「60年代通信」 大型特別企画〜短期集中連載


第4回 基調な写真発見!その(2)

第1回〜プロローグ
第2回〜写真物語のモデルに
第3回〜貴重な写真発見!その(1)
第4回〜基調な写真発見!その(2)

第5回 スピンオフ〜「きみも大空を さんぽ できる」月刊「ぼくら」1964年3月号 より
by H.Makino

 
 “『ぼくら』村の少年”も、早いもので、第4回となりました。
 今回は、前回に続きまして、牧野さんがモデルとして登場されている『ぼくら』の1964(昭和39)年1月号から4月号までの4号分の表紙を中心にお話を進めさせていただきます。

第4回〜基調な写真発見!その(2)

 

 また、昭和39年3月号の「セスナ飛行機」での撮影は、実際に操縦席に座らせてもらい、操縦桿を握って、機長さんに操縦方法を教わったのだと思います。(教わっている写真がありました!)

[主宰者から]
 セスナのプロペラにまたがって写真を撮ってもらうなどということは、こういう表紙撮影とかでなければ考えられないことでありまして、この辺りは、役得といったところでありましょうか。
 早速、この『ぼくら』1964(昭和39)年3月号の表紙に印刷されている文字情報にも注目してみたいと思います。
 『ぼくら』では、この年の1月号から、「創刊10周年無料大サービス」として、「特製望遠鏡」のプレゼント企画が始まっておりまして、この3月号でも、表紙の右上、ちょうど牧野さんの左肘の辺りに、その望遠鏡が写真入りで紹介されています。
 たしかに、当時、望遠鏡というのは、少年たちの憧れのアイテムの一つでありまして、お祭りの夜店なんかで売っていた、筒がプラスチックか、場合によっては、厚紙を丈夫に加工したようなもので出来ている望遠鏡の1本くらいは、大抵の男の子は持っていたものでありました。これを使って、海賊船の船長のような気分で、遠くを見たりしたものであります。
 写真で見ますと、この『ぼくら』の「創刊10周年無料サービス」の「特製望遠鏡」は、筒が金属で出来ていうようで、お祭りの夜店で売っていたような安物に比べると、ちょっと高級感が漂っております。
 この3月号の望遠鏡の写真には、「三か月つづき」「いよいよ、この望遠鏡がきみのものになる!」とビックリマーク付きのキャプションまで添えられておりますので、1月号から3月号まで続けて買うと、この「特製望遠鏡」がもれなく貰えるという仕掛けなっていたようです。
 さて、恒例の付録の紹介もさせていただきますと、この号では、付録が7つありまして、まず、最初の4つは「宇宙パイロットセット」ということで、(1)きみの運動神経テスト/ロケット=キャッチゲーム、(2)きみの注意力テスト/宇宙旅行ゲーム、(3)きみのおちつきテスト/玉のせゲーム、(4)宇宙のことならよくわける/宇宙パイロット学校、の4点がセッとなり、別冊マンガとして、(5)大空三四郎、(6)山の子一平、(7)アトミック・ゴロー、と続いています。
 さらに、この号では「5大特集」として、(1)これが風魔流忍法だ、(2)海底にしずんだ大陸、(3)新しい科学そうさ、(4)最新型軽飛行機のすべて、(5)芳の里アメリカみやげ話・きずだらけの武者修業、がラインナップされており、あの頃の定番メニューであった「忍者」「ムー」「プロレス」といった辺りが、きっちりとカバーされているわけです。
 この号の表紙では、本誌に掲載されているマンガの紹介もあり、「新連載まんが・忍びのヒデト」と「読みきり長編まんが・なみだのチャンピオン」の2本が出ています。
 

 当時は、あまり気にしておらず近年までこれらを見ることがなかった為、10年ほど前に偶然見なおした時、とても大きな驚きを感じた“2枚の表紙”がありました。
 それは、昭和39年2月号の「長島茂雄」との2ショットでした。
 “合成”とは言いながらもなかなか出来ないショットです!!

