and TOYOTA-7 Vol.1 Vol.2 “トヨター7”と共に生きたチーム・トヨタの若き戦士たちの栄光と影!!
TOP: The 2nd JAPAN CAN-AM at TV in November
23rd 1969.
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1968-1970 進化する“TOYOTA-7”
初めて公式の場に“トヨタ―7”が登場したのは、1968年2月3日の晴れわたった鈴鹿サーキットでありました。 当初はトヨタ2000GTに搭載されていた直列6気筒DOHCエンジンを積んでの登場でありましたが、すぐに新開発のDOHCV8 3000CCエンジンに載せかえられたマシンが登場することになります。 当時トヨタのライバルであったニッサン・チームが5リッタ―級のビッグ・マシンを製作中という情報はすでにチーム・トヨタに伝わっていたのでしたが、あえてトヨタは、耐久レースを主体としたFIA世界メーカー選手権(マニファクチャラーズ・チャンピオンシップ)を眼中に入れての3リッター・マシン製作でありました(1968年より、マニファクチャラーズ・チャンピオンシップは、エンジン排気量が3000ccまでのプロトタイプ・マシンと5000ccまでの年間50台生産義務のあるスポーツ・カーとによってチャンピオンシップが争われるレギュレーションに変更されていた)。例えば、同時代のポルシェ908スパイダーが3000ccプロトタイプカーに、50台生産されていたフォードGT40(5000cc)がスポーツカーとしてそれに該当すると言えます。 ヘッドライト装備のトヨタ―7は、スペアー・タイヤこそ装着されていませんでしたが、正にプロトタイプ・カーそのものと言えました。ところが、1968年の日本グランプリのレース・レギュレーションが発表されてみると、その内容が昨年までのFIAマニファクチャラーズ・チャンピオンシップ中心の規定から、なんとアメリカで当時大人気であった「CAN-AMシリーズ」のレギュレーションである排気量無制限のグループ7規約に変更されていたのでありました。 これにはニッサンはおろか、トヨタもビックリでありました。当初ニッサンは自社開発のウイング付き「ニッサンR381」を、屋根付きのクローズド・ボディとして開発を進めており、どちらかというと前年のチャパラル2Fという感じでありました。 しかし、レギュレーションの変更に伴い、R-381の屋根を取り去り、さらにスペア―・タイヤ装着の義務もなくなった為、リヤ・エンドをショート・カットしたオープン・ボディに急遽改造されたのは当然のことと当時は受け取られました。 対するトヨタは、とりあえず現行のスタイルを維持したまま開発を進めることになったのは対照的でありました。 下の写真は、鈴鹿に初登場した時の“TOYOTA-7”から日本CAN-AMに出場した時までのTOYOTA-7の変貌のスナップであります。 |
The 2nd style !! |
A first race of TOYOTA-7 in the 68' JapanGP. |
A other style of TOYOTA-7 in the 68' JapanGP. |
A mystery TOYOTA-7 coupe.
Sachio drove this car that he was die in 1969. |
“5000ccの魔術!”
1969年、ついにトヨタは、それまでのFIA世界選手権用マシン、すなわち対"LE MANS"用マシンの開発から、当時爆発的人気を博していた“CAN-AMシリーズ”用マシンの開発に路線変更をする決断を下したのでした。 そして、生まれたのが5000cc DOHC V8エンジンを搭載した“TOYOTA NEW 7”でありました。 下の写真は、当時「AUTO SPORT」誌がヤマハ・テスト・コースにてスクープしたまだクローズ・ド・モデルだった頃のTOYOTA NEW 7であります。あの福沢幸雄がこの世を去ってから2ヶ月後のことでありました。 当時は、今と違いとにかく各メーカーは極秘にマシン開発を続けており、またその情報を掴む雑誌社もまた必死でありました。私たちはそんな「AUTO SPORT」誌の情報を毎月楽しみにしており、この偉大な雑誌をバイブルのように慕っていたのもこれまた事実でありました。 |
Zoom up !
We could find "Big TOYOTA-7" !! In April 9 1969. |
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Topleft: A group 7 style's TOYOTA NEW 7 in Fuji.
Topright: TOYOTA NEW 7 at Fuji 1000kms race in 1969. Leftside: The winning TOYOTA NEW 7 at NET speed cup. |
Rightside : The CAN-AM KING !! McLaren M8D in 1970.
We were looking forward to a dead-heat between TOYOTA-7 and McLaren
M8D in CAN-AM !!
A special demonstration parade of Turbo Chaged TOYOTA 7 in Fuji 1000km.
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TURBO CHARGED TOYOTA 7 in Fuji 1000kms race 1970.
<TECHNICAL INFORMATION> CHASSIS : Alminium multi-tubular spaceframe BODY : Carbon fiber and FRP TYRES : Firestone Indy ENGINE : Toyota Type : Turbo chaged V8 Bore x Stroke : 102mm x 76mm cc : 4986 HP at rpm : 800/8000(DIN) kg-m at rpm : 74/7600 Turbo chaged : Dual Cooling system : Water Length of car : 3750mm Width : 2040mm Height : 840mm Weight : 620kg(dry) (C) Photographs by Naofumi Ibuki |
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(C) 26/SEP/2000
Photographs by Naofumi Ibuki
(C) 26/SEP/2000
Text reports by Hirofumi Makino