The Your Message for Hiroshi Fushida.
鮒子田 寛 ル・マン挑戦30周年記念特別プレゼント企画
皆さんから頂いた鮒子田 寛氏へのメッセージ&プレゼント当選者発表
当選者発表

 1) ベントレーピンバッチ 1名 : 安栄信男様

 2) 鮒子田 寛 1973年富士300Kmレースタイムアタック 生写真(四つ切りサイズ)
 1名 : 吉原慎治様

 3) くるま村賞 タイムスリップ グリコ 7名 : 花田 基様、S様、斎藤公利様、山田雅之様、小儀和宏様、片野 雅之様、田所博史様。

*1名プレゼント御辞退で総応募数10名でした。本当にありがとうございました。
これからもプレゼント企画おこなっていきますのでお楽しみに!!
賞品の発送は、順次行なってまいりますが少々お時間を頂くと思いますので御理解よろしくお願いいたします。

皆さんから頂いた鮒子田さんへのメッセージを紹介いたします。(順不同)
「鮒子田さん、おめでとうございます!!」
 この3年間で、毎年毎年確実にステップアップしていって今年は遂にポディウムの中央へ登り詰められましたね。
本当にご苦労さまでした。そして、おめでとうございます。
ご自身がドライバーの時よりもっとご苦労されたことと思いますが報われましたね。
今後は、日本に戻られるとのことですが今まで培ったノウハウを是非とも生かして頂き日本のモータースポーツ界が世界に対抗できるようご指導ください。
岐阜県の片野 雅之さんより
「鮒子田 寛 様 ベントレー,優勝おめでとうございます」
 まったく危なげのない走りで安心して見ることができました。
トヨタ7などで活躍されていた鮒子田さんがルマンに日本人として初出場された30年前のときめきが甦って,こみ上げるものがありました。
願わくば今後も「勝ち逃げ」せず,毎年素晴らしいライバルと栄光を競いつづけられることを願ってやみません。
今後のますますのご活躍をお祈り致します。
神奈川県の安栄信男さんより
「鮒子田 寛さん、ルマン優勝おめでとうございます」

 今年は鮒子田さんがルマンに挑戦されてちょうど30年目で、その年に偉業を達成されるなんてすごいタイミングですね。

鮒子田さんが初めてルマンに出場された年、私はオートスポーツ誌を毎月穴があくほど読んでいた高校一年生でした。あの当時のことは今でも鮮明に記憶しています。

予選で大健闘された記事と残念ながらリタイアされた記事が朝日新聞のスポーツ欄に載っていました。それだけ日本中が注目していたのです。

あの当時、私は3リッタートヨタセブン以来のトヨタファンでしたので、できればロータリーじゃなくて2-TGターボで出場して欲しかったのですが、その後のルマンでのロータリーの活躍をみるとあの時の選択は正しかったのですね。

RTNを退社され日本に戻られることをオートスポーツ誌の記事で知りました。鮒子田さんがこのまま第一線から退いてしまうとはとても思えません。
今後日本でどのような活動をされるかはもう決定されているのでしょうね。予想としては童夢へ戻られるのでしょうか?あるいはトムス?

日本人で初めてFー1、ルマン、アメリカンビッグフォーミュラーに挑戦された鮒子田さんですから、ルマン優勝マシンを造り上げたノウハウと英国レース界での人脈を活かして日本から世界に通用するマシン(できればFー1!)を是非造り上げ、そしてチャンピオンをとってください。すごく期待しています。

