそのこころにも。

  人間の生ひ立ちとろし蓮の花  




蓮池


大崎下島御手洗
石垣に手を触れてみる。歳月を経てなお硬くしっとりしている。あまた畳まれた沈黙のどれひとつとして解き明かすことは叶わない。あらゆる思い込みは流れ去るままに。城郭のような石垣の上に建っているのは無人の寺、満舟寺。春は桜、松山の俳人栗田樗堂の墓がある。狭い路地伝いにゆけば江戸時代の町並みに続く。この時間は観光客の賑わいもなくてひっそりしている。潮待ち港、御手洗。長濱要悟はここの生え抜き。





いくたびもめぐる夏野のさびしさに

 

 

石垣(大崎下島御手洗 撮影は関藤一暁氏)


家を出て小道のすぐその先に堀が見える。停泊している船は漁船ではなく農船である。近隣の島々へ自家用船で渡ってみかんの栽培をする。過去にはここにぎっしりと繋がれていたという。黄金の島と呼ばれ、みかん景気に沸いていたころには…。
夜。堀端は波音だけになる。薄い霧に包まれてむせ返るような潮の匂い。路地に入れば民家がひしめいているのに午後8時にはもう静か。今宵も蝉が闇に染み入るほど鳴いている。

見ゆるものみな夏の夜の銀幕や

農船(大崎下島大長)
農船(大崎下島大長)


*写真はクリックすると拡大表示されます。

俳句、文中に撮影者名のない写真、文:(c)青天子


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