"THE TOPICS OF A WEEK!!"
 
 このほど、私が常々思っている事や、1週間の中で感じた事や出来事を書きとめる日記のような内容の新しいページを作る事にいたしました。
つきましては、どうか主宰者の独り言と受け止めて読んでいければありがたいと思っております。
1999年12月までの“THE TOPICS OF A WEEK”
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 30/JAN/2000 「僕には“東次郎”は語れない!」
 皆さんお元気でしょうか。
2週間ほど前になりますが、ある方より雑誌「OUT RIDER(ツーリング・マガジン)」に「浮谷東次郎」の特集が組まれているとの情報を受けていたのですが、なかなかその本を見れないでおりました。そして、やっと先週その本を本屋で発見し、早速購入いたしましたところなんと“「がむしゃら2000キロ」 浮谷東次郎が残した旅”と題され、10ページにわたり特集されておりました。その中には、東次郎のお姉さまにあたる“浮谷朝江”様のインタビュー記事も2ページ組まれており、この特集の力の入れかたが半端でないことが分かりました。特に、東次郎が15歳の時に、自宅のあった市川市から大阪、そして神戸までを当時の愛車であった「クライドラー(50ccバイク)」で往復し、その旅の中でのエピソードを綴った本人著書「がむしゃら1500キロ(ちくま文庫)」を通じて人間“浮谷東次郎”の実態に迫り、当時と同じようにバイクで東次郎と同じ道で旅をするという試みはなかなか面白い企画だったと思いました。
 私は、以前にもくどいほど申しておりますように、昨年、「TOJI'S CLUB 」に入会させて頂きました関係上、どうしても浮谷東次郎についての話題があるとうれしくなってしまします。しかし、同時に名前は以前から知っていたものの現役当時をまったく知らないで私は当時を過ごしておりましたので、まだ浮谷東次郎についてどうのこうのと言える立場ではないと思っております。まして、評論家のように「この点が浮谷の良い所で・・・」などとは絶対に言えないと思ってます。今は、20世紀が生んだ天才マルチ人間(あえて“伝説のレーシング・ドライバー”ではなく・・・)「浮谷東次郎」の生き方や考え方を“TOJI'S CLUB ”や本を通じてもっともっと知っていきたいと思っております。
では、今回はこんなところで失礼します。皆さんもお風邪などには充分気をつけられて御自愛ください。
主宰者
 23/JAN/2000  「あの風戸裕のレコードをGET!!」
 今週の寒さは、やっと真冬が来たかと思わせるに充分な冷え込みでありましたが、皆さん、お元気でしたでしょうか。
私は、先週の日曜日と今日とまたまた仕事で午前中がつぶれてしまいましたが、午後からは両日ともフリーでありまして、先週は神保町の中古レコード店あさり、そして今日は、新宿“小田急百貨店”で開かれております「古本市」に行ってまいりました。
 先週の神保町での収穫はというと・・・、ところで日曜日って古本屋ほとんど休みなんですかね(・・・たまたま休みだったのかな?!)!
