“始動!!” 
 
 グググォ〜ン!!凄まじいエンジンサウンドがピット内にいる私の鼓膜を刺激する。
しかし、不快感をもよおす音とは違い心地良い響きである。昔、TVやレコードを通じて聞いたトヨタ7の音とも違う。
腹の底から響くマクラーレンM12のアメリカンV8サウンドともまた違う。今のF-1V10サウンドとはまったく異質なDOHC V8独特のアナログ・サウンドとでも言ったら良いのだろうか。そうかと言って機械的過ぎるほどでもない独特なヒューマニティ・サウンド。そう!!とっても人間臭さを感じる音なのだ。
 そして今、32年間の沈黙を破って幻の“トヨタ7”が富士のコースを走ろうとしている。ドライバーも当時のチーム・トヨタ キャプテンの“細谷四方洋”氏だ。この走行は、来るべきCAN-AM挑戦を控えた1970年8月の富士1000Kmで、ターボ・チャージド トヨタ7 2台とNA トヨタ7 1台とのデモンストレーション走行以来となる富士なのだ。
 ピットには、先日の“グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード”でトヨタ7のステアリングを握ったトヨタ自動車 斉藤福社長も応援に駆けつけている。(右写真 細谷氏とのツー・ショット)
さらに、当時の“チーム・トヨタ”のメンバーも応援に駆けつけている。3リッタートヨタ7時代、数多くの勝利をものにした“大坪善男”氏、トヨタ2000GT時代に細谷氏と共に活躍した“田村三夫”氏、2000GTタイムトライアルにも参加し、初期のメンバーであった“津々見友彦”氏、俳優としても鳴らし、69年日本グランプリでトヨタ7のステアリングも握ったスター“見崎清志”氏、ダイハツからトヨタへここ一番での速さを示した“久木留博之”氏、そして、元TMSCR(トヨタモータースポーツクラブレーシング)社長の“高橋利昭”氏。凄いメンバーだ。これにイギリスにいる“鮒子田 寛”氏が参加されていたらもう何も言うことはない。
 11月24日午前10時30分少し前、いよいよトヨタ7がメカニックに押されてコース上へと向かう。
ふと横を見ると今や日本コンストラクターズ・ユニオン会長でル・マン24時間レースの解説者としても有名なカー・デザイナー“由良拓也”氏。そして、「トヨタが北米を制する時」を書かれた作家“高斎 正”氏。さらに、プロのレースファンと自称する“山口正巳”氏なども集結している。オールド・ファンが揃って童心に戻り、真剣にトヨタ7を見つめている。
 トヨタのモータースポーツを語る上で、“チーム・トヨタ”の存在はまさに原点だった。
1966年に開かれた「第3回日本グランプリ」で事実上結成されたトヨタ自工チームは、今までの自販チームとは違い、開発と共にレース活動を行なうファクトリーチームであった。そして、トヨタ2000GTの市販を翌67年に控えたトヨタとしては是非この日本グランプリでの活躍が必要だった。
さらに、本田技研(現 ホンダ)が世界のF1選手権に64年から参加、65年の最終戦「メキシコGP」では念願の優勝を飾っていることからも、世界を目指すトヨタ自動車としてはモータースポーツを真剣に考えなくてはならなかったのも事実で、丁度それが1966年だったのではと想像される。
 1963〜64年にエースドライバーとして活躍した式場壮吉氏が引退、さらに将来が期待されていた浮谷東次郎氏が65年8月にテスト中に死亡。そんな中、当時トヨタの社員でもあった“細谷四方洋”がキャプテンとなり「チーム・トヨタ」は誕生した。

“2002年 時代は動いた!!” 

 あれから33年。1970年をもって事実上解散した「チーム・トヨタ」が再び動こうとしている。
そして、幻のマシン「トヨタ7」が今ここに静かにその時を待つ。
今年2002年は、トヨタがフォーミュラ・ワンの世界にオール・トヨタで挑んだ記念すべき年だ。
同時に33年前のモンスター・マシン「トヨタ 7」もあの怪獣ゴジラの如く蘇ったのだった。時代がそうさせたのかはわからないが、5リッターV8エンジンは再び雄叫びを上げた。
(右画像は、トヨタ・モータースポーツ・フェスティバルでトヨタ7に乗りこみスタートを待つ細谷四方洋氏)


TOP : The TEAM TOYOTA's drivers of ceremony. 
A Captain"Shihomi Hosoya", Mitsuo Tamura, Tomohiko Tsutsumi, Yoshio Outsubo, Toshiaki Takahashi, 
Hiroyuki Kukidome, and Kiyoshi Misaki. from left side.

TOP : 栄光の“チーム・トヨタ”の面々。
左から、見崎清志、久木留博之、高橋利昭、大坪善男、津々見友彦、田村三夫、そしてキャプテン細谷四方洋。
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(C) Photographs, textreport by Hirofumi Makino.