[主宰者から]
 この号も、私の物差しとしては、表紙モデルとしての最高の役得に位置づけられるような貴重な写真であります。
 長嶋茂雄という人は、私にとっては、永遠の憧れであります。
 この「60年代通信」でも、今年(1998年)の2月に、「60年代のイベント」というコーナーで長嶋を取り上げさせていただき、こちらも、それっきり、新規のデータを追加しておりませんで、申し訳なく思っておりますが、何れにしても、長嶋は、私たちの世代にとっては、その存在そのものがイベントのような人でありました。
 その長嶋と、例え、合成写真とはいえ、『ぼくら』などというメジャーな雑誌の表紙をツーショットで飾るなどということは、もう、それこそ、これは、「いわゆる一つの国民的行事」といってもいいのではないでしょうか。
 その「60年代のイベント」のページでも書かせていただきましたが、この表紙から約1年後の1965(昭和40)年3月に、オープン戦ではありましたけれども、長岡市営悠久山球場でジャイアンツの試合があり、平日だったため、試合開始に間に合うよう、いつもは、ふざけたり遊んだりしながらタラタラやっていた放課後の掃除を、真剣に大急ぎで終らせ、球場へ駆けつけたものでした。
 その試合で、長嶋は、1回の表に、いきなり三塁線の鋭いライナーをダイビングキャッチするという超ファインプレーを見せた直後、1回の裏には、レフトスタンドへライナーのホームランを叩き込み、その鮮烈な守備とバッティングは、野球少年だった私の瞼にしっかりと焼き付けられたのでありました。
 以後、予備校の日本史の試験を放棄して、引退試合となった中日とのダブルヘッダーでのプレーを、後楽園のスタンドで涙を流しながら見つめた1974(昭和49)年10月14日に至るまで、現役時代の長嶋は、私にとって、神様のような存在でありました。
 その長嶋と、例え、合成写真とはいえ、ツーショットで表紙を飾るなんて…、というフレーズはもう書いてしまっているわけですが、何度でも、そう書いてしまいたいほど、この写真は、凄いことだと思いますが、その辺の凄さというのは、やはり、現在、40代以上のオジさん達じゃないと、きっと分かってもらえないだろうと思うわけであります。
 さて、また、話が横道にそれまくっておりますが、この2月号の表紙に話を戻しましょう。
 この表紙では、3月号と同様に「特製望遠鏡」の写真が牧野さんの頭の上にありまして、なぜか、その下には、赤鬼の絵が描かれ「二月四日は節分です」と印刷されています。
 この号は“5大付録”のうち、4冊までが別冊付録で、いわゆる付録は一つしかありませんが、なんと「電子うらない機」というものでありまして、まだ、コンピューターなどという言葉が世の中になかった当時、コンピューターは「電子計算機」と呼ばれていたわけですが、その「電子計算機」の「うらない」特化版のようなものが付録だったのだろうかと、現在、パソコンおじさんになってしまった私は、とっても気になってしまうわけであります。ちなみに、ウチの会社の年配の人の中には、いまだに、コンピューターという言葉を語彙に加えることをせず、すでに、社会一般的には死語となってしまった「電算機」なる言葉を、会議なんかでも平気で連発する頑固なオジさんもいます。
 その「電子うらない機」に続く、4冊の別冊付録は、「大空三四郎」「山の子一平」「アトミック・ゴロー」「ゆかいなき術ブック」というラインナップであります。
 さらに、この号の5大特集として、(1)これが合気道のごくいだ、(2)ソ連かアメリカか・月世界一ばんのりきょうそう、(3)二十世紀の怪事件、(4)死と戦った人たち、(5)空手にかけたちかい、が紹介されています。
 

 もう1つは、昭和39年4月号の「ホンダS500」に乗っているこのカット!
 それも「S800」ではなく、わずかしか生産されなかった「S500」に乗っていたのですから、とても貴重な写真を撮ってもらったと思っています。