・・・ということで、「なんで休みなんだ!まったく・・・」とブツブツ言いながらの帰り道、偶然見つけた中古レコード店で、何気無く「ドキュメント」コーナーを見てみるとなんとあの「風戸裕」の実況録音盤である「レーサー 風戸裕」というLPがあるではないですか!私は、一瞬「どうしようかな・・・」と思ったもののすぐさま買ってしまいました。このLPは、1970年発売(東芝レコード)の本人のインタビュー入りの貴重盤であります。当時は、2,000円で売られておりましたが、30年の歳月を経て買った値段は、2,300円でありました。う〜ん、考え方によれば安い買い物だったのではないかと思いました。
GS(60年代のグループ・サウンズ)のLPがどれも5,000円以上の高値がついているこの頃、やはりこの手のモーター・スポーツものの評価は低いのかも知れません。しかし、4年後にレース中に事故死してしまった“風戸裕”ものですから・・・、もっと高くても良いようにも思いました。
画像は、今だ「デジカメ」を持っておりません私としては、スキャンするしかありませんので、ちょっと見にくいですがお許しを・・・。
 ところで、今日行ってまいりました「古本市」なんですが、戦前の本や碁に関する本が全体の30%をしめており、その他1960年代の芸能関係(月刊明星等)や月刊少年漫画誌、週刊少年漫画誌が50%という具合でしょうか、車関係やモデルカー関係の本は皆無でありました。
今回私が興味を覚えて購入いたしました本は、まず1969年発売の「少年キング」12月1日号でありました。これには、「開幕近し!富士200マイルレース(第2回日本CAN-AMレース)」という触れ込みで、表紙を含みますとなんと13ページにも及ぶ特集が組まれておりました。これは迷うことなく購入いたしました(しかし、1,000円という価格は高いのでしょうか?!)。
 続いて購入しましたのが、私が小学校5年生の時に買って今も大切にしております秋田書店発行 石森章太郎著作「マンガ家入門」の続編である「続・マンガ家入門」であります。
この本の続編があったことはつい最近知ったばかりでしたので、グッド・タイミングな出会い(?)でありました(ハード・カバー本で、1968年12版目の発行ということで、2、500円は妥当でしょうか?)。
その他、1966年発行の「平凡パンチ デラックス」、1966年発行の「週刊平凡 新春特大号 スター・カレンダー付き」などを購入いたしました。価格は全て、800円でありました。
ただ1つ失敗がありました。それは、「1967年 読売報道写真集」でした。しっかりとしたハード・カバー版で、表紙がなんと“1966年日本インディ200マイルレース”であったため、無意識に買ってしまったのがいけなかったのです。その内容は、「日本インディ」についての記事は一切なく、ただの報道写真集であり大ショックでありました(800円ではありましたが・・・)。
あ〜あ、ますますお金がなくなる〜!!
 しかしながら、なぜゆえに「車」や「モデルカー」の古本ってないのでしょうか?発行部数も芸能誌やマンガ雑誌に比べて少ないのでしょうし、それを古本屋に売る人たちも多分少ないのでしょう。
では、今週はこのへんで。
主宰者
 15/JAN/2000  「モデルカー・レーシング・レース大会」今昔?!
 いよいよ、寒さも本格的になって来ておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は、昨年の正月、今までにないくらいの“風邪”をひきまして、今年は、絶対ひかないぞと誓っておりましたので、今のところは、用心を重ねた甲斐あって、無事に過ごさせて頂いております。
ところで、昨年末から今年にかけて、以前からの課題でありました「60年代のモデルカー・レーシング史」と「66年以前の日本グランプリ」についてのヒストリーをやっとのことで書くことが出来ました(まだ、未完成でありますが・・・)。一過性のブームとして終わらせたくない一心で、作り始めましたこのHPも、これらを書かなくては、作った意味もないと思っておりましたので、何か少し肩の荷がおりた心境であります。
