TOP : Sachio Fukuzawa and his TOYOTA-7 in 68' Nippon CanAm at Fuji.
1/20 scale Bandai model "TOYOTA-7"
Built and modified by Minoru Nogami.
プロローグ 

 仕事が忙しいとき、サチオは東京・青山のアパートに寝泊りした。ここは、サチオのいわば“前線基地”だった。
サチオの肩書きはたくさんあった。 まず、“レーシングドライバー”。 そして、ファッションメーカー“エドワーズの取締役 企画部長”。 さらに“男性モデル”。 ---------仕事の都合で夜遅くなることも多かった。

 12月2日。午後2時からTBSテレビの“ヤング720(セブン・ツー・オー)”のビデオを撮る予定だったが、スケジュールが変更されて午後9時からになった。
 朝9時ごろ、東京の“前線基地”で目を覚ましたサチオは、遅い朝食をすませて、九段のトヨタ自販ビルの地下にある トヨタ・モータースポーツ・クラブ(TMSC) の事務所へ向かう。 足は トヨタ2000GT だ。 地をはうようなスタイル。 街の中を走っていると、通行人の視線が集まる。

 
 
 上の文章は1969年に三栄書房より発刊された「コースにかげろう燃えて」より抜粋引用させて頂いたものだ。
生沢徹の「チェッカー旗はまだか」、田中健二郎の「走り屋一代」、そして、滝進太郎の「走れレーシング・ビジネス」などと同じ“カーライブラリーシリーズ”の中の一冊である。 ただし、本人はすでにこの世を去っていたため、編集部での編集であることが他の作品とは違うところだ。
しかしながらあまりにも カッコよすぎる サチオのある一日である。 今だに サチオ のファンが多くいることがわかる気がする。

 福澤幸雄はご存知の通りあの“福澤諭吉”の曾孫である。 昭和18年6月18日、フランス・パリで生まれ、当時、フランス大使館に勤務していた父 進太郎氏とギリシャからパリへ歌の勉強にきていたアグリヴィーさんとの間に生まれたのがサチオだ。
帰国子女のサチオは慶応義塾の法学部を卒業した後はモータースポーツに惹かれるものの両親の反対で実現できず日本と海外を行き来する日々が続く。

 そして、遂に1965年の全日本クラブ選手権(CCCレース)にいすゞチームの一員として参加しそれ以降ベレットでのレースで頭角を現し存在感を示し始めた頃、トヨタのレース首脳たちの目にとまり、1966年1月から正式にトヨタ・ファクトリーの一員となる。

 レーシング活動と同時にサチオはファッション分野でもエドワーズの企画のためにヨーロッパに視察に出かけビートルズ以降ファッションの発信地となっていたロンドン カーナビーストリート&リバプールのカルチャーを細かく日本に発信していた。
また、サチオは当時日本で爆発的に流行していた“グループ・サウンズ”にも影響を与えていた。 ザ・スパイダースなどが好んで着ていた“ミリタリールック”はサチオがムッシュかまやつ氏などに世界のファッション情報を与え続けた結果生まれたファッションだという。

 1969年2月12日午前11時45分。 快晴。 無風。 クローズド・ボディのトヨタ7は、突如コントロールを失って土提に激突し、炎上。 サチオは息絶えた。
あまりにも突然の出来事とその後泥沼化したトヨタと福澤家との裁判は当時話題となった。

 そんな サチオ が我々に残した軌跡は数え切れない。 その一つが1968年11月23日に富士スピードウェイで開催された「富士ワールドチャレンジカップ 200マイルレース」通称「日本CanAm 」であった。 同年の5月3日に開催された「68年日本グランプリ」に念願叶い出場した サチオ は、途中総合2位まで上がるもリタイヤとなる。 そのリベンジとして臨んだのがこの日本CanAmレースだった。 
 サチオはこのレースに賭けていた。そして、サチオ は、並み居る本場CanAm野郎たちと堂々と戦い日本人最高位の総合4位となり、名実と共に“チーム・トヨタ”のエースドライバーに登りつめていったのだ。

 今回、 モデラー “野上 稔”氏がその時のサチオ の愛車 “トヨタ 7”を1/20スケールで再現され、先日の“ホビーフォーラム2016”で初展示されたので詳しくご紹介したいと思う。 そして、快く御協力いただいた野上氏にこの場をかりてお礼申し上げたい。l
 

TOP : Fantastic !!
1/20 scale "68' Toyota 7"


TOP: What is this ?
Reproduce the details. This is a great place for the nogami model.

ここまで再現するとは流石です!
TOP : Sachio's #32 Toyota 7 with Ohtsubo's Toyota 7 of 68' JapanGP.
Mr. Nogami made these two units.
 
 
野上氏にインタビュー

Bontaro : 素晴らしいサチオのトヨタ7を見せて頂きありがとうございました。 ところで、今回の製作でご苦労されたところはどこでしょうか?
 
野上氏 : 今回の苦労はやはりヘッドライト部の製作でしょうか。キットは位置も形も違いますので、作り起こさねばなりませんでした。 エポパテで埋めて新たに穴を開け、内部は240Zのライト部を移植しました。
切り出した部分はライトカバーの雄型にしてヒートプレスをしてライトカバーを作りました。

Bontaro : なるほど。 バンダイキットは日本GP仕様だったわけでかなりの改造が必要だったわけですね。
それから、トヨタ7の特徴あるエキゾーストもポイントの一つですよね?!

野上氏 : はい。 エキゾーストは良い太さのものが無くて、プラパイプに金属棒を挿して曲げました。

Bontaro : そうでしたか。その対処も経験の賜物ですね!
 それから、この作品で目立つのがタイヤとホイールの綺麗さだと思うのですが。

野上氏 : ホイールは他キットからの加工、リヤタイヤはM8Dのトレッド詰めで対処しました。
あと、ウィンドウスクリーンもエンビに替えました。
その他諸々。旧いキットの常とは言え、面倒です(笑)

Bontaro : ありがとうございました。 次の作品を期待しています。
 
END

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