"THE TOPICS OF MY INSIDE" 
 身の回りで起こる数々の出来事や普段見落としてしまっている事柄、そして最近感じていることなどを中心に、自己中心的な内容ではありますが、主宰者のワガママとしてお許しください。

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 01/JULY/2002  素晴らしいエンジニア&カーデザイナーであるお二人のHP紹介

 下のコメントを見ますとなんと4月7日以降このページの更新をしておりませんでした。なんとも3ヶ月もの間「何をしていたんだ!!」とお叱りを受けること覚悟で再び帰ってまいりました。どうかお許し頂ければ幸いです。
さて、のこのこと出てまいりましたからにはよほどのことが・・・と期待されている(!?)方々もおられると思います。
まずは、1970年代「EVA CAN-AM」「MANA 08」「MAKI F-1」などで一躍時の人となったカーデザイナーの三村健治氏のWebサイトに何故か当方が70年代初頭に「東京レーシングカーショー」で撮りましたへたくそな写真を載せて頂けれることになった報告であります。
現在三村氏は、デザイン、設計などを全ての分野においてされるデザイン会社を経営されております。
その会社のWebサイトのリニュアールに伴い、三村氏の経歴のページを作られることとなり当方HPに掲載されている三村氏のデザインされたレーシングカー写真を是非ということになったわけであります。
http://www.mim-design.co.jp/imd2/history_before_mim-j.htm
私が中学生時代に世界のレーシングカー・デザイナーを目指した三村健治氏のWebサイトに載せて頂けたという事は本当に光栄な事と受けとめています。
そして、もう一人の日本の偉大なカーデザイナー。そう“林みのる”氏であります。
「童夢」。
この言葉の意味することは、日本において唯一世界に通用するレーシングカーを作るコンストラクターだということを意味します。あの伝説となった“カラス”から始まり、今や“ル・マン”における最大の“アウディ・イーター”としてこれからの活躍が多いに期待されています。
その「童夢」の公式Webサイトの中にありますリンク集に、なんとまだまだ未熟なアマチュアサイトであります私のHPが堂々と(?!)諸先輩方の公式サイトに混じっていつのまにかリンクして頂いておりました。
http://www.dome.co.jp/
本当に感激であります。
鮒子田 寛氏の親友ということでも親しみを持って頂けたのかなぁ〜などとおりますが、まさに主宰者冥利に尽きる思いであります。
しかし、思い返して見るとすべてこれらの夢のような出来事は普段から応援、叱咤頂いております皆様のおかげだとしみじみ感じております。
本当にありがとうございました。

主宰者
 07/APRIL/2002  素晴らしい作品を紹介いたします!!

