皆さんからのメールを紹介
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 皆さんにとっての鮒子田 寛についての思い出やエピソードなど、なんでもかまいませんのでお便り頂ければ幸いです。お待ちしております。
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TOP : Hiroshi Fushida and his AVS Shadow in 1970.
過去の皆さんからのメール 
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04/JULY/2006   茨城県にお住まいのSさんから頂いたメール紹介 「三村健二さんのマナ09」 

 こんにちは「くるま村の少年たち」を楽しく当時を思い出しながら拝見させていただきました。当時は本物のレースは出来ませんでしたが、12分の1のラジコンカーを楽しんでおりました。結局それに飽き足らず、42才の時に国家公務員を退職して、クラシックカーのお店を開いてしまいました。そして、今、税理士業務の合い間にクラシックレーシングカーのレストアをいたしております。
 其の内の1台がMANA09です、今年の11月のネコには走れそうです。
それから当時のGCマシンでシェブロンやローラとありましたがもう一つ嬉しいことを教えます、鮒子田様が乗っていたオンワードCHEVRON B21Pもレストアしております。
これからも楽しみにしております。
 

WEB MASTER : 

 S様、このたびはまだまだ未熟な私のHPに立ち寄っていただいただけでなく、メールまで頂きありがとうございました。そして、なんとも羨ましい!素晴らしい情報を頂きまして感激です!
マナ09、および鮒子田さんのオンワードスペシャルが現存しているとは本当に素晴らしい事です。
外国と違い、日本ではメーカーは別として当時活躍したマシンをレストアして再び走らすという事があまり無いように感じていましたから鈴木さんのレストアは本当に素晴らしい事だと思っています。
そして、ぜひ完成させて当時のドライバー(鮒子田選手や従野選手!?漢字まちがっているかなぁ?!)に乗って走らせて下さい。
当時のGCのマシンも各地にまだあるみたいなので、是非シェブロンやローラなども当時のカラーリング、そしてオリジナルなドライバーによるヒストリックイベントが出来たらと思っています。
 

 06/JUL/2004   Kさんから頂いたメール紹介「鮒子田選手の思い出ベスト3」

   毎度、お世話になります。
 69年日本GPの映像が残されているらしい、とか!もう、こうなるとカラーだろうとモノクロだろうと、見たい!全部見せてくれ!
桂小金治アフタヌーンショーの間に、何が起きたのかも明らかにしてくれ!!!! ・・・って、気分ですね。
 当時のビデオテープは、大変に高価で、NHKですら、潰して使いまわしていたのに、何故残っていたのか? 奇蹟としか思えません。世の中には、信じられないことがあるもんですね! 

鮒子田選手の思い出、私的ベスト3!
<第3位>
 1971年モナコグランプリを解説!これは、いささか曖昧な記憶になるのですが、NETで放送したモナコGPの解説をされていたように思います。このとき、J・スチュワート選手が、シケインで周回遅れを抜くときに、フロントタイヤをフェンスぎりぎり、ちょっと当たったくらいに思えるパッシングを見せました。
鮒子田さんは、これを見て「目がいいんですね」と、述べられていたように思います。「なるほど、上手ってことの要素には、そういうこともあるのか」と納得しました。
間違っていたら、本当にごめんなさい!(この年のモナコは、当時の人気番組「ザ・ガードマン」でも見ることが出来ましたね)
<第2位>
 1972年富士グラチャンに輝く!優勝インタビューで、はっきりスポンサー名を口にして謝辞を述べた姿には、感動しました。
後日、雑誌のインタビューで、「プロなんだから、当たり前」と語っていたのを読み、野球の選手で、こんなこと言う人はいないと、変な感心をしました。
いまだに、いないと思いますが、この感覚が、球界再編成とか云うことにも繋がっているような気がします。ファンに対して、「見にきてくれてありがとう」どまりじゃないですか。どうして自分が野球をやっていられるのか? どれだけの選手が考えているのか、私は疑問です。ビジネスとして「プロ感覚に欠ける、代表的プロスポーツ」と云う気がします。そして、あの時の副賞「セリカ1600GTV」は、その後どうなったかのも気になっています。
<第1位>
ラジオ関東の「ザ・モーターウイークリー」に出演!このとき、ヤマハのモトバイクに乗っていると聞き、私もカタログを取り寄せました。・・・けっきょく買えませんでしたが。また、なぜかJ・スチュワート選手の話題になったとき、こんなことをおっしゃいました。「彼は、持ち上げられるのに弱いんですよ」褒められて、悪い気はしないんだろうと、誰もが思った次の瞬間、「ジャッキだけに・・・」などと、全聴取者を凍りつかせる落ちを披露されました。これが私の、ダントツのナンバーワンです。
 実は、J・スチュワート選手は、私のアイドルでした。牧野様が、池袋のデパートに、彼を見に行ったとき、同じ会場には、私のクラスメート、S君がいました。彼は、授業をフケッて駆けつけたのです。私は、このとき行かなかったことを今でも悔やんでいます。S君からは、安っぽいポスターのお土産をもらいましたが、ああ、悔しい。
 来月1日に、私のHPが更新されます。そこで書いたのですが、映画「栄光への5000キロ」が、急に見たい気分になっています。
だらだらと長文失礼しました!
ではまた!!

