"THE TOPICS OF A WEEK!!"
 このほど、私が常々思っている事や、1週間の中で感じた事や出来事を書きとめる日記のような内容の新しいページを作る事にいたしました。
つきましては、どうか主宰者の独り言と受け止めて読んでいければありがたいと思っております。
 31/DEC/99  「大晦日です!」
 早いものであります。私が、このHPを初めてUPしたのが今年の3月下旬でありますから、9ヶ月が経過したわけです。順調にとはいきませんでしたが、皆様の暖かい御声援を頂きながらなんとかここまで続けてくる事が出来ました。本当に、ありがとうございました。
 今年は、私にとっても激動(?)の年でありました。また、約2年間の沈黙を破り、無事に社会復帰をはたす事が出来ましたし、“TOJI'S CLUB”という大変すばらしいクラブにも入会させていただくことが出来たのも今年のうれしい出来事でありました。
 来年は、今以上に努力してこの“「くるま」村の少年たち”が少しでも皆様に愛されるHPになるように頑張っていきたいと思っております。
本当に、ありがとうございました。
1999年12月31日 主宰者 牧野弘文
 20/DEC/99「YahooJapanに・・・?!」
 またまた、更新が大幅に遅れまして申し訳ございませんでした。
前回御報告したとおり、我が尊敬する“生沢徹”御本人より感激のメールを頂き有頂天となっておりましたところ、11月27日、“TOJI'S CLUB”のHさんより“FM東京”の人気番組である“AVANTI ”において、なんと「スカイライン伝説」というメイン・テーマの中で“生沢徹”氏、“式場壮吉”氏、そしてスカイラインの生みの親である“桜井眞一郎”氏が座談会形式で出演されていたとの情報を受けたのでした。しかも、“AVANTI ”ホーム・ページにおいて私のホーム・ページがリンクされていると・・・!!
確認のためそのHPを訪れるとあるではありませんか。それもTETSU様のコーナーにまるで公認されたかのように載っていたのでした。本当にありがたいことであります。Hさん情報ありがとうございました。
そして、TETSU様本当にありがとうございました。私は、本当に幸せであります。

“AVANTI ”公式サイト11月27日分「スカイライン伝説」は、下記の通りですので良かったら立ち寄ってください。
http://www.avanti-web.com/pastdata/19991127.html

 ところで、今年3月より何回ともなく登録を申請しておりました「Yahoo!Japan」より下記のようなうれしい知らせが届きました。

“こんにちは、Yahoo! JAPANです!
ご推薦いただいたページ
< URL:http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/index.html >
をYahoo! JAPANに掲載させていただきました。
36時間以内に行われるデータベースの更新で掲載が開始される予定ですので、
「新着情報」またはURLによるキーワード検索でご確認ください。
なお、掲載のルールにてご説明しておりますように、Yahoo! JAPANでは編集方
針に基づき、実際にページを見たうえで掲載先カテゴリを選択し、タイトル、
コメントなどを編集して掲載処理を行っております。ご依頼いただいた内容が
一部変更になって掲載されている場合がございますことをあらかじめご了承く
ださい。
 Yahoo! JAPANがその検索性の高さで数多くのユーザー様からご支持いただいて
おりますのも、ひとえにサイト主催者様のご協力によるものと考えております。
ご理解いただければ幸いです。・・・以下略”
 
 このように掲載されることとなったのも不完全なHPながら長くお付き合いいただいた皆様のおかげだとつくづく感謝している次第です。
「生沢徹」「日本グランプリ」「モデルカー・レーシング」などの言葉を検索すると恥ずかしながら私のHPが出てくることが何か不思議な感じがしてしかたがありません。
 そういえば、本日“TOJI'S CLUB”からクリスマスレターなるものが私の家に届きました。

 なんと暖かいクリスマスカードでしょうか。このクラブの持っているすばらしいところがこのカード一枚にも現われていると私は感じずにはいられません。本当に入会して良かったなと思うこの頃であります。
では、この辺で失礼します。皆様良いクリスマスをお過ごしください。
 23/NOV/99 「今日は何の日?11月23日」とビックリするような出来事が・・・!!
 20日ぶりですが、皆さんいかがお過ごしだったでしょうか?
私は、仕事に追われ、本当に忙しい日々を送っておりましたが、昨日本当にビックリするようなことがあったのです。まずは、そのことからお知らせしたいと思います。
 ふと、いつものようにメールの確認をしておりましたら、下記のようなメールが舞い込んでいたのでありました。
“Dear Mr. Makino