 ところで、「追憶のモデルカー・・・PART 2」の中で、説明させていただいた「モデルカーレーシング選手権」等のレースは、実は、現在も“スーパー・スロット”や“エア・コントロール・カー”、または、“クリア”として続いているのであります。しかし、私は、このシリーズや組織については詳しくなく、ただ現在は、アメリカの“U.S.R.A(the United Slot Racers Association)”の日本支部に当たる“U.S.R.A.JAPAN”事務局が運営していることだけは分かっております。
 早くも、「モデルカー・レーシング」が、みんなが楽しむホビーから、1部のマニアのホビーとなって、30年近い年月が経っておりますが、スピード重視とはいえ、アメリカの世界選手権に派遣するなどの活動をしている“U.S.R.A.JAPAN”に敬意を賞せずにはいられません。
実は、この話題を“THE TOPICS OF A WEEK”に載せようと思いましたきっかけは、年も押し迫った1999年12月30日に、60年代の“全日本チーム対抗選手権大会”を再現するようなモデルカー・レーシングの大イベントが、 静岡市にありますモデルカーサーキット“ Hot House”に全国の究極のスケール・スロットカーが集結してレースが開催されたという情報を得たからでありました。早速、「Model Cars」誌よりも早く(?)そのレースの模様を簡単ですが紹介したいと思います。
 この情報は、今回の通称“MC1000(モデルカー1000ラップレース)”に出場され、我がHPにもリンクを貼らさせていただいております“Tom's Slot Gallery”の主宰者でもある“TOM”さんより頂きました。
まず、このレースは、レース主催者である“Hot House”より、レース車両について半年前(?)に、規約が出されてまずは、車種を決めることになっているようです。
 今回のテーマは、1971年までに世界的に活躍した“ツーリングカー”と決められました。出場者は、車種を決定しだい早いもの順に主催者にエントリー提出する仕組みとなっていますので、すばやい行動が必要のようです。
 TOMさんが撮られた写真を見ますと、どれも鑑賞用の精密模型かと見間違うほどのすばらしいモデルカーばかりで、それらが、猛スピードでサーキットを走りまわるとは現役を離れて30年の私としましては、壊れはしないかと心配で、なんとももったいない気がしないでもありません。
また、同じく我がHPで、リンクを貼らせて頂いております超リアル1/24スケール・カーモデルを作らせましたら、右に出るものはいないと思われます“ウエスト工房”さんも、なんとフルスクラッチ・モデルの“ランチャ・フルビアHF”で出場されており、TOMさんの“アルファ・ロメオ2000GTAm”とのツー・ショットは見応え十分といった感じであります。
 合計8台がエントリーしたとのことですが、全国規模として考えますと、なんとも狭き門であり、半端な気持では絶対にこのレースに参加することは不可能なのではと考えずにはいられない“モデルカーの祭典”でありました。
画像の車種を見ますと、左側から、「メルセデス・ベンツ300SE」でありましょうか?そして、アメリカの“スカイラインGT―R”とでも言ったら良いのでしょうか、「シェルビー・マスタング(モデルカーレーシングでは、ムスタングと呼んでおりましたが・・・)350GT」、そして、一際すばらしい「ランチャ・フルビアHFモンテカルロ仕様」、続いて「ジャガーMKII 」、「フォード・エスコートRS(・・・ですよね!?)」、グリーン・スラッシュの「コルチナ・ロータス(ジム・クラーク仕様なのでしょうか?)」、そして、TOMさんのなんともグラマラスですばらしい出来映えのする「アルファ・ロメオ2000GTAm」であります。最後は、1973年の最終モデルなのでしょうか、「フォード・カプリRS3000(?)」が並んでおります。
・・・と書き終えたところ、参加された“ウエスト工房”さんの実戦参加レポートを読ませていただいたところ、「NSU1000TS」であることが判明いたしましたので訂正させて頂きます(全問正解ならず・・・笑)。
 こんなに車種があったのかと改めて思ってしまいますが、さすがに、車幅等で不利と思われる「MINI 」を選んだ人はいらっしゃらないようでしたが・・・。もし、私が出場していたら(ちょっと無理がありますが・・・)「BMW2002ti 」か、「サーブ96」、または、「フォード・アングリア」あたりでエントリーしていたかもしれません(あくまでも、夢ですが・・・)。
 ところで、今回“ランチャ・フルビアHFラリー”出場された“ウエスト工房”さんのレース・レポートの情報を頂きましたので詳しい内容を知りたい方は、ぜひ見てください。