三重県の花田 基さんより
 始めまして、時々牧野様のHPを拝見させて頂いているSと申します。
今回のルマンは、中身は別にしても、ジャガー以来の英国車のビックネームの完全勝利でしたね。 英車ファンの私には、感動的でした。
又、HPに出ている鮒子田、林、舘、由良さん達の写真はもっと感動的でした。 当時、私もオートスポーツ、モーターファン等に首っ引きになっていた車少年でした。 その時の写真は、皆さん長髪、フレアードのスラックスでしたから、時間の経過を感ぜずには居られません。
夢追い人の”夢の後先”が、その笑顔に凝縮されている様で、当時以上に今の私には羨ましく、又、感動的に映りました。
日本のモータースポーツを引っ張ってきた方々のこれからの益々の発展とご健康をお祈り致します。 
東京都のSさんより
 鮒子田 寛様 初めまして吉原と申します。大阪でスロットカーに興じてる36歳です。
牧野さんのHPで鮒子田さんの事を知りメールさせて頂きました。すいません・・リアルタイムで知らないもので・・。 
このたびはルマン優勝おめでとうございます。
今年もテレビで観戦していたのですが、あまりのベントレーの速さ(強さ?)に驚きを隠せませんでした。
ブリティシュグリーンのカラーリングも50.60年代のルマンカーを彷彿させてかっこよかったです。1/24のプラモデルのキットがあったらゼヒ作ってみたいものです(笑)。
それでは。
大阪市の吉原慎治さんより
 この、HPを拝見するまで、鮒子田氏が、ベントレーに関わって居らしたとは、全く知らず、チーム郷と、マッチ!ガンバレ!で、今年は終わりました。
 僕にとって、レーサー鮒子田は、69日本CAN−AMの予選2位のマクラーレントヨタの走りです。
当日テレビの前にカメラを添えつけ、まず、川合氏の7を、パチパチと、続いて本命のマクラーレントヨタ!の番、ところが写ったのは一瞬!続いてリタイヤの映像!トホホッ
期待していただけに、当時の僕のガックシ度は計り知れなかった思い出があります。
近年になって雑誌で、外国のレストアラーがマクラーレンM12をレストア中、塗装を落とすとマクラーレントヨタが出てきたと言う記事を読み、当時を思い出していました。

何はともあれ、73年ルマン初挑戦からの悲願達成!おめでとう御座います。

徳島県の斎藤公利さんより
 私は21歳の大学生で、日頃は古いレーシングカーの模型を作ってる者です。
 まず、優勝おめでとうございました。ベントレーがルマンに復帰した年から、ずっと応援してきました。グリーンのボディカラーとかつてのグループCカーのような屋根付きのフォルムは近年のルマンカーの中で最も魅力的な車だと思います。
 今回、鮒子田選手がルマンへ挑戦されてから30年目の優勝となった訳ですが、大企業である我が国のマツダやスポーツカーの名門、ポルシェですら挑戦20年でようやく優勝と言う所へ鮒子田選手個人で挑戦30年目に優勝まで到達された事は、長いルマンの歴史の中でも類を見ない素晴らしい事だと思います。と、同時に、この優勝がルマンのクラッシック・イベントとしての権威を更に高める物だと思いました。改めてルマンと言うレースの歴史と凄さを実感しました。
随分と堅苦しい文章になってしまいましたが、これからもご活躍の方応援してます。
兵庫県の山田雅之さんより
「鮒子田 寛氏にコメントを送ってプレゼントをもらおう !!! に投稿させて下さい!」
 お久しぶりです、八王子の諸冨です。お元気ですか!
やりましたね!ルマン!!図らずも私の予想、予感が的中した結果になりますが、それもこれも鮒子田さんの30年間に及ぶ不屈の精神の賜物でしょう。
TOM`S GB時代、何年にも渡り英国に行ったきりの鮒子田さんを拝見しながら東京のTOM`Sに勤務していた私は「奥様やご家族の皆さんはさぞかし大変に違いない。ご家族こそ最高の協力者だ」と尊敬しておりました。

鮒子田さんや我が国のレース界の先駆者の皆さんはやはり今時の私のような平凡な人間とは良い意味で全く趣が違っています。
あれだけ優秀な皆さんなら別の発想に切り替えて商売に徹したらどんなにすごいビジネスマンだっただろうと思うこの頃です。が、またそこが一流であることの証でもあるわけです。
先般亡くなられた某映画監督にしても、日本の戦後復興に大きな功績を残したある総理大臣にしても決して晩年は裕福ではなかったそうです。
でもその偉業の影には必ず気丈な奥さんやお子さんの計り知れない協力が存在していたことは周知の事実です。
少年の頃の自分の夢を30年も40年も抱き続けて実現するということは何と偉大なことでしょう。人の生き方、生き様という難解なテーマに対する最高のお手本を身を持って見せて頂いたと思います。

