"1975 March 74S "Driven by Noritake Takahara 
Modeling by Teruo Nishioka

TOP : 1/24 scale "75' March 74S ".
(C)  Modeling and photograph by Teruo Nishioka.

 “無敵の高原敬武 March 74S を再現” 

 今回ご紹介する1/24スケール“MARCH 74S BMW”は、1975年シーズンを5戦中4勝(2位1回)という富士グランチャンシリーズにおいて、無敵の強さを発揮したマシンを忠実に再現したワンオフモデルである。
制作したのは、広島県三原市に住所を構える “西岡 照夫”氏である。氏は、毎回ホビーフォーラムにも出品されているベテランモデラーで、その製作技術は非常に高く、その再現力に驚きを隠せない。
ご紹介するマーチも例にもれず素晴らしい!
ベースとなった735ボディは、原型をとどめないほど加工されて74Sに生まれ変わっている。さらに、そのフレームやサスペンションなどは全てワンオフというから驚いてしまう。
 さらに驚く事に、この作品の嫁入り先は、なんと高原敬武氏ご本人と聞く。
また、西岡氏は、高原氏の駆られた歴代マシンをほとんど制作されているとのことである。
そんな西岡氏の高原モデル・プロジェクトに今回微力ながらご協力させて頂けたことは、大変光栄であり心から喜んでいる次第である。

 この場を借りて、作品を当ホームページに紹介することをご承諾頂いた西岡氏と高原氏に御礼を申し上げたいと思う。


TOP: 1/24 scale "March 74S BMW".
(C) Modeling, photogaphs by Teruo Nishioka.


 OP: 1/24 scale "March 74S BMW".
(C) Modeling, photogaphs by Teruo Nishioka.


 高原敬武。この名を聞いて皆さんは何を思うだろうか?
私は、“1970年代を代表する日本人ドライバー”であり、60年代を引っ張ってきた一匹狼 “生沢 徹” の後を担うはずであった “風戸 裕” と共に世界へ羽ばたくヤングソルジャーであったと思う。

 1971年より始まった「富士グランチャンピオン・シリーズ」において、初年度より旋風を巻き起こしたのは、何を隠そう“高原敬武”その人であった。その事実を目の当たりにしたのは、シリーズ初年度の第3戦「富士500Kmレース」である。
 グランチャンシリーズが始まるまでの間、幼かった私は、富士スピードウェイに行く事が出来ず、60年代日本グランプリや日本CAN-AMを毎回TV観戦しており、いつかは富士への思いが本当に強かったと記憶している。
そして、念願の富士へ初観戦出来たのが、このGC第3戦であったのだ。(当時のオートスポーツ誌が毎回行っていたGC招待券が当ったことも喜びであったが・・・)
 このレース観戦の目的は、あのビッグマシン“マクラーレンM12”と当時カンナム挑戦中だった “風戸 裕” のポルシェ908IIを見ることで、その他のマシンなどにはあまり興味を持てないでいたのだ。そんな中、驚くべき事がレースで起こった。せいぜいポルシェ910程度で、ベルコ72Dのライバルマシンと思っていた1800cc FVCエンジン搭載の “ローラT212” と “シェブロンB19” が異常に速いのである。
予選タイムを改めて見ると風戸のポルシェと遜色ないタイムでこの2台は走っているのだ。
 そして、この2台の2リッターマシンが後のグランチャンの方向性を決めたと言ってもいいだろう。それだけインパクトが大きかったのである。
同時に、これらをドライブする “高原敬武” と “田中 弘” を初めて意識したのもこの時であった。

 翌年高原は、一度2リッターマシンをおいてビッグマシンに乗り換えている。これは、風戸に続いて世界を見据えた行動であったのかもしれない。酒井レーシングよりレンタルしたマクラーレンM12をドライブしたり、世界最強のF1エンジンと言われた“コスワースDFV”を搭載した“ローラT280”を購入し、当時の富士6Kmフルコースコースレコードを樹立させたりもしてみせた。その活躍によって、“高原敬武” は一躍トップドライバーの座に躍り出たのである。
しかし、本当の意味で強い高原が登場するのは、翌1973年シーズンからである。
ビッグマシンのいない本当の意味でのドライバーズ選手権として、富士グランチャンは生まれ変わり、2リッターマシン同士の戦いが始まった。
この年、ブリヂストンタイヤが本格参戦し、高原、生沢、風戸、酒井、そして、GC参戦のためニッサン・ワークスを辞めて参戦してきた黒沢元治などのドライバーを独占的にスポンサード。ワークス体制で、グランチャン制覇を目論んできたのだ。
そして、新興メーカーで売り出し中の“マーチ735 BMW”が世界に先駆けて日本に大挙上陸してきたのも特筆すべき事であった。
そんな注目の第1戦 富士300Km レースにおいて、高原はローラT292を駆り、優勝してしまう。その後も確実にポイントを稼ぎ、総合優勝を獲得する事となる。
 翌年は、長谷見に遅れを取ったとはいえ、総合2位。1974年の第5戦マスターズ250Kmから、1975年の第4戦まで連続6レース制覇という偉業を成し遂げている。この時代は、もう誰も高原には勝てないのではないだろうかと真剣に考えたものである。それだけ強かったのだ。
その間にもGCマシン以外のフォーミュラカーでの日本グランプリ&国内レース参戦、マーチF1でのノンチャンピオンシップレースへの挑戦やF1日本グランプリへの参加。そして、タスマン・シリーズへの挑戦も忘れることは出来ない。

 高原敬武の功績は、日本モータースポーツ界にあって金字塔であり、もっと評価されてしかるべきだと切に思う。
これからも当ホームページにおいては、その功績を称え続けたいと考えている。

 最後に当方が高校生時代に撮影した高原&マシンを見ていただいて、終わりにしたいと思う。
 


(C) Photographs by H.M.


END

(C) Photographs, modeling by Teruo Nishioka.
(C) Photographs, textreport by Hirofumi Makino.
Special thanks Noritake Takahara.