 では、楽しくもあり、厳しくもある現代の「モデルカー・レーシング」のビッグ・イベントであります「MC1000 」のほんの触りではありましたが、報告させて頂きました。
主宰者
 09/JAN/2000  「20世紀のおもちゃ博物館展」を見て 
 皆様、新年を迎えましてから、早くも9日を経過いたしましたが、いかがお過ごしでしょうか。
私は、職種の関係で、お休みは元旦だけという状態で本日を迎えたところであります。
心配された“2000年問題”も取りあえず何事もなく、一安心というところであります。私などは、昨年末、例にもれず“石油ストーブ”などを買い込みまして、万全を喫しておりましたところ、肩透かし(?)をくった格好となりはいたしましたが、うれしい誤算でありました。
 ところで、今回の“THE TOPICS OF A WEEK”は、昨年から、行こうと決めておりました「20世紀のおもちゃ博物館展」に本日(1月9日)仕事の帰りではありますが、行ってまいりましたので、簡単ですが、その報告をしたいと思います。
 この「20世紀のおもちゃ博物館展」は、日本玩具文化財団主催で、日本橋三越本店 7階催物会場で行われたもので、企画製作は、“20世紀おもちゃ博物館展実行委員会”であります。
この催物は、昨年の12月28日(火)より、今年の1月9日(日)まで間で行なわれました。
その後、この催しは、全国の百貨店等で随時行なっていく予定とのことでした。
 さて、この「20世紀のおもちゃ博物館展」は、“20世紀”とうたっているところからも分かりますように、1901年以降の“おもちゃ”の歴史を分かりやすく年代順に展示したものであります。
本日、私が三越本店 7階会場に到着したのは、午後3時をまわっておりましたが、展示会最終日、そして日曜日ということで、家族連れやカップルで、他の催物とも重なって、7階自体が大混乱の様相でありました。そして、まず会場に入りますと、まるで絵画展を見るように、人、人、人でありました。  
まず最初に私の目に飛び込んできましたのが、「ヨーヨー」でありました。コカ・コーラのロゴ・マークがついておりましたので、コカ・コーラボトラ―ズの景品だったのではないかと想像できます。私の記憶の中での「ヨーヨー」は、1963〜64年頃ではないかと思うのですが、森永の“カルピス”でありました「森永コーラス」の懸賞により当たりました「ヨーヨー」の方が印象が強く、TVコマーシャル・ソングも今だメロディと歌詞を完全ではありませんが覚えております。“電信柱が101本 森永コーラス飲んだ ・・・ヨーヨー101個・・・”こんな感じではなかったかと記憶しております。  
続いて、展示されておりましたのが、なんと「きんさん、ぎんさんのお手玉」がガラス・ケースの中に飾られておりましたのには、正直言ってビックリいたしました。なんと言って良いやら・・・。  
そして、3番目に展示されておりましたのが、今回の実行委員会のメンバーでもある“泉 麻人”氏の自慢のおもちゃ「トミー・ガン」がガラス・ケースの中にだた1つ展示されており、なんともマニアックな逸品でありました。確かこの“トミー・ガン”は、昭和40年頃の発売として記憶しており、どうしても欲しかった逸品でありましたが、ついに願いはかないませんでした。  
その次ぎの展示から本来のこの博物館展の目的でもある、年代別での“おもちゃの歴史展”がスタートして行くのでありました。
まずは、江戸時代後期から、明治時代初期の“おもちゃ絵”や“人形”が展示されており、明治時代には、すでに“ブリキ玩具”の「蒸気船」や「蒸気機関車」、そして“加藤清正”の絵などの戦国時代をつかさどった「めんこ(丸形)」なども登場しておりました。  
 大正時代になりますと、子供向けの玩具が具体的に登場してくるようで、「羽子板」、「ゴムマリ」、「飯事セット」などがありました。そして、あの「キューピー人形」も外国からの依頼により、日本で作られていた事実を私は今回初めて知ることが出来たのも収穫でありました。 同時に、私も子供時代に大変お世話になった「けん玉」や「カルタ」、そして「双六」等もこの時代に玩具としての地位を確立していたことも知ることが出来ました。  
