It invades to CAN-AM -------
1960年代中盤、北米大陸で人気を博していた排気量無制限のレース
"CAN-AM"シリーズ。参戦していたマシンたちのエンジンは、シボレーやフォード、そして、オールズモビルなどのアメリカンV8
プッシュロッド(OHV)4〜6リッターをフルチューンしたものが中心で、イギリスなどのレーシングカーコンストラクターのシャーシを購入したり、インディカーのようにオリジナルマシンを製作し、それらにその比較的安価なエンジンを搭載してレースに出場していたのが普通であった。車種としては、シャパラル、ローラ、マクラーレン、ロータスなどが有名であるが、世界の大自動車メーカーのエントリーはほとんどなく、あくまでもプライベーターが中心であった。
ある意味では、CAN-AMなり、その前からあった"USRRC"や"ナッソー・スピードウィーク"などは、メーカー同士の熾烈な戦いが続く、マニファクチャラーズ世界選手権やF1ドライバーズ世界選手権などと比べれば、まだまだローカルレースだったと言える。
そんな中、1967年。マニファクチャラーズ世界選手権で、前年にフォードに奪われたその王者を奪い返したフェラーリが、その勢いそのままにCAN-AMシリーズに挑戦してきたのである。マシンは、栄光の330P4を4200ccにアップし、グループ7規約に基づいてクローズドボディからオープンに改造した"350P4”。
当時のフェラーリ エース・ドライバー
"クリス・エモン"と"ジョナサン・ウィリアムス"の2カーエントリー。このCAN-AM
フェラーリは、全6戦中の第4戦ラグナ・セカより登場し、デビュー戦をマクラーレンM6Aやシャパラル2Gなどの後に続く、5位と7位に入り、幸先の良いスタートを切った。
しかし、この年より戦力を増してきたワークス・マクラーレンのタイムより3〜5秒ほど遅く、いかにプロトタイプ王者とはいえ、グループ7専用車両として製造されたマシンとの差はいかんともしがたいものがあった。その後も苦戦が続き、リバーサイドは8位、そして最終戦のラスベガスでは、2台ともリタイヤという惨憺たる結果でシリーズを終える事となる。
その後、この2台の350P4は、1台はN.A.R.Tへと渡り、翌68年のCAN-AMにも登場する。また、もう1台については、オーストラリアのチームに売却され、P.ホーキンスらの手に渡り、68年末の南アフリカでの一連のレースに出場。7レース出場の内、4勝と成果を残している。
今回、ご紹介する"TEAM GUNSTON"の350P4は、その南アフリカのレースシリーズにおいて、高い戦闘力を示した
P.ホーキンス/ J.ラヴ組のFerrari 350P4を1/24スケールで忠実に再現したものである。
そして、この素晴らしい作品を作られた製作者は、"大庭
鉄也"氏である。氏は、車だけでなく、飛行機モデルなども高い製作技術と超越した表現力で再現するスーパーモデラーである。
それでは、大庭氏のご好意により、作品のほんの一部ではありますが、その素晴らしい作品を紹介したいと思う。
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