TOP : It's the greatest art, I've ever seen it before !!
(C) Chaparral 2Es by Hiro Furusawa.
 これほどまで感激したレーシングカー・イラストはありませんでした。
昔、マイケル・ターナーの描いた'60sロータス49やフェラーリ250GTO、さらにモデルカーレーシングの古参であります“スケーレックストリック”のホームサーキット用ボックスアートで有名となったMINI クーパーレーシングなどの名画がありましたが、今回ご紹介する「テキサス・ロードランナー “チャパラル2E”」はそれらの名画を凌ぐ(少なくとも私にとってはですが・・・)素晴らしい作品だと思いました。作者の古沢氏は、こよなく60年代を愛するイラストレーターであり、氏の熱き思い入れを感じずにはいられない作品であります。
 11/FEB/2002  2002年も2月になりました!!
 皆さんお元気でしょうか!?
もうこのコーナーなど忘れ去られている事と思いますが、新たに「THE TOPICS OF MY INSIDE」として生れ変わり新規一転してスタートすることになりました(実はどうしても週間では無理と判断いたしましたのでご了承お願いいたします)。
 さて、遅くなりましたらが昨年はアメリカ同時テロ事件やその他思わず暗くなってしまうような事件が多発して本当に辛い1年となってしまいました。
しかし、「くるま村の少年たち」においては実に有意義な1年でありましたので、遅くなりましたが是非御報告したいと思います。
 まず一昨年の暮れに現在HP「鮒子田 寛 レーシング・ストーリー」でアドバイザーとしてお付き合いさせて頂いている“鮒子田 寛”氏との運命的な(!?)出会いがありました。次ぎに私に多大なる影響を与えて頂いたプロ・カメラマンであり、モーター・ジャーナリストでもある“ジョー・ホンダ”氏との出会いがありました。その後見崎清志氏からの感激のメールを頂いたりと本当に夢のような1年間を過ごさせて頂きました。
 特に鮒子田氏については昨年の1月から8月までの約8ヶ月間、本当に未熟な私のHP作成にお付き合い頂き、やっとのことでUP出来るまでなったのも全て鮒子田さんのご協力あっての賜物と思っております。
この場を借りましてお礼を申し上げたいと思います。
 それからこの未熟極まりないHPを本当に応援叱咤激励して頂いた皆さんの暖かいメッセージは、本当にHPを続けていく上で元気づけられました。元々主宰者ワガママで作らせて頂いている「くるま村の少年たち」ですから、少しでも「そうだ!そうだ!そうだった!」と思って頂けただけでこのHPを作った甲斐があったというものです。
では、どうかこれからもこのワガママなHPに応援、アドバイス宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。
主宰者
P.S.
 ところで、先月の2月27日についに30年間の沈黙を破ってサーキット場(と言ってもモデルカー・レーシングのですが・・・笑)でコントローラーを握りました。
それも仲間であり師匠でもあるDr.K氏の誘いで実現したのですが、スペシャルゲストとして偶然私のHP見てメールを頂いた鳥海志郎氏(1965年度オール関東モデルカー・レーシング選手権優勝者)も参加して頂き、本当に楽しい一時を過ごさせて頂きました。
この時の模様と鳥海志郎氏の独占インタビューは近々企画ページとしてUPしたいと思っております。
 25/AUG/2001 「TOJI'S CLUB 2001年総会報告」
 真夏の祭典といっても「鈴鹿8耐」ではありませんが、年1回の大事なTOJI'S CLUBが今月4日開かれました。
浮谷東次郎が亡くなってすでに36年が経ってしまいましたが、このTOJI'S CLUBが発足してこれまた25年という節目を今年迎えました。私も今年で3回目の総会出席でありましたが、今回25周年記念として開かれた総会は、いつもの浮谷邸教会ではなく、市川駅から歩いて2〜3分のところにある「山崎製パン厚生年金基金会館」で盛大に開かれました。
午前10時より3階会場でいつものように「感謝礼拝」がとり行なわれ、11時から総会が始まりました。そして、東次郎さんのお姉さんである浮谷朝江さんも元気に姿を見せていらっしゃいました。
今回名誉会員であります本田博俊氏御夫妻も参加されていて、とても活気のある総会となりました。
しかし、本田氏はお父様である故・本田宗一郎氏の11回忌のためあまり時間がないということで、異例ではありますが、総会の前に本田博俊氏のコーナー(!?)が開かれることになりました。
 今回は質疑応答の前に、本田氏の娘さんが歌手デビュー(!?)されたとのことで、自らビデオを持ちこまれ公開されました。御自身で「親バカだね!」と言いながらもとても娘さんを愛されていることが本当にわかり大変微笑ましい限りでありました。しかし、娘さんの歌唱力は親の本田氏が目を細めるのがわかるほどの本格派ジャズ・シンガーであり、とてもアマチュアだとは思えませんでした。本田氏も「将来僕らを養ってくれるかもね!!」などとおっしゃっていたところをみるともしやプロの道へ・・・などと考えてしまいました。曲名も「ルート66」や「フライ・トウ・ザ・ムーン」などスタンダードなものを得意として歌っているそうであります。

TOP : Hirotoshi Honda ( Leftside) and his baby!!
 その後、いつもの質疑応答の時間が組まれましたので、私も図々しくも2人目に質問させて頂きました。
その内容は、本日皆様の御協力あって無事開設2周年を迎えられましたことを記念して作らさせて頂きましたNEW WEB SITE「鮒子田 寛 レーシング・ヒストリー」内の「 あの鮒子田 寛氏に劇的インタビュー成功!!」に掲載させて頂きましたのでご覧頂けましたら幸いです。
さて、クラブの方は、その後総会の会計報告や役員改選(結局全員留任)へ、そして昼食パーティーへと続き、最後は浮谷邸の「トージロー館」でいつものヨタ8とレーシング・エランを拝見させて頂き無事お開きとなりました。
最後に、役員の皆様お疲れ様でした。来年も楽しい会が開かれることを期待して・・・・。
主宰者

