The 2nd exhibition gallery of a treasured by Joe Honda. 第2回 ジョー・ホンダ 秘蔵写真展 開催記念企画
“ジョー・ホンダにとっての60年代スポーツカーとは?!”
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The 2nd exhibition gallery of a treasured by Joe Honda.
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2001年10月20日
M(主宰者): またまたお忙しい中、今度開かれる第2回 秘蔵写真展についておうかがいしたいと思いますので宜しくお願いします。
M : まず、今回の写真展ですが、1960年代のスポーツカーを中心としたものだと聞いているのですが!?
M : それは楽しみですね!ジョーさんは、1967年から世界のレースを撮り続けておられるわけですが、初めてスポーツカーレースを撮られたのは何のレースだったのでしょうか?!
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TOP : Porsche 906 and 910 at Monza in 1967. |
“昔、F1ドライバーはみんなスポーツカーレースに出ていた!!”
M : 生沢さんがホンダS800でクラス優勝されたニュルブルクリングのレースも行かれてますよね!?
M : ジョーさんは、マニファクチャラーズ選手権が懸けられていない小さなレースにも行かれていたんですか?
M : そういったクラブマンレースの写真も出品されるのでしょうか?
M : 当時(1967年)ジム・クラークは、クラブマンレースには出場していたのでしょうか?
M : ところで、当時はF1ドライバーも結構スポーツカーレースに出場してましたよね?!
M : そういえば、あのヨッヘン・リントも1965年のル・マンでフェラーリで優勝していたし・・・。 |
TOP : Ford P68 with B.McLaren( Left side). Lola T70 MKIII and John Surtees( Right side). (C) Photograph by Joe Honda. |
“モンツァのバンクは安全だった!?”
M : ジョーさん、今回の第2回 秘蔵写真展 のテーマなんですが、「歴史の中の1/250秒」という題名が付いていますが、どういう意味なんでしょうか?!
M : 当時のシャッター・スピードはやはり1/250秒だったんですか?
M : ジョーさんから見て、昔のドライバーと今のF1ドライバーを比べてどこが違いますか?
M : それとタイヤの違いもあるのでは?!
M : 話しは変わりますが、1967年のモンツァ1000Kmの写真を見ていると、バンクを使って走っていますがいつまでこのバンクは使われていたんでしょうか?!
M : 当時の富士(スピードウェイの30度バンク)と比べて進入速度は違うんですか?!
M : 危険度からするとモンツァのバンクはそんなんでもなかったんですか?
M : 私は特にジョーさんの写真の中でフェラーリP-4とチャパラル2Fがバンクを駆けぬけて行く写真がとても印象に残っていましたから、どうしてもうかがっておきたかったんです。
(注:1957年6月29日に、モンツァ・サーキットにおいて10台のインディカーと当時のF1グランプリカーであったジャガー、マセラティ、フェラーリが対決した。バンクコースを63周x3ヒートで争うこのレースは当時の主力選手を欠いたF1勢を尻目にインディ勢が圧勝した) TOP : The Bank !! Ferrari 330P-4s and Chaparral 2F in the early stage of the Monza 1000Km. Mike Spence was D.N.F in his white winged Chaparral 2F for the Monza in 1967. |
TOP : Joseph Siffert driving Porsche 908 won the Monza 1000Km in 1969. (C) Photograph by Joe Honda. |
“フェラーリ対フォード!!1967年のル・マンが最高!!”
M : ジョーさんから見て、1960年代のスポーツカーレースで一番印象に残っているレースはなんでしょうか?
M : イギリスの車で、トライアンフやヒーレーとか出てましたが、それらの車を含めてイギリスの車ってイタリア車と違い、ボディとシャーシーだけを作って、エンジンはBMCのを使ったりとかが多かったですね。
M : 当時のル・マンでは、フォードGTが打倒フェラーリとして随分盛り上がっていたわけですが、フォードGTが成功する原動力となったのはなんだったんでしょうか?
M : フォードのやる気は、フェラーリの買収失敗が原因だったわけですね!
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TOP : New Porsche 907 prototipe in 1967( Left side). Lola Aston and Chapparal 2F at Leman in1967. (C) Photograph by Joe Honda. |
“今も昔もポルシェはノウ・ハウを売っている!!”
M : ところで、60年代の主役の1つである“ポルシェ”についてですが、1968年頃から主役になってきましたよね。
M : しかし、強いポルシェがCAN-AMに行ったためにCAN-AM自体が無くなっちゃいましたが・・・。
M : ところで、ポルシェとアウディが関係が深いと思いますが・・・、当時からなんでしょうか。
M : ポルシェの強さというと私は当時のタルガ・フロリオの強さを思い出してしまうのですが、ジョーさんから見て当時のフェラーリとポルシェの対決の中でポルシェの強さとはなんだったんでしょうか?!
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TOP : Targa Frorio in 1969( Left side). Start!! Nurburgring 1000Km in 1967( Right side). (C) Photograph by Joe Honda. |
“自国に速いドライバーがいないとグランプリは流行らない!!”
M : なるほど・・・。
M : タルガ・フロリオのコース路面はとてもレース・コースの路面とは思えませんが・・・。
M : レース・システムはラリーに近かったように思うのですが、どうだったのでしょうか?
M : レース中、後ろの車が先の車を抜いた場合などはちゃんと各車を計測するタイム・キーパーはいたのでしょうか?
M : プラクティス順でスタートしていたんですよね?
M : それから有名なニノ・バッカレラという地元の英雄がいましたが、やはり彼はそこで速かったのでしょうか?
M : なるほど・・・。
M : 佐藤が入ったことでジャン・アレジが引退しましたが・・・。
M : それとミカ・ハッキネンが休養宣言しましたが・・・。
M : そう思うと60年代の生沢さんが今活躍していたら、間違いなくF1ドライバーになっていたんじゃないかと思いますけど・・・。
M : 話しは生沢さんのことになりますが、1967年当時、生沢さんはポルシェとの接触が強かったですよね。
M : 当時のポルシェのチーム監督だったハンシュタインがいたときは、生沢さんを腕の良いドライバーとして見てくれてましたよね。
M : その点本当にガッカリでしたね。
M : そういえば日本のメーカーもその当時は、ル・マン目指してレーシングカー作ってましたしね!
M : そうでしたね。
M : それは凄い!! サーティースですか!!(マカオGPを取材の方が凄いという方もおられるとは思いますが・・・)正に、ジョーさんだから実現出来たことじゃないですか。
M : では、今日は貴重なお話しありがとうございました。
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では、皆さんお時間があれば是非この写真展に立ち寄ってください。そして、モーター・スポーツをずっと支えてきたジョー・ホンダさんを応援しましょう!! TOP : Joe Honda's Calendar A2 size \1,500
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END
(C) 22/OCT/2001
Photograph by Joe Honda.
(C) 22/OCT/2001
Text reports by Hirofumi Makino.