先程当方の友人より貴殿の作られた当方に関するホ-ムペ-ジのことを教えられました。

大変良く出来ています。 本当に感心しました。

今でもこのような私のファンがいると知り嬉しく思います。
 

生沢 徹 ”

なんと私が尊敬してやまない“TETSU IKUZAWA”こと“生沢徹”様御自身からメールを頂いたものであります。
私は、このメールを見た時、いったい何が起こったのかとっさに判断が出来ず理解するのに数分間ただただメールを見つめていたのでありました。
そして、やっと本人様からのメールだと理解した時は、感激でつい涙が出てきたのでありました。
これほどのメール内容があるでしょうか。とにかく、主宰者冥利につきます。感謝感激でした。
本当にHPを作って良かったなとしみじみ思っております。なにせ御本人に半ばこのHPを承認していただいたようなものですから・・・。
 生沢徹と言えば、当時のモーター・スポーツ界のスーパースターであり、あの“アイルトン・セナ”人気と張り合うほどの人気でありました。ファッションにも敏感で、あの“VAN”をスポンサーにしたことでも分かる通り“TETSU”は本当にカッコ良かったです。
 このような出来事が起こることがインターネットのすばらしいところなんだとしみじみ思いながらも、皆様の暖かい応援がなかったら、きっと、生沢さんからのメールもなかったのではと思う次第であります。
重ね重ね本当に皆さんありがとうございました(生沢さんの友人の方、このHP見て頂いておりましたら、この場を借りてお礼を申し上げます)。

「今日は何の日!? 11月23日」
 今から30年前の1969年11月23日は、モータスポーツファンとトヨタ自動車にとって記念すべき日となりました。前年から始まった「第2回日本CAN-AM ワールドチャレンジカップ富士200マイルレース」において、トヨタ自動車の“トヨタ―7”が並居るカンナム・マシンを尻目に総合優勝したのでした。
 同年の「69年日本グランプリ」で、ライバル“ニッサンR−382”に破れた鬱憤を見事晴らして見せたのでした。しかし、肝心のニッサンは欠場ということで、本当の意味での決着はつけられずやや消化不良的なレースであったことも事実でありました。
 優勝ドライバーの“川合稔”は、当時事故死した“福沢幸雄”に代わるトヨタのエースドライバーであり、モデルであった“小川ローザ”との電撃結婚は当時話題になりました。そして、早すぎる川合稔の“死”・・・。
 結局、日本CAN-AMは、68〜69年の2回開催で終わってしまいましたが、当時中学生だった私には本当に強過ぎるインパクトを与えてくれました。
 では、忘れることがこれからも出来そうにない11月22日と23日を思いっきり引きずりながら“THE TOPICS OF A WEEK”を終わらせていただきます。
ありがとうございました。 