TOP : THE 25th IL SAMARITANO TOJI'S CLUB IN 2001.
 16/JULY/2001  2001年7月と1967年7月の真夏のレースの物語!!
 先日新聞を見ておりましたら、思わず「おっ」と叫んでしまいました。
“日本人選手が大活躍 欧州F-3 英、仏、独で優勝飾る” 
 自動車レースの最高峰、F-1への最後の関門といわれる欧州各国のF-3選手権(2000CC)に出場している日本人トリオが7月7〜8日のレースでそろって優勝した。F-1はここ2年間、日本人ドライバーが不在だが、来季は複数のドライバーが出場する可能性もある。
 読売新聞社に入った連絡によると、英国F-3選手権第16戦(ブランズハッチ 2レース)で佐藤琢磨(24)(ダラーラF-3・無限)が優勝、7勝目を挙げた。フランスF-3選手権では、福田 良(22)(ダダーラF-3・ルノー)が第6〜7戦(ベルギー スパフランコルシャン)を制した。ドイツF-3選手権の第10戦(ノリスリンク)では金石年弘(22)(ダラーラF-3・オペル)が待望の初優勝を挙げた。
 3人は総合得点でも首位に立っており、「日本人トリプル王者」の可能性は高い。佐藤、福田の関係者は「現在、複数のF-1チームと来季の契約に向けて交渉中」と話し、金石の日本での所属チーム代表の鈴木亜久里さんも「一番はF-1行き」と話している。」
 いつかどこかで聞いたようなこの記事。私はふと今から34年前の1967年7月9日に行なわれたイギリスF-3選手権レース(ブランズハッチ・サーキット)で1日3種目制覇をやり遂げた“TETSU IKUZAWA”を思い出さずにはいられませんでした。
 奇遇なのは開催日が7月1週目の日曜日ということ、さらにレースが開催されたのが同じイギリス ブランズハッチ・サーキットでのレースだったというのも何かの縁でありましょうか(佐藤琢磨選手の場合ですが・・・)。
 しかし、今から34年前と現在とでは世界の日本に対する見方が随分違うし、外貨持ち出しも自由ではなかった時代、同じように比較はできませんが、やっと生沢 徹に続く日本人ドライバーが出現してくれたのかという気持ちが正直なところです。「頑張れ!!佐藤、福田、金石 !!」生沢の見果てぬ夢だったF-1ドライバーを現実のものにするのは誰になるのでしょうか。
さらに、日本人活躍の話題が先ほどHP宛てに届きました。
以前から、メールでお付き合いさせて頂いております宮野さんがついに自らの持つギネス記録であります「イギリス1周ギネスブック低燃費世界記録」を破り新記録を達成されたとの連絡がありました。本当におめでとうございました。
では、その宮野滋氏の報告レポートを御紹介いたします。


2001年イギリス1周ギネスブック低燃費記録挑戦報告
VWルポ3L TDI にて42.29km/リットルのディーゼルエンジン自動車新記録達成。
4つの総てのカテゴリーを制覇。6枚目の認定証を申請へ

by チームオーガナイザー 宮野 滋
1995年ディーゼルエンジンバイクエンフィールド・ロビンで71.18km/リットル
2001年ガソリンエンジン自動車ホンダ・インサイトで36.33km/リットル
2001年ガソリンバイクホンダCG125で74.44km/リットル