 昭和の時代になりますと、私にも見覚えがある“おもちゃ”がたくさん展示されておりました。例えば、パチンコの元祖のような“コリン・ゲーム”や“グリコのおまけ”もこんな時代の象徴のようでありました。そして、1960年代の“おもちゃ”は、主にブリキ製の物が多く、ロボットの「ロビー」や「自動車」、「飛行機」、そして「宇宙ロケット」等が主役でありましたが、私自身は、あまりそれらと遊んだ記憶はありませんでした。  そして、忘れてはいけない“タカラ”の「ダッコちゃん」も当然のごとく展示されておりました。
 さて、第2会場に移りますと、まず目に飛び込んできましたのが、真中に“特別展示”ということで置かれておりました“ブリキのロボット”「マシーン・マン(上の入場券に、写っているロボット)」でありました。その左右、後には、超レアなリモコン式ブリキ製「鉄腕アトム」と「鉄人28号」が並んでおりました。  
 ところで、私が今回の博物館展で密かに期待しておりましたのが、60年代のおもちゃの代表と思っております「モデルカー・レーシング」の出品でありました。ところが、田宮模型が協賛しているにもかかわらず出品されておりましたのは、1970年代に発売された1/12スケールの「ポルシェ934タ―ボ」関連と70年代のカー・スケールモデルだけであり、世界最強といわれた当時の田宮製「モデルカー・レーシング」の展示はありませんでした。わずかに“トミー製”のHOスケール「レーシングカー・セット」のみ展示されており、そのコメントには、「1965年に大流行したのがこのレーシングカーです・・・」と簡単に書かれていただけでありました。なんとも残念な取り扱いのされ方でありました。あの異常とも思える1965〜66年の大ブームはもう20世紀の記憶からは、消え去ってしまうのでしょうか。  
さらに、私も1960〜63年頃まで遊んでおりました「Oゲージ鉄道模型」展示もありませんでしたし、当時の少年たちに“カルチャー・ショック”を与えた「プラモデル」にしても、ほとんどが1970年以降のものであり、「鉄人28号」や「ビッグX」、そして「V−3号」などのキャラクター商品をわずかに確認できるぐらいでありました。 
 ところで、少女御用達の「リカちゃん人形」のバリエーションはすばらしいものでありまして、圧巻は、リカちゃん人形の製作過程を部品ごとに展示していたコーナーでありました。それこそ胴体の整形(まるでタコ焼きが出来るように・・・)、そして“植毛(・・・ちょっとこの言葉には、抵抗が・・・笑)”までもが展示紹介されておりまして、思わず立ち尽くして魅入ってしまいました。そういえば、永遠のライバルでありました「バービー人形」がなかったなと今気がつきました・・・。
また、1970年後半と思われるTVコマーシャルの映像を会場にありましたTVが映し出しており多くの観客を集めておりました。 全体として、少々消化不良気味な感じもしないでもありませんでしたが、久しぶりに楽しい一時を過ごせたことだけが救いでありました。  
以上で、「20世紀のおもちゃ博物館展」の鑑賞報告を終わらせていただきます。長々とお付き合い頂きありがとうございました。
主宰者

 
 01/JAN/2000 VIVA !! In The Year 2000 !! A Happy New Year !! 
 皆さん、明けましておめでとうございます!
ついにと申しましょうか、やっとと申しましょうか、待ちに待った2000年が、やってまいりました。
旧年中は、本当に皆様の沢山の御声援を頂き、なんとか不慣れなパソコンを駆使して、ここまで続けることが出来ました。ここに、改めて皆さんに御礼申し上げます。ありがとうございました。
 今年は、益々不況の時代になっていくと思われますが、この苦境を救う唯一の道は、良き1960年代の絆で結ばれた友情だけではないかと単純ではありますが、密かに思っている今日であります。
私のホーム・ページにしても、皆様のホーム・ページにしても、またそれらに対して、御声援をして頂いている方々と共に、今年は、より絆の強いエールの交換を行ない何とかこの新しい、そして、最後の20世紀を乗り切っていければなと期待している次第であります!!
 では、皆様にとって、本当に良い年になりますことを祈りながら、このページを終わらせていただきます。
P.S.HPのindexページと、ここに登場いたしております、我が“TETSU”様の羽織、袴姿は、1973年3月15日号「AUTO SPORT」誌での特別企画“レーシング・ドライバー紳士録”より、引用させて頂きました。