 3/NOV/99 「NAVI」に“浮谷東次郎”の紹介が!?
 なんと前回書いて2日後に書いております。なぜかと申しますと10月13日以来の休みが取れたからなのであります(気絶状態で睡眠を取っておりました)。
ところで今日は、久しぶりに本屋にまいりまして、何気なく“NAVI”などを見ておりましたところ、“エンスー秘宝館”などという企画ページに、なんと“浮谷東次郎―浮谷東次郎著「がむしゃら1500キロ(全)〜わが青春の門出〜」”についての紹介やライターさんの思いなどが書いてあるではありませんか・・・!!
大きさとしては、1ページの8分の1ぐらいでしたが、“TOJI'S CLUB”メンバーとしては本当にありがたい記事でありました。そして、“朝江”さんのイラストも同時に紹介されておりました。
お時間のある方は1度ご覧になってください。
では、短いですが今日はこれまでとさせていただきます。
 1/NOV/99 “30年前の10月10日、今日は何の日!?”
 皆さんの久しぶりです!
約2年間仕事をしておらず身体が鈍っておりましたが、先月は社会復帰後なんと二日間しか休んでおりませんので、その格差にただただ唖然としておる次第です。
そして気がついてみるとなんと前回UPしてから半月が過ぎておりました。いやはや・・・。
先月絶対これだけは書いておこうと思っていたことがありました。それは、今から30年前の10月10日の事です。
日本テレビの「おもいっきりTV」の企画に「今日は何の日」というのがありましたが、さて、“1969年10月10日”は何の日だったでしょうか?
鋭い皆さんは、もうおわかりだと思いますが、最大にして最後のビッグイベント“69年日本グランプリ”が御殿場富士スピードウェイで開催された日でした。
日産、トヨタ、そして、滝レーシング・チームのT.N.T激突とうたわれ、当時の自動車ファンにとっては、年1度開催される最大のお祭りでもありました。今でこそ“F−1日本グランプリ”で10万人の観客は当たり前になっておりますが、1969年当時にまだ一般的ではなかった“モーター・スポーツ”に15万人もの観客が富士スピードウェイに10月10日の1日のために集まる事など考えられませんでした。
さらに、日産、トヨタが社運を賭けて作り出した“ニッサンR−382”と“トヨター7”がこの日の為に戦うのですから、熱も入ります。
結果は、前年に引き続いてニッサンチームが優勝し、トヨタチームはまたも無念の涙をのんだのでした。
そして、私が最も期待していた滝レーシングチームの“ポルシェ917”は、当時のポルシェワークスドライバーあった“ジョー・シファート”を配しても勝つ事が出来ず日本のマシンもとうとう世界に並んだか・・・などと中学生であった私は勝手にそのように考えておりました。しかし、後で考えてみるとその日のために1年間莫大な予算をかけて富士スピードウェイを占領して練習を重ねたチームと2〜3日前に来て初めて練習をした“ジョー・シファート”と“ポルシェ917”とでは勝敗は最初から決まっていたといっても過言ではなかったのではないでしょうか。
 ところで、1971年に且R海堂で発行されていた「オートテクニック」誌に“69年日本グランプリ”優勝者である“黒沢元治”のインタビュー記事が載っており、興味深い当時の発言がありましたので引用させていただきたいと思います。
 “・・・あれでビッグマシンのレースがグランプリでは最後でしたからね。世界で一流といわれていた、実際にはたいしたことはなかったシファートがポルシェ917に乗ったり、トヨタ、日産が真っ向からぶつかり、あのレースで優勝できたということは、今後のレースドライバーをやっていく上でも、何ものにもかえがたいものですね。”
これは当時油の乗りきっていた“黒沢元治”の生意気(失礼!)ともとれる自信の発言でした。
 今回は思いで深い“69年日本グランプリ・エレジー”とでも申しましょうか、今から30年前の私にとっての“カルチャー・ショック”を書き綴らせていただきました。
では、次回は、11月23日頃にUP出来る予定です。はて?11月23日は何の日?!
 13/OCT/99 
 まだまだ暑い日が続く日本列島ですが、いかがお過ごしでしょうか。
8日にUPしたばかりというのにもうUPしてしまいました。またUPの出来ない日もあるかもしれませんので今のうちにという事でもありますが…(笑)。
 8月9日に報告いたしました“TOJI'S CLUB”初参加の興奮も冷め止まない(?)今日この頃ですが、先日TOJI'S CLUBのオフィシャル会報誌であります「IL SAMARITANO TOJI'S CLUB」の“1999年秋季号”が届きましたので少しご紹介させて頂きたいと思います。
 1977年に創立された「TOJI'S CLUB」ではありますが、会報誌がいつから出来たかはうっかり聞いておりませんでしたので、今度うかがってみようと思います。
 上の画像が今回発行された“1999年秋季号”の表紙と目次(おしながき)であります。
表紙の写真は、8月7日当日“東次郎ギャラリー(ガレージ)”前で撮影された参加一同集合した記念写真です。
