TOP : Jim Clark in '66 Fuji Speedway.
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 “ジミーの走りで始まった旧富士スピードウェイ!!” 

 1966年3月27〜28日、当時のF1チャンピオンとして君臨していた“ジム・クラーク”が、富士スピードウェイの柿落としを兼ねた走行を披露。バンク付き6Kmフル・コースをロータス32を駆って軽く“2分7秒台”で走り、日本のファンに世界チャンピオンの実力を見せつけた。
その年の日本インディにもロータス38を持って来日したものの、マシントラブルで本戦へは進めず、残念ながら存命中に彼の日本での素晴らしい走りをレースで見ることは遂に出来なかった。

“2005年の主役はトヨタだ!” 

 右の写真は、2005年3月6日、トヨタF−1によるデモンストレーション走行に向かうレギュラードライバーの“ラルフ・シューマッハ”である。
ジョーホンダが見た今年のトヨタは、昨年以上のやる気と競争力を備えたトップコンテンダーであり、後はいかにその実力をレース結果に結びつけるかだと言い切っていたことでもわかるように、今や昨年までのフェラーリを抜く勢いで選手権を争っている。


TOP : Ralf Schumacher in '05 Fuji Speedway.
(C) Photograph by Joe Honda.
 近い将来、新生“富士スピードウェイ”でF1選手権が開催される可能性は、非常に高いとジョー氏は語る。
過去に行なわれた富士スピードウェイでのF1選手権は、1976〜77年に2度開催されている。しかし、主催者の交代劇やF1に対する国内メーカーの対応などまだまだ問題点が多く、継続性のない大会であった感は否めなかった。
 
 日本でF1GPが開催されるという話を私が初めて聞いたのは、1974年スペインGPであった。シャドウチームのボスである“ドン・ニコルズ”が私に秘密をもらすように耳打ちした。やがて74年秋、富士スピードウェイで、5台のF1マシンによるデモンストレーション走行が行われ、76年には、本当にF1レースが開催された。続いて77年もいろんな経過はあったが、とにかく世界選手権の一戦があった。それで富士のF1レースは終わり、、1987年の鈴鹿までブランクが続くこととなる。
by Joe Honda 

 上のコメントは、グランプリ出版発行 ジョーホンダ氏著作「F1サーカス放浪記」より引用活用させて頂いたものだ。
さらに、ジョー氏は2年しか続かなかった76〜77年日本グランプリの原因についても述べているのでこれも紹介したいと思う。
 

 スポーツニッポン新聞社が主催、JAFがF1レース開催をあまり認めたがらず、すったもんだの末にレースは開かれた。主催者はF1レース開催に大いに熱意を示していたが、そのための周到な準備が出来ていたとは言い難かった。87年と違って日本のメーカーもドライバーも参加しておらず(フルタイムと言う意味で)、F1レースがどんなものか知っている人たち以外の関心は、そう高まったとはいえなかった。
 ロングビーチ・グランプリ(アメリカ市街地コースとして開催)に次いで、新しい市場を求めるFOCAの要望が強く、主催者が最後までやる気をなくさなかったために、かろうじて開催出来たといえるだろう。しかし、開催に費用がかかりすぎて、主催者は続けてGPレースをやると言明していたにもかかわらず断念、次の77年はJAFが引き継いでレース開催することになった。とはいえ、この新たな主催者もレース開催には及び腰、観客を巻き込む事故と赤字という後遺症を残して、日本でのGPレースは中断される事になった。
結果として、この2年間の日本でのF1レースは、残念ながら日本のレースファンを増やすとか、モータースポーツ熱を高めたといった、プラス面をもたらすことはなかったと思う。
by Joe Honda 
“富士スピードウェイ FIAサーキットライセンス「グレード1」認定取得” 

 富士スピードウェイ株式会社(以下、富士スピードウェイ)がこのほど全面リニューアルした新レーシングコースが、国際自動車連盟(FIA)が定めるサーキット評価基準、「グレード1」を取得しました。

 「グレード1」は、FIAによるサーキットライセンスの最上級に位置するライセンスです。
富士スピードウェイは、今回のリニューアルにあたり「世界最新・最高のサーキットを作り上げること」を目標に進め、同時に4輪レース用サーキットの規格についても最高グレードの取得を目指してきました。

 新しいコースは、従来「グレード2」であったコースに対して、コース設計そのものを最新のスペックに一新したことに加え、路面舗装やランオフエリアの画期的な仕様向上、タイヤバリヤガードレール・フェンス等防護設備の充実、ならびにピットガレージの機能向上など、大幅なグレードアップを実現しました。これらの総合的な評価により、新しいコースはFIAより「グレード1」に認定されました。

 これに伴い、新しいレーシングコースは施設としては自動車レースの最高峰であるフォーミュラ1( F1)の開催が可能なコースとなっております。
 

 上のコメントは、富士スピードウェイ株式会社より報道関係者に配られたプレス・リリースである。
このFIAサーキットライセンス「グレード1」を取得したことにより、いつでも富士スピードウェイでF1グランプリが開催可能となったわけである。
新生“富士スピードウェイ”は、トヨタ自動車が93.39%の株を持つ、まさにトヨタが世界に誇るサーキットとして生まれ変わった。2006年をもって鈴鹿サーキットでのF1選手権開催の契約は終了する。果たして、その後の日本グランプリはトヨタの思惑通りに富士で開催されるのだろうか?!
ここで、ジョー氏が当日興味ある場面を撮影されたので紹介したい。


TOP : Come back to F1GP ?! "GOOD & YEAR " in Fuji Speedway.
(C) Photograph by Joe Honda.

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(C) Photographs by Joe Honda.
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