 そして残されたタイトルが、1991年に作られたダイハツ・シャレード・ディーゼル・ターボの36.54km/リットルのディーゼルエンジン自動車の記録だけでした。この記録を破る為には、もっと燃費の良い車が市販されるのを待たなければなりませんでした。挑戦を可能にする新しいディーゼル車が、VWルポ3L TDI です。100kmを3リットルの軽油で走る事ができるというヨーロッパ大陸での燃費表示方式から3リッターカーと呼ばれるルポ3L TDI は、ノーマルのルポに比べて、アルミやマグネシウムの素材を用い、エアコンやパワーウィンドウも廃した装備の簡素化により100kg近い軽量化を達成して、アルミブロックの1.2リッター直憤ターボディーゼルエンジン、5段セミオートマミッション等の特別装備でこの燃費を達成しました。
 このVWルポ3L TDI を使ってのギネスブック記録への挑戦にVWジャパン、VWUK、VWAG(ドイツ本社)の協力が得られ、マイクロロン・ジャパン、ゼンリン、ザナヴィ、エッソ石油のスポンサーにより、2001年6月28日ブライトンを出発、時計周りに大ブリテン島を1周して、7月5日にゴールというスケジュールが立てられました。
 今回は、6カ国から合計17人がチームを組んで走りました。4人×3チーム=12人が基本ですが、1区間のみしか参加できないメンバーや本社から派遣された2人のメカニック達にもチームのメンバーとしての栄誉を分かち合う為にこのような人数になりました。
それぞれのチームに日本語、英語、フランス語を母国語として話すメンバーを配置し、チーム間の連絡にそれぞれの言葉を話して短時間に的確に連絡を取り合う事を主眼に編成しました。1つのチームに1つの国の人間を集めるという昨年の編成方式では、各チーム間の連絡がおろそかになりがちだったのを反省しての変更です。
 もう1つの重要なテーマが、カーナビゲーションシステムの導入でした。VWも今年から音声ガイダンスと矢印による簡易型のカーナビを採用しましたが、液晶画面に道路を表示する日本式のカーナビを使う為に、ゼンリンのソフトを使うザナヴィのハードをサポートカーのVWパサートに装備しました。
 ルポに備わる燃費計は、小数点以下1桁の2.5のようにしか表示できませんが、VWが特別に装着したコンピューターには、瞬間燃費、平均燃費、平均速度、消費燃料量等を表示できます。特に平均燃費は、2.58のようにより詳しい表示が可能ですし、デジタル表示の瞬間燃費計は、ルポに備わるアナログ式の表示より、リニアに燃費が分かるので、最適の省エネ運転を心掛ける為に役立ちました。
 今回のチーム名は、「 Mad Scientist & Mavericks + Mighty Amanda 」。Amandaは、ドライバーとして3回目の参加となる故ブルース・マクラーレンの娘、アマンダ・マクラーレンの娘です。彼女は、有名なレーシングドライバーで、マクラーレンチームの創立者である父親の血を継ぎ、7月4日のスカボローからフォルクストンまでのチームBの第3区間で2.2という最高の区間燃費を2回も出して総合燃費を引き上げ、チームで最高の技量を発揮しました。
 南イングランドでは、渋滞に巻き込まれる事もありましたが、最終日にも燃費計の数字を2.48(リットル/100km)に伸ばして、ブライトンのエッソ石油の給油所に到着し、ギネスブックの規則に従って満タン法で計測した結果、6117kmを走って、合計144.64リットルの軽油を消費し燃費は、42.29km/リットル=119.47mpg=2.3646リットル/100km という結果になりました。一番燃費が悪いブライトンからエクセターまでの区間で既にシャレードの総合燃費を抜いていたので、後は、道路状況が良くなる後半に燃費をどれだけ伸ばすかが焦点でしたが、ここまでの結果を得られて非常に満足しております。」
 