今回の“おしながき”には、下記の内容が書かれておりました。
 1.総会の報告(98年度会計報告、役員改選)
 2.会員さんのホームページ
 3.新会員さんこんにちは
 4.おかあちゃまのおことば
 5.新役員の挨拶
 6.2000年度会費の振込み
 7.モーターショーで会いまショウ!!!
 1と5に関しては、会計関係であります。4の“おかあちゃまのおことば”については、東次郎さんのお母様でありますが、厳格かつ信仰心の厚い方で会員の皆さんから深く愛されておりました。しかし、今年残念ながら亡くなられました。生前残されたお言葉を集め特集したものです。
2〜3には、なんと新参者の私のへなちょこHPを紹介して頂いております。
7は、今回私は参加出来そうもないのですが、“東京モーターショー・ツアー”の内容です。
 上の画像が私めのHPを解説入りで紹介していただいたページであります。なんと2ページも…(感激です!)。
HPの内容については、8月9日に書かせていただいたものと同じですので省略させていただきますが、このHPについてのコメントだけ書かせていただきます。
 “上記は、新しく会員になられた牧野さんのホームページ“The Legend of Automobile's Village”、“「くるま」村の少年たち”の“THE TOPICS OF A WEEK”からの抜粋です。ホームページにはモデルカー、60年代のレース、さらに生沢徹氏の記事もあり!!! 一度のぞいて見てください。一日中楽しめますよ。
牧野さんのホームページアドレスは、
 URL:www.ne.jp/asahi/60srace/models
TOJI'S CLUBのホームページのリンク集からも行くことが出来ます。”
 ということで、楽しいTOJI'S CLUBの会報誌のごく一部を今回は紹介させていただきました。
本当に会報誌担当の原さんありがとうございました。
P.S.
 私のTOJI'S CLUBでの会員番号がついに決まりました。
なんと“114”・・・。“いいよ!いいよ!”の“114”でした(笑)!
 8/OCT/99
 皆さん、こんばんわ。
めっきり秋らしくなってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
私は、新しい職場で頑張っております。とにかく、バーゲン・セールが命のファッション・カンパニーであります関係上、土、日、そして祝日が掻きいれ時でありまして休む事が出来ません。
ですから、10〜12月は多分平日の暇なときにしか休む事が出来ないだろうと予想されるこの頃であります。でも1年半以上もリハビリとはいへ休んでいたのですから、今は特別不満はありません。
私ごとはこのくらいにして、どうでしょう“TOJI'S CLUB”で私と一緒に記念撮影をしていただいた“本田博俊”氏率いる“ジョーダン・無限ホンダ”の最近でのF1レースにおける活躍ぶり…!!
フィレンツェンのドライビングも冴え渡り、今では“マクラーレン・メルセデス”を抜く勢いであります。
ぜひ、最終戦の“日本グランプリ”においては有終の美を飾ってもらいたいものであります。
 F1レースは、以前の盛り上がりほどではありませんが、以前として日本においてはトップ・レースの地位を守っておりますが、このHPでも取り上げさせていただいている1969年頃の“日本グランプリ”で日本中を熱狂の渦に巻き込んだあの「プロトタイプカー〜カンナム・カー等」のスポーツカーレースはもう2度と見ることは出来ないのでしょうか。
 近年のル・マンでもわかる通り、基本的にわれわれ日本人は、スポーツカーレースが大好きであります。
しかし、世界を見渡しても自動車メーカー、特にフェラーリが参加していない事がなによりもスポーツカーファンの心を掴みきれていない大きな要因ではないかと私は思ってしまいます。
また、ラリーにおいても、やはり伝統のある“ランチャ”や“アルピーヌ(?ルノー)”などがしのぎを削らなければレース自体興味半減だと思うのは私などの“オールド・レース・ファン”だけでありましょうか。
 私は、ル・マンや60年代に行なわれた世界スポーツカーレースの歴史においては、フェラーリ以前の活躍した“くるま”についてはリアル・タイマーではありませんでしたので良くわかりませんが、私にとっての最大の激闘だと思う時代とくるまを年代別に表すと、1964〜67年の“フェラーリ330P VS フォードMKIV VS チャパラル2F VS ローラT70 VSポルシェ910”、1968〜1969年においての“フェラーリ312P VS ポルシェ908 VS ガルフ・フォードGT40 andフォードF3L”、そして“栄光のル・マン”でおなじみの1970〜72年頃に激闘を繰り広げた“ポルシェ917(908) VS フェラーリ512S(312PB) VS アルファロメオT33”がとにかく最高に面白かったと今も思っておりますし、当時をリアル・タイマーで過ごせた事も本当にラッキーだったと思っている次第です。