 WEB MASTER : 

 K様、大変興味ある内容のメールを頂きありがとうございました。そして、貴殿のHPも楽しく読ませていただいております。特にレースのところは本当に正確で勉強になります。
鮒子田選手の思い出ベスト3はのちほど鮒子田さんご本人に問い合わせてしてみますね!
 ところで69年日本グランプリの映像ですが、当時の放送映像はさすがに知りませんが、89年にカーグラTVで放送されました「日本グランプリ」特集のスペシャル番組は貴重なものだと思います。これはカラー映像ですが、メーカーと新聞社関係の映像を使用して構成しているようです。第1回から69年までの日本グランプリの映像(ただし、この番組では第2回と3回が写真だけでの説明となっています)が見れます。また、先日の富士スピードウェイフィナーレ時に第3回の映像がニッサンブースで放送されていたのをビデオで撮りましたものもあります。
 それにしてもジャッキースチュワートの池袋のデパートでの会にいらっしゃった方が身近にいるとは・・・驚きです!あのもらったTシャツが今でもあればなぁ〜(笑)。タイレル(当時はタイレルでした!)のイラストが入ったTシャツでした。
 裕次郎の「栄光への5000キロ」ですが、裕次郎館でもないそうです。
68年日本グランプリのR381のシーンを使ってのインチキシーン(!?)を今でも見てみたい!!
タキレーシングとの共同で行った富士でのレースにはハイウイング仕様のR381が出ていました。本来は日本グランプリ決勝の前に撮影を申し込んだそうですがダメだったため後日撮影になったとか・・・。
 そう言えば、九重佑三子(だったか!?)の主演した初代「コメットさん」に67年の「富士1000Km」のシーンを使ってコメットさんの家のお父さんがトヨタ2000GTでレースに出るシーンがありました。結構面白かったです。あと、見崎清志氏の「ヘアピン・サーカス」も江夏夕子の演技が面白い!
ということで鮒子田さんからのメール来ましたら連絡します。
                         ありがとうございました。



<鮒子田さんからのメール紹介>

 Kさんという方より メール頂きましたので紹介いたします。
<<色々と細かく書いていますが、モナコの件は記憶にありません。忘れているのかも??
<<スポンサーの名前は常に言うように心がけていましたので。
> >
> >
そして、あの時の副賞「セリカ1600GTV」は、その後どうなったかのも気になっています。
<<しばらく(2-3年)自分で乗っていましたが、誰かに売りました。

以上、よろしくお願いします。 鮒子田 寛
 

19/JUN/2004  富士市にお住まいの大田さんから頂いたメール紹介「リンク依頼」 

 牧野様。
 いつも楽しく拝見しております。
 富士市でBANDINI MODELS というミニカー・スロットカー屋やっております、太田マサト と申します。
1958年生まれ、小学1年生の時にFISCOがオープンして以来、少年期、青年期をFISCOで過ごし、ついには中年期にはスタンド裏ブースでミニカーを売る人生を送っております。
 富士市で店を構えて8年になりますが、この度WEBサイトを立ちあげましたので、ご案内申し上げます。
http://www.bandini.jp/
 つきましてLINKさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?宜しくお願いいたします。
                                             BANDINI MODELS 太田マサト
PS.
・30年以上前の自分の記憶と、牧野様がUPしてくださる情報とが、ピシリ一致したときはちょっとした興奮状態におちいります。
・鮒子田さん、ガンバッテますね!(中学生の時、シェブロンB21P:鮒子田寛さんのファンクラブに入っておりました。)
 レース終了後(だったと思いますが)ちょっとしたファンクラブの集いのあとパドック内の使用済みタイヤ置き場のような所へ鮒子田さんが案内してくれました。そこでいただいたDUNLOP極太スリックタイヤは今でも部屋の中に鎮座しております。
 深谷シャパラルは行ってみたい所です。32スロットコースも常設してるらしいですね。
 こちらでも 8/1(日)11:00ー19:00
恒例となりましたスポーツプロト8時間耐久レース 強行いたします。
FLY社の 512S vs 917K でのこのレース、今回は有力ゲストチーム さかつうさんチーム、ガレージクゲヌマさんチーム、神戸チームCROUTO、参戦で レース前の今から異常な盛り上がりを見せております。こちらも是非機会がありましたら遊びに来てください。
詳細はおなじみ・・http://www2.wbs.ne.jp/~mockun32/
それでは、また寄らせて頂きます。
 

WEB MASTER : 