[主宰者から]
 毎度、書かせていただいている通り、40歳をすぎて車の免許も持っていない私は、車のことは、まったく分かりません。
 ホンダのS800とかS500とか言われても、何がどう凄いのか全然分からない悲しいオヤジですので、どなたが、S800なりS500なりに詳しい方がいらっしゃいましたら、是非、ご教示いただきたいと思います。
 さて、4月号の表紙でありますが、3月号で終った「特製望遠鏡」に代わりまして、「無線で走る大型戦車があたる・進級お祝い大懸賞」という企画が、題字の左脇に登場してきています。
 あの頃、ラジコン・カーとか、ラジコン飛行機とか、ラジコン戦車などというものも、少年達の憧れの的でありまして、その延長線上にあったのが、「おしゃべり九官鳥」や「せっかち君・おとぼけ君」などで知られるグリコのプレゼント・キャンペーンの一つだった「お使いブル公」などというものだったと記憶しています。
 付録は、(1)チャリンといれればスポンととびだす・自動販売機、というのが、前号の「電子うらない機」に続くシリーズものといったような感じもするわけですが、とにかく、別冊付録以外はこれだけで、付録の一点豪華主義というような経口が出てきていたのかもしれません。何れにしても、自動販売機というようなものが少年マンガ雑誌の付録になるということは、この頃が、いわゆる自動販売機が日本で一般化し始めた時期だったということなのでしょうか。
 別冊付録は、(2)なげろ健一、(3)アトミック・ゴロー、(4)山の子一平、(5)大空三四郎、というラインナップです。「なげろ健一」は、以前、「60年代のテレビ」のコーナーで紹介した「0戦はやと」と同じ、辻なおきという漫画家の作品で、私の好きな野球マンガの一つでした。
 5大特集は、(1)世界にひとりしかいない・ゴリラおじさん、(2)生きている忍者先生、(3)ディズニー映画・ビーバーの谷、(4)64年型・世界の名レーサー、(5)百年まえに死んだ人の声・生きかえった魂、ということになっています。
 特集の2番目の「生きている忍者先生」というのは、テレビの「風のフジ丸」の「忍術千一夜」で登場された初見良昭氏が登場されているのでしょうか。
 ということで、本来であれば、メインのテーマとなるべき車のことに全く触れられずに終りましたので、その代わりといってはなんですが、車の写真だけアップにした画像も入れ込んでおきますので、どなたか車に詳しい方、S800なりS500なりについてご教示くださるなど、フォローアップをよろしくお願いします。
 

 牧野さんのオリジナル原稿の順番に表紙を紹介させてきていただきましたので、順序が前後してしまいましたが、左の画像は、1964(昭和39)年1月号の表紙です。
 この表紙には、表紙写真のキャプションが添えられ、「手にもっている模型は、日本に1台しかない、T38ジェット練習機です」と書かれています。
 さすがに、新年特大号ということで、題字の地は金色になっており、付録も、なんと「10大ふろく」であります。
 付録の中身を列挙してみますと、まず、(1)連発クレー射撃ゲームがあり、別冊付録として、(2)大空三四郎、(3)ゼロ戦特攻隊、(4)アトミック・ゴロー、(5)オーケー学校、(6)ゆかいな・とんちブック、さらに、“お年玉セット”して、(7)ぱくぱく人形・みみずく小次郎、(8)ゼロ戦・大和シール、(9)ジェットごま、(10)パリンコゲーム盤、というようなことになっております。
 さらに、五大特集としては、(1)これが世界の新鋭機だ、(2)心霊術のひみつ、(3)びっくり怪物園、(4)発明発見名場面集、(5)ディズニー自然科学シリーズ・百獣の王ライオン、がラインナップされています。
 また、すでに、3月号のところでも書かせていただいた通り、この号から、“創刊十周年無料大サービス”ということで、(1)特製望遠鏡、(2)切手スピードプレゼント、の2つが、題字下に写真入りで紹介されています。

 ということで、今回は、牧野さんが表紙モデルとして登場された1964(昭和39)年1月号から4月号までをご覧いただいたわけですが、牧野さんからお預かりしている表紙の残り3枚を掲載させていただく次回は、取り敢えず、この“『ぼくら』村の少年”の最終回となります。
 牧野さんがお持ちになっていらっしゃるお宝は、今回、ご紹介させていただいたご自身が登場されている『ぼくら』の表紙にとどまらず、お菓子のオマケだったシールやバッジ、雑誌の付録のシールやソノシートなど、実に、多彩なものがありまして、今後、順次、牧野さんのご協力をいただきながら、1960年代を飾った懐かしの品々を通じ、さらに、時代の神髄に迫ってみたいと思っています。

※このホームページで使用している画像などの著作権は、すべて、それぞれの原著作権者に帰属し、商用目的などでの二次利用は制限されます。また、画像データの転用はご遠慮ください。

 原著作権者の皆様へ:このホームページでの画像などの使用につきましては、著作権法第32条に基づく「引用」に該当するものと解釈させていただいております。従いまして、個別にご了承をいただく手続きは踏ませていただいておりませんので、不都合がおありになる場合には、お手数をおかけして誠に恐縮ですが、下記メールアドレスまで、ご連絡くださいますようお願い申し上げます。


(C)1998 Hirofumi Makino
(C)1998 60年代通信