 
 02/JULY/2001 “60年代が熱くなるぞ!!” 
 早いもので2001年もすでに半年が過ぎてしまいました。来月には早くも恒例の"TOJI'S CLUB"の総会が開かれます。
 ところで、私なりに今年の半年を振り返ってみますと実に実りの多い半年だったと感じています。
私の思い入れから「THE YOUNG SOLDIERS and TOYOTA-7」を書かせて頂いてから、あの偉大なドライバーであったF氏からメールを頂き、それを発端として新しい出会いがあり、そして現在新しい企画ページを大変遅いペースではありますが書かせて頂いている最中であります。
それも開設以来御協力を頂いている皆様のおかげだとつくづく思っているこのごろであります。
 また、モデルカー・レーシングの方も強力なスロット・モデラーの方々の御協力があって「再現第3号 モデル・スピードライフ」作成も順調に進んでおりますのでどうぞ御期待ください。
 ところで、前々回で報告させて頂いたと思いますが、尊敬するモータースポーツ写真家である“ジョー・ホンダ”氏が、前々から計画されていた「ジョー・ホンダ 秘蔵写真展」が来る8月4日から2週間、恵比寿にある「Mr.CRAFT」で開催されることになりました。
この写真展は、1960年代から70年代にかけて海外等で活躍した伝説の日本人ドライバーである生沢 徹、風戸 裕などを中心に、彼らの栄光と苦悩をカメラという第2の目を通して撮りつづけたジョー氏の魂の写真展であります。
この「ジョー・ホンダ 秘蔵写真展」については後日詳しく報告させて頂きたいと思います。
 いろいろな出会いの中であの時のあの人は今(TVでこんなタイトルがありますが・・・)的なお話もたくさん頂きました。
私はマスコミのネタになるような興味本位な受け取り方はとても出来ませんが、当時の理想的なカップルだったM.KさんとR.Oさんについて、特にその後のOさんの消息については、とても気になることではありました。
 ある方のお話しではOさんは現在、ファツション関係の仕事に附き、関西と海外を往復して、急がしい毎日を送っておられるとのことでした。そしてとてもお元気そうだったとのこと。素晴らしい第2の人生を送っておられるとのことで私としても大変嬉しく思えました。
では、この辺で。
主宰者
 12/MAY/2001  Nostalgic Hero誌に紹介して頂きました!
 私事で大変申し訳ございませんが、芸文社発行のヒストリックカー専門誌「Nostalgic Hero」Vol.85になんと未熟極まりない私のHP「帰ってきたTETSU」を紹介して頂きましたので、御報告したいと思います。
 先月、同誌より掲載要請を頂いた理由として、「プリンス・スカイライン特集」企画ということで、プリンス2000GTBに縁のある生沢徹さんのことを紹介していることが大きな理由となったということでした。
ノスタルジック・ヒーロー誌といえば、ヒストリックカー。特に日本の旧車についてはオールマイティな専門誌であります。
 このように権威ある車雑誌に紹介して頂けるようになれましたのも、返す返す皆様の多大なるご声援とご協力の賜物だと改めて感じさせて頂いている次第です。この場を借りましてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
最後に、この"Nostalgic Hero Net Surfin"ページに掲載されている紹介文を紹介させて頂き報告を終わりたいと思います。

プリンス・ホームページ
欲しい情報はホームページで見つけよう 第2弾  
SPECIAL EDITION PRINCE SPARKLING
 前回のケンメリ・ホームページ紹介は大盛況だった。役にたったというお便り多数。ということで、今回はプリンスの特集として、プリンスのホームページを紹介。いろいろな方面にあたり探したが、プリンスに限定したホームページは少なかった。
 そこで次ぎのようなホームページを紹介しよう。まず最初に「自動車技術会」。「自動車に関わる科学技術の進歩発達を図り、もって学術文化の振興及び産業経済の発展並びに国民生活の向上に寄与する」という目的で作られた社団法人。ここのホームページは車の情報量がとても多い。日本の自動車技術148選というページに行くと、名車がズラリと揃っている。見応えのあるページだ。
 次ぎに「帰ってきたTETSU」。ここではプリンスのレーサーとして活躍した生沢徹氏について詳しく書かれている。
彼の発言集やポスターまで、多岐にわたって彼の活躍が紹介されている。また、他のページにも60年代の情報が載っているので、そちらも見る価値ありです。


 22/APRIL/2001  もう4月も下旬になりました!でも、すばらしい出来事が・・・!!
 すでに桜前線は過ぎ去り、春満開の今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか?!4月22日、今日は何年ぶりでしょうか、田園都市線に乗って「桜新町」に行ってきました。何故にそんな所までとおっしゃる方もいらっしゃるとは思いますが、何を隠そう世界的プロカメラマンであります“ジョー・ホンダ”さんらで開催されている「高橋国光写真展」を見に行く為でありました。
「ジョー・ホンダ・波多野成章・金川浩之写真展 “レーサー 高橋国光の世界」〜栄光のレーサー42年史」
会期:4月12日〜22日
会場:桜神宮(桜新町)
 “ジョー・ホンダ”。 この名前が私の人生に与えた影響力は計り知れないものがありました。
小学校6年生の時に初めて手に入れた月刊「AUTO SPORT」誌の表紙を飾っていた当時ホンダF1のエース・ドライバーであったジョン・サーティーズの写真から始り、インディ500、CAN-AM、F1、そしてル・マン。
今回の写真展で感じたことは、現在の全ての私を形成させている原点は、今考えてみるとジョーさんの写真による影響力が非常に大きいことに今さらながら気付かさせて頂いたことでした。


(TOP Leftside : Kunimitsu Takahashi ) (TOP Rightside : Joe Honda and I )