鮒子田さん、本当におめでとうございます。そして奥様、お子様をはじめご家族の皆様、本当にご協力有難うございます。お疲れ様でした。私にはこう申し上げる以外言葉がありません。

東京都の諸富さんより
拝啓
鮒子田 寛 様

小生、神奈川県在住の1950年代半ばの生まれでありまして、子供の頃からのモータースポーツファンでもあります。

まずは、ベントレー スピード8 でのルマン24時間レースの完全制覇。本当におめでとうございます。
伝統のルマンには、1960年代の大昔風で云えばスポーツプロトタイプ。
近年の時代では、Gr.Cカーのようなルーフの付いているレーシングカーがやっぱり一番カッコ良くて、非常に似合いますね。

トヨタやニッサンがルマンから撤退してしまった現在に、優勝チームに係わっている鮒子田氏は、日本人としてとても嬉しく感じております。

私事で恐縮ですが、小生もフト気が付けば、いつの間にかいい歳の中年オヤジになりました。(笑)
・・・ですが、当時のレーシングドライバーだった方々は、今でも心の中では永遠にキラ星のように光輝くスター達であります。
    
鮒子田氏のレースシーンも、トヨタ2000GTやトヨタ7でのレースが一番印象に残っておりまして、失礼に当たるかも知れませんが、その洗練された速さとは裏腹に、ややツキの無さなども有ったように記憶に残っております。
結果がすべての勝負の世界にレバ、タラは禁句なのでしょうが、あえて云わせて頂ければ、もう少しトヨタ7の出来がよければレース結果も・・・。もし福沢氏や河合氏のアクシデントが無かったら・・・。
鮒子田氏がルマンやCAN-AMで大活躍をするのを見たかったと、今でも考えてしまします。

トヨタワークスやニッサン(プリンス)ワークスだった諸氏の中でも、色々な困難を覚悟の上で、あえて挑戦の場を求めて海外に飛び立った鮒子田氏や生沢氏などには、当時も子供心ながらに尊敬していた事が思い出されます。
そして少し事情が解かる年齢になった今では、資金・道具・コミュニケーション・習慣等々、どれ一つ取っても簡単ではなかった時代に、それでも尚、果敢に挑んでいった姿勢は、更に尊敬に値するという事を実感しております。

日本モータースポーツ史の代表的レーシングドライバー。そして現在でもモータースポーツを支え続けている鮒子田寛様。今後もますますのご活躍をされるよう、心よりお祈りさせて頂きます。

神奈川県の小儀和宏さんより
鮒子田寛様 
 私は昭和20年代生まれの者です。今を去ること30数年前からカーレースが好きでフジスピードウエイにも足を運んで観戦したことも有りました。 
ところが社会人となり日々暮らすうちいつしかカーレースへの関心も薄れていき最近は殆どレースもTVでたまに放映されているものを見る程度になっておりました。 

先日行われた2003ルマンのレース放映を見てベントレーチームの安定した走行ぶりに舌を巻いて見入ってしまいました。 まるで黒い弾丸(実際はダークグリーンだったそうですがTVでは黒に見えました(笑))が疾走するかのごとく安定した走行ぶりが目に鮮やかに残っています。 

そんな時に「くるま村」で貴方のHPを拝見し、初めて貴兄がベントレーチームカー制作のRTNオペレーション・ディレクターとしてルマンに参戦していたことを知りました。 
現在では世界を相手に活動することは当たり前の時代になりましたが、我々の世代の日本人にとって世界に挑戦するということは、それは大変なことだったと思います。 
長年に渡る挑戦が実を結び、RTNの一員として晴れてルマン制覇の偉業を達成された ことは同じ日本人として大変誇りに思います。 
ルマン制覇者として鮒子田寛の名前は永遠に記憶されることでしょう。 
同年代の先輩が頑張っておられる姿はとても励みになりますし、また喜ばしいことです。 
今後も日本のいや世界のモーターレース界の重鎮のとしてさらなるご活躍を期待しております。 

大阪の田所博史さんより

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