また、このようなレースを見ることが出来ることを祈って今週のTopicsを終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
 2/OCT/99 
 半月が過ぎてしまいました(笑)!
やっと新しいHPを作れる環境になることが出来ました。こんどのHP容量は、今までの倍でありましておもっきり新しい企画ページを作る事ができます。
しかしです。1つ問題が出てきました。それはPC自体のメモリー容量が足らない事とハード・ディスクを増やさないともう…駄目という自体になってきたのでありました。一難去ってまた一難…とはこういうことを言うのでありましょうか!?
 さて、私の仕事も実は大変な事になっていたのでありまして、あまりこんな事は皆さんには関係ないことであるのは十分承知の上にあえて書かせて頂いているのは、9月4日のこのページで書かせていただいた印刷関係の会社をなんと私は、3日で辞めてしまったのでありました。
なんでこんなことするのと皆さんは人事ながらに思われると思いますが、最近の雇用問題を逆手に取ったような会社でありまして、所謂“リクルート方式”とでも言いましょうか、とにかくひどい扱いをする会社でありました。ちなみに一緒に入った社員3人と前の週に入った社員なども(もっと前から)みんな辞めていきました。とにかくそこの社長のワンマンさが原因でありました。
さらに、こんな所がかの“ハロー・ワーク”に堂々と載っているのですから、考えてしまいます。
そんなこんなで今私が働いております所は、以前と同じ職種の“インポート・ファッション”の会社であり、なんとか無事に半月を過ごすことが出来ました。
ただいまセール時期になっている関係上、休日出勤が多くなかなか“企画ページ”の作成には入れないのが現実ですが、これからも飽きずにこの未熟なHPを応援してください。
今日は、主宰者のつまらない“独り事”に付き合っていただき誠にありがとうございました。
 16/SEP/99  
 いやいや月日が流れるのは早いものでして、前回の"THE TOPICS OF A WEEK"から約2週間も過ぎてしまいました。この間私は、待望の(?)社会復帰を果たした関係上、ついホーム・ページ更新を怠ってしまったというのが本音であります(普通の生活とは2年間ほど遠ざかっていたためか、夜11時過ぎになるともう眠たくて…)。
 約束の1週間に1回更新という大前提が1回も守れないのではないかと思われるこの頃ですが、やはりこのままではいけないと思い新しい企画ページをと意気込んでみたところなんと・…、なんと私が契約しているプロバイダーのHP無料限度容量を越えてしまっているではありませんか!!
これにはただただビックリするばかりでした。こんなに使っていたかな〜と、振り返ってみると…、使ってますね!このHPメニューを見るだけでやたらに多い企画ページの数…(笑)。
 ということで、プロバイダーに問いあわせたところオーバーした分に関しては、すぐではないが自動的にオーバー分を消去するとのことでした。えらいこっちゃ・・・。
今この件に関して対処を考えておりますので、しばらくは新しい企画ページは出来そうにありませんのでそこの所は皆さんご了承よろしくお願いいたします。
では、対策が決まり次第この場を借りてご報告いたします。
 4/SEP/99 
 今週は、ちょっと私ごとで大変恐縮なのですが、ご報告いたしたいと思います。
実は、私は、昨年3月に極度の腰痛の為会社を退社いたしました。その後は、医師の薦めで“医学療法”と“スポーツ・リハビリ”を続けておりまして、やっと今年の3月頃に完治いたしました。
それからというものは、ずっと職探しを続けていたのですが、なかなか思うように探せずに現在に至っていたわけでありました。そんな中、やっとこのほどある印刷企画会社に就職が内定いたしました。
40代の親父でありながら、職を持たずに暮らせるものなら暮らしてみたいとは思いますが、財政状態が基本的にビンボーである関係上それも許されない状態の中、待望と申しましょうか、やっととでもいいましょうか、私を雇ってくれる会社を見つけることが出来て今は一安心というところです。
 思えば、今後どうなるのかという不安と戦いながら、PCと出会い、そして、ホーム・ページ作成という全神経を集中させる事の出来る趣味を持つことが私にとっての何よりの精神的リハビリでした。そして、何よりもホーム・ページ上で知り合うことが出来た人たちが今の私にとっては宝物に思えてなりません。仕事上の利害関係もなく、しかも、幼い頃の友人でもないのですが、同じ趣味を持つ仲間として良い関係を作ることが出来るなんてPCを知らない頃の私には考えられないことでありました。今は、本当にホーム・ページを作って良かったと思っています。
では、これからも皆さんと良い関係が続くことを祈りながら終わらせて頂きます。
ありがとうございました。
 27/AUG/99 
 週1回と言っておきながら、ゆうに2週間以上も経過してしまいました(笑)。
特に書き入れるTOPICSもなかったのですが、TOJI'S CLUBのレポートがあまりにも強烈でしたので、それに続くようなことも有りませんでしたので、書く気が起きなかったのも事実でした。