 さて、今回の写真展の目的は、日本モータースポーツ発展のためのイベントであるだけでなく、八丈島チャリティを含めたチャリティ・イベントでもありました。1960年代から70年代にかけて、日本のモータースポーツを支えてくれたレーシング・ドライバーたちにスポットを当てたこの第1回目に当たる写真展は、ジョー・ホンダさん以外にもアマチュアカメラマンである波多野成章氏と金川浩之氏が参加し、30数年に及ぶ高橋国光さんの栄光の軌跡をそれぞれ思い入れのある写真により表現された大変芸術性の高い展覧会であったのではないかと思いました。
 さらに、高橋国光さんのトーク・ショーもあり、「第4回日本グランプリ」でのあの生沢さんとの熾烈なトップ争いにおいての秘話などの語って頂き、大変有意義な一時を過ごさせて頂きました。
 今後の予定としては、年内に60年代から70年代にかけて活躍された歴戦の日本人レーシングドライバーの写真展を開き、日本におけるモータースポーツの原点を確認してもらうことはもちろん、これからの日本モータースポーツの発展につながる活動をしていきたいとジョー・ホンダさんは語っておられました。
お話しによると、“生沢徹”さん、そして“風戸裕”さんの写真展の御予定があるとか・・・・。なんとも楽しみな写真展ではないでしょうか。当HPでは、微力ながらその際には協力させて頂くつもりであります。
ジョー・ホンダさん頑張ってください。

( Top Leftside : Kunimitsu Takahashi and I ) ( Top Rightside : From Kunimitsu to I !? )
 18/FEB/2001  もう2月も終わりになってしまいました?!
 前回から、すでに1ヶ月半が経過しており、更新ままならない自分がつくづく情けなくなってしまいました。
・・・と言いながら、いきなり友人(すみません、友人にさせて頂きました)のTOMさんのすばらしい作品を御紹介しようと思います。
 映画「栄光のル・マン」が上映されてから、すでに30年が経過しているのに、今尚人気なのは、ひとえに製作・主演を演じました“スティーヴ・マックイーン”の情熱がそうさせているのではと思います。
その「栄光のル・マン」で、一番光っていたマックイーンとその愛車であった“ポルシェ917K”を題材として製作されたのが、TOMさんの力作であります。

 TOP: A 1/32 scale Porsche 917K and Steve Macqueen at LeMans in 1970. (C) Modeling by TOM
1/32スケールというスロットカーとしては、とても小さいスケールではありますが、そのリアル感は抜群であります。
私は、特にフィギュアの製作に注目したのですが、その瞬間的な動きを実に見事に再現していることに驚きを隠せませんでした。そして、マックイーンがそっとジェット型ヘルメットの紐を縛るところなんか心憎いポーズではないかと思いました。人間をモデル化するというのは、とっても難しいことだと思ってましたから、TOMさんの製作技術の高さにはただただ敬服する次第です。詳しくご覧になりたい方は、こちらへどうぞ!
 また、その企画ページの中に、なんと私のHPの中にある「くるま村の映画館 “栄光のル・マン” スティーヴ・マックイーンの真実」もリンクさせて頂きました。本当にありがとうございました。
 TOMさん、これからも、すばらしい作品を作り続けてください。
主宰者
 4/JAN/2001  新しい21世紀に乾杯!!
 皆さん、明けましておめでとうございます。
旧年中は、いろいろ御協力頂き誠にありがとうございました。そして今年3月を過ぎますとHP開設3年目に突入するという、最初は思ってもみませんでした事が起きようとしております。これもいろいろ御指導頂いた皆様のおかげと感謝している次第であります。
 今年は、新しい世紀である21世紀ということで、いつも以上に気持ちを引き締めて頑張ってHPを続けて行く所存であります。どうぞこれからもこの未熟極まりない私のHPを宜しくお願いいたします。
 さて今回は、新年と言うことで、元旦に頂きました大変すばらしいアート・デザインの年賀状、または、年賀メ―ルを紹介させていただこうと思います。もちろん、お名前は、伏せさせて頂きますので、作者の皆様、どうかお許しください。


 
・・・ということで、そのアイデアもさることながら、なんとすばらしいアートでありましょうか。
 本当に、皆さんの熱き思いが伝わってくる年賀状であります。
 ありがとうございました。
主宰者


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