 大田様、お返事が遅れましてすみませんでした。そして、まだまだ未熟な私のHPへ立ち寄って頂いただけでなく、メールまで頂き本当にありがとうございました。
BANDINI MODELS名前は以前から存じておりました。ロレンツォ・バンディーニのBANDINIですよね!?
67年のル・マンに出ていれば必ずや優勝争いに加わっていただろうと今でも思っております。お店はミニカーだけでなくスロットカーもお扱いなんですね!先日さかつうの特注1/32日本グランプリ出場ポルシェ917(ジョー・シファート)を手に入れました。走らすと言うよりはディスプレイ用ですが・・・。1/24でもいつか作ってみたいアイテムです。さて、リンクの件こちらこそよろしくお願いします。こちらも近日中にリンクさせていただきます。ところで、鮒子田さんのファンクラブにお入りだったそうですね!
鮒子田さんに話したらきっと喜ぶと思いますよ!そう言えばその時「フシダ・レーサーズ」のマークあったと思いますが、今でもお持ちでしょうか?!鮒子田さんも現在お持ちではなくどのようなマークだったのか覚えていらっしゃらないそうです。(林みのる氏デザイン)もし、お持ちでしたらぜひ教えてください。
 

 10/APR/2003   Yさんから頂いたメール紹介「素晴らしい内容です」

 拝啓 牧野様 はじめまして、私 Yと申します。
スロットカーのページからこのホームページにたどり着きました。
鮒子田選手には思い出深いものがあります。といいますのも1976年に鈴鹿で行われたGCレースの招待券を彼からいただいたことがあります。
当時、鮒子田選手はエンケイのサポートを受けており、スポンサーサービスで愛知県豊橋市にありましたクロダパーツというカーショップに来られたことがあり、私はその時にそのレースの招待券とエンケイのジャンパーをいただきました。
そのレースでは鈴鹿CGに出走すると富士に出さないというおふれがでていたためか鮒子田選手も参加せずマシンをレンタルしていたようです。
レースは星野選手と桑原選手の争いでしたが桑原選手の優勝で終了しました。
その後、鮒子田選手はあまり国内レースには出走しなくなりました。
 当時は私は小学生でしたので、あまりその走り自体は記憶にないのですが、当時レースをやっていた知人の話ではトヨタのエースであり、いろいろなレースを経験し、排気量の大きなマシンも経験豊富で、かつ非常に安定した走りをしていた。高橋国光選手や永松選手のようにいつまでも激しくドリフトはさせず、タイヤにもやさしい走りをしていたといっておりました。
 私のヒーローでした。

 WEB MASTER : 

 Y様、この度は私のまだまだ未熟なHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂き本当にありがとうございました。
鮒子田さんは現在イギリスのrtn(レーシング・テクノロジー・ノーフォーク)の役員として活躍しておられます。ここは元のトムスGBをアウディが買収して現在ル・マンカーで活躍中のベントレーEXPスピード8を製作しているところです。鮒子田さんはトムス時代からそのままおられるわけです。
「鮒子田寛レーシングヒストリー」もご覧になったとは思いますが、60年代チームトヨタのエースドライバーとして活躍し、その後独立して鮒子田レーサーズを設立、海外国内の日本レーシングドライバーのパイオニアとして活躍されました。
Yさんも直接鮒子田さんから頂いたものがあるそうですが今ももし持たれていれば宝物ですね!
このメールを鮒子田さんにもお伝えいたします。
では、これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

 鮒子田さんよりコメントを頂きました。

 「その後、ふしだ選手はあまり国内レースには出走しなくなりました。」について
鮒子田: 81年までは日本でレースしていましたよ。
 「トヨタのエースであり、いろいろなレースを経験し、排気量の大きなマシンも経験豊富で、かつ非常に安定した走りをしていた。高橋国光選手や永松選手のようにいつまでも激しくドリフトはさせず、タイヤにもやさしい走りをしていたといっておりました。」について。
鮒子田: 正確な意味でのドリフトは、ハンドルを少し内側に切った状態で4輪がスムーズに滑っていく状態を言うので、リヤを激しく滑らせるのはカウンターステア(逆ハン)で、見た目は豪快ですが速く走るには逆効果です。低速や中速コーナーの出口でタイヤが負けて逆ハンを切ることはありますが、できるだけ早く4輪ドリフト状態へもていくことが重要です。タイヤにもやさしいとは当然で周回を重ねてもタイムの落ちが少ないのは言うまでもありません。
 「私のヒーローでした。」について。
鮒子田: 自分のしたいことを精一杯していたのですが、少々、恥ずかしいですが、嬉しいですね。

 鮒子田 寛レーシング・ヒストリー開設1周年記念
クイズ&アンケートを出して賞品を当てよう!!
クイズ当選者&アンケート発表!!

 このスペースでは上記におけるクイズにご応募頂いた方々から頂いた鮒子田さんへのメッセージを長く記憶させるため「皆さんからのメール」ページに載せさせて頂くことになりました。

 「鮒子田 寛レーシング・ヒストリー開設1周年記念 鮒子田さんへの皆さんからのメッセージ」


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