 ところで、昨日発売された「MODEL CARS」の”モデルカー・コンテスト”に名古屋のウエストさんが見事入賞されました。本当におめでとうございました。ウエストさんは、プロのモデラーでありまして、数々の作品を作られ販売されています。特に、60年代に活躍した私好みのレーシングカーを作られていますので、私にとってもうれしい入賞でした。
しかし、優勝、準優勝の作品も確かにすばらしいと思うのですが、ウエストさんの場合は、全て1から作った“スクラッチ・ビルド“であるのに対して、上位2台は、全て改造モデルであったことがどうしても納得できないでいます。この辺が、雑誌社の審査の甘さではないかと(または、盲点…)思えてなりません。ウエストさん、あえて言います。絶対、あなたが優勝でしたよ!
  「TOJI’S CLUB に参加して」(09/AUG/99)
 先週の土曜日、予てから楽しみにしていたかつての名ドライバー故「浮谷東次郎」のオフィシャルクラブである“TOJI’S CLUB”に参加してまいりました。
 私がこのクラブに入会したきっかけは、インターネットを通じてオフィシャルクラブの存在を初めて知り、書籍を通じて“浮谷東次郎”という人間に感銘したからでありました。
 私は、正直な話し、浮谷東次郎については、ほとんど知りませんでした。さらに、1965年8月、鈴鹿サーキットにおいて練習中に事故死したなどは、何年か前までは、まったく知りませんでした。
私のHPでも述べているように1966年の「第3回日本グランプリ」より、私の“くるま”人生が始まっております関係上、“浮谷東次郎”の活躍については後で知ったということになります。
 このクラブは、1977年に浮谷の友人や車雑誌社5社が発起人となって設立されました。
「カー・グラフィック」誌の当時の編集長だった“小林彰太郎”氏やかつての名レーサー“式場壮吉”氏、そして「無限」の社長であり、浮谷の親友だった“本田博俊”氏などが名誉会員となっています。
なお、当時のライバルであり良き友達でもあった“生沢徹”氏は、会員にあえて入らずに、時たま姿を現すということでした。いかにも、TETSUらしい(?)ではないでしょうか!東次郎ギャラリーには、東次郎亡き後、当時の友人たちが集まって撮った写真が飾られており、「生沢徹」「ミッキー・カーチス」「式場壮吉」「徳大寺有恒」などが笑顔で写っておりました(特に、ミッキー・カーチスは羽織袴姿であり、立川談志師匠に弟子入りした直後だったのでしょうか?)。
 クラブに参加して驚いた事がありました。まず最初に浮谷家の隣りにある教会において集合し、礼拝に全員参加したことでした。実は、東次郎の母親“和栄さん”(通称“おかあちゃま”)やお姉さんである“朝江”さんが大変信仰深いCHRISTIANだったため、ご自身で寄付された教会で礼拝をまず行ない、その後総会を始めるのがこのCLUBの慣わしだったのでした。私は、教会が初めてでしたので少々戸惑ったのは事実ですが、とても気持ちが良い感覚にある種の憧れを感じたのも事実でした。
 礼拝が無事終わり、全員で、教会のホールで昼食を取った後、最初の目的であった“東次郎記念館”の見学と続いくのでありました。
ここで私は、本でしか見たことがなかった今は無き“船橋サーキット”において、ホンダS600の生沢徹を逆転で下し優勝した伝説のシルバー・ボディにチェッカー・ストライプのついた“トヨタS800”とブリティッシュ・レーシング・グリーンにイエロー・ストライブの“ロータス・レーシング・エラン”を目の前にしたのでした。私は、ここで何か熱いものがこみ上げてくるのを感じずにはいられませんでした。
 その後、総会が始まり30数名が集まっていたのでしょうか、1人づつ自己紹介(私の場合ですが…)や近況を話しながら会は進んでいきました。
 みなさんの話しを聞いていて思ったことは、みんなTOJI’S CLUBを本当に好きで参加しているのだなと感じさせてくれたことでした。また、東次郎が鈴鹿サーキットで練習走行中に人影を見つけてそれを避けようとしてコーナーの柱に激突し、この世を去ったことに対して贈られた「イル・サマリターノ賞(ヨーロッパ交通遭難救助者懸賞会より)」についても、今後同クラブでどのようなやり方でいかにこの賞に恥じぬ活動をするかという真剣なディスカッションも行なわれ、本当に有意義な1日を過ごすことが出来たと思っている次第です。
 また、株式会社 無限の本田博俊氏にも会う事が出来て大変楽しむことが出来ました。
写真は、ミーハーな私が、本田氏にお願いして一緒に写真を撮らせていただいたものです。そして、無理やり書いて頂いた本田氏のサインを見ていただきTOPICSを終わりにしたいと思います。

いやはや、お互い“額が…(笑)”左が本田博俊氏。

本田氏に書いて頂いたサイン(絵がとても上手ですね!)

東次郎記念館見学で喜ぶ私。


 
GO TO TOP
GO TO HOME
E-MAIL

(C) 14/AUG/1999 BY HIROFUMI MAKINO