TOP : Shihomi Hosoya and his TOYOTA 7.
トヨタ7と私
"Shihomi Hosoya and TOYOTA 7" 

by Shihomi Hosoya 

 バトンタッチ!!

 トヨタ7がピットロードに入ってきた!そして、ピット前でストップしたトヨタ7から今回ドライバーを務めた“細谷四方洋”氏がコクピットから降りるやいなや20mほど前にスタートを待つ“オリビエ・パニス”搭乗のトヨタF-1の方へ向かい走り出した。細谷氏はトヨタF-1に近づくとおもむろにオリビエ・パニスにタッチ!!それを受けてオリビエ・パニスは猛然とトヨタF-1をスタートさせて行った。これはまさにトヨタ・モータースポーツの原点からの聖火リレーではないか!!(下画像)
 興奮醒め止まない細谷氏に今回特別にコメントを頂いた。


TOP : To O.Panis from Shihomi Hosoya.
(C) Photograph by AUTO SPORT.(写真提供:オートスポーツ三栄書房)
 
 まず本日お忙しい中トヨタ7の走行を見に来て頂いた方々にお礼を申し上げます。
そして、ヘアピンなどでトヨタ7が来るのを待っていたファンの方々には大変申し訳ない事をしましたが、練習中には周回したのですが、足回りが完璧ではなかったので大事をとってストレートだけの走行にしました。
トヨタモータースポーツフェスティバルにおいてのトヨタ7のNAエンジン音は当時を知る私にとっては完調とは言えませんでしたが、情熱と熱意でここまで仕上げたエンジニアの方々にお礼を申し上げたいと思います。
 今回、ストレートだけの走行でしたが、6000回転まで注意しながら走りました。
我々は全盛時代、トヨタ7の一番最高の時に乗っているのでどうしても今日の車はかなり当時よりパワーダウンしていたと感じました。
いろいろなところのガタ付きは30数年の年月が経っているのだからしょうがないとは思っています。
トヨタ7は30数年前のものですが、私自身の身体は今でもハンドリング感覚とか車の応答性などはしっかり覚えています。例えばミッションのシフト感覚はちょっと違っていました。しかし、V8エンジンのトルクは流石だと感じました。
それから当時を良く知る方々はお気づきでしょうが、リアタイヤ径は当時の方が大きいです。
私は思うのですが、トヨタ7という車は、2座席でカウリングを付けただけのレーシングカーで、CAN-AMのレースの精神、最高速度の最高馬力の精神というか、後は無制限だったCAN-AMレースのために生まれたと言っていいこのトヨタ7を今さらながら凄い車だったと感じずにはいられませんでした。
ところで、今回走ったトヨタ7はNAエンジンで600馬力のものですが、当時あったターボ付きモデルは公称800馬力でした。しかし、この公称馬力はウソ800馬力で、試験に携わっていた私はネット854馬力は確実に出ていたことを知っていました。実際はターボ圧の調整ネジを回せば1000馬力も可能でしたが耐久性はかなり悪くなります。
当時のデータでエンジンだけでの12時間テストをした記録を私は持っていますから確かです。さらにそれはおさえ気味の馬力でしたから・・・。
 今後私が望む事は「ミッレミリア」におけるメルセデス・ベンツのスターリング・モスと300SLRのようなに会社を上げての体制を望みたいと思っています。モスは全力で古い300SLRを走らせています。
今のトヨタも1部のエンジニアがトヨタ7を手がけるのではなくベンツのように歴史をもっと前面に出せるようになれば世界がもっと認めるようになるのではと考えています。
 最後に一つ、私のヘルメットとレーシング・スーツはマッドハウスの杉山さんがヘルメットの内装の作り直しと、当時そっくりのスーツを作ってくれました。本当に感謝しております。
冗談ですが、私のこのヘルメットは外装は当時のままですので正味切れのヘルメットだと言えますね。
そして余談ですが、このジェットヘルメットは実は69年まで使用していたもので、このニュー7からはフルフェイスに変えていました。
by Shihomi Hosoya 

GO TO NEXT PAGE
次ぎのページへ続く

GO TO THE HISTORY OF SHIHOMI HOSOYA
細谷四方洋プロフィールへ行く


GO TO TOP

GO TO MENU

(C) Photographs by Hirofumi Makino.
(C) Special thanks by Shihomi Hosoya.