“3連勝”
第4回日本グランプリを制した後のTETSUの活躍は目を見張るものがあった。前年まで初期的なマシントラブルで完走すら出来なかったのが嘘のよう。
日本からわざわざ持ち込んだ“ホンダS800”と現地で調達した“ブラバムF3”は快調そのもので、確実に上位にTETSU
IKUZAWAの名が顔を出すようになってきた。そして、圧巻だったのが7月9日にイギリス ブランズハッチ・サーキットで行われたクラブマン・レース(M.M.K.M.C.Clubman's
Car Races)だった。
当初、F-3レースとマーク・スポーツカーレースのみに参加する予定だったが、F-3レースで初優勝(しかも、ポールポジションと最高ラップを獲得)を飾ると、続くスポーツカーレースでは、ホンダS800を駆って、予選3位からスタート、コブラやスペシャルMG-B、ジャガーEタイプらとデッドヒートを展開し、総合3位クラス優勝(1150cc以下)を勝ち取ってしまう。さらに、当初出場予定のなかった第3レース“フォーミュラ・リブレ”レースにも余勢をかってブラバムF-3で出場。相手はロータス40やマクラーレンF-1に4.7リッターエンジンを搭載したお化けマシンたち、予選を走っていないTETSUは最後尾からスタート切る。このレース、TETSUに勝ち目はないと思われた。
ところが、スタートがまず大成功で、第1コーナーまでに出場車のおよそ半分を抜いてしまった。そのあとも、抜きまくって5周目くらいにはなんとトップに立ってしまった。我ながら不思議な気がするほどだったが、そのまま独走して優勝ーーー3連勝をとげてしまったのである。おまけにまたも最高ラップを獲得した。
西川さん(ホンダS800のメカニックをしてくれていた人)も、イギリスの来て最初のレースでホンダS800が勝ったので大喜びだ。ステーブルス(TETSUのチーム)の仲間たちも、いささか呆れ顔で「おめでとう」を言ってくれる。
ホンダS800のタイヤはブリヂストンのレーシングを使っているが、当初はちょっと不安だった。日本の新しいサーキットと違って、こちらのコースは古くてツルツルになっているので、果たして大丈夫かと思ったのだ。
だが、日本のレーシング・タイヤは本場でも決してひけをとらないことを実証してくれたわけだ。
今日みたいに1日でいくつものレースに勝つなんて、昔、鈴鹿あたりで浮谷(故 東次郎選手)と二人で賞品をさらっていたころのことが、ふと心に浮かんだ。
*(1967年三栄書房発行「AUTO SPORT」9月号 生沢 徹手記「日本人ドライバー ただいま奮戦中 ヒノキ舞台は目の前だ!」より引用活用) |
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F-3 in England.
(C) Photographs
by Joe Honda.
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