COMEBACK TETSU !! 「帰ってきたTETSU」 やったぞTETSU!! 33年前の再現なる!! ニュルブルクリンク 熱い24時間の戦い!! Nurburgring 24 hours race in 2000 !!
まるで、1967年に書かれた「チェッカー旗はまだか」の続編のような内容で大変感激しました。 「33年前の面影をグランドスタンド前にわずかに残しているとはいえ、まったく変わってしまったニュルブルクリング。 ・・・・・・オーゼンマイヤーが、ヌヴォラーリが、ラウダが、そして俺が33年前にホンダS800で走ったあの“本物の”ニュルブルクリングのコースが。いよいよ1周23kmのオールドコースへと心は逸る。 ・・・・・・ホンダファンであるオレと、親友であった浮谷東次郎と一緒にS600を買ってしまうのである。じつに40年近く前のことだ。 そこから2人のS600での鈴鹿通いと、そのS600でのレース出場が始まるのである。まさに青春真っ只中。・・・」 レースの詳しい内容については、「AUTO SPORT」誌No.801 7/27号にも書かれておりますのでご覧くだされば幸いです。TETSUさんの元気な姿が見れます。 また、TETSUさんが参加したチーム・スプーンのホンダS2000は、33年前にTETSUさんが乗ったホンダS800と同じホワイトに日の丸のカラーリングでありました。ゼッケンも主催者の粋な計らいで「NO.58」が用意されており、まさに、33年前の再現でありました。 地元のプレス・リリースでも、TETSUさんのことは話題となっていたそうで、33年前につけられた“RISING SUN”というニック・ネームが今だに使われていたとのことでした。 ところで、この「Nurbrugring24時間レース」は、300台にも及ぶ参加車があり、そして数え切れない“クラス”分けにより構成されたレースでありました。さらに、33年前と同じ25.51kmのフルコースを使用している事に驚きを感じると共に、なんとも懐かしさと嬉しさを感じてしまうのは40半ばの私のようなおじさんだけでしょうか。そこをTETSUさん組のホンダS2000ロードスターは、10分前後のタイムで1周するのですから途中でのトラブルは今も昔も即“リタイヤ”を意味し、過酷なレースであることが分かります。 ちなみに、同コースを使用した33年前のマニファクチャラーズ選手権レース「ニュルブルクリンク1000kmレース」において最高ラップを出したのは、とうじの革新的マシンだった「チャパラル2F」の“8分42秒1”でありました(1周22.8kmで、今回と若干違うコースだったことが分かります)。
(C) 28/APRIL/2000
TETSU IKUZAWA
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