"Joe Honda" This is my life ---- A treasure photographs "The '66 Japan Indy 200 Mile Race" ジョーホンダの原点 “1966年日本インディ200マイルレース” 秘蔵写真初公開 !!
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日本にインディ500がやって来た!!
出来立ての富士スピードウェイに、この世紀の大レースがやって来たのは、第3回日本グランプリが開かれた年と同じ1966年10月9日だった。 実は、ジョー氏が写真家の道へ進むきっかけとなったのが、この日本インディだった。 ところで、このレースに出場していたドライバーを見てみると本当に凄いメンバーだった事が分かる。F1グランプリ63年、65年世界チャンピオンで、前年1965年インディ500優勝者 フライング・スコット(空駆けるスコットランド人)“ジム・クラーク”、当時脅威の新人と言われていた“ジャッキー・スチュワート”、そして、その年のインディ500優勝者であり、1962年F1王者“グラハム・ヒル”・・・。さらに、当時新人のマリオ・アンドレッティ、クリス・エモンなども参加していたし、アメリカ勢では、ボビー、アルのアンサー兄弟、ロイド・ルビーなども参加していて、まさに欧米対決の様相であった。本当に凄いメンバーである。 上の写真は、予選でエンジンを壊して遂に決勝レースに出場出来なかったジム・クラークと彼のロータス38フォードである。 何か物寂しげなクラークの姿がジョー氏の写真から見て取れる。しかし、ジョー氏はこの写真を撮っている時には違う印象を持ったと言う。 「クラークは、富士で後輩のスチュワートやエモンたちに会うたびに色々とアドバイスしていたよ。将来を背負う彼達に、チームを超えてクラークは自分の経験を伝授していたんだ。彼は、レース界のリーダーとしての役割を本当にわきまえていたんだと思う」 「この時のジャッキー・スチュワートとの出会いがボクの人生を変えたと言っていい」とジョーホンダ氏。 ヨーロッパに初めて取材に行った時、ジャッキーはジョー氏のことを覚えていていろいろ関係者に紹介してくれたそうだ。 |
![]() TOP : The #24 Leftside Off-set "MECOM TEAM LOLA T90"of Graham Hill. He gots a win of '66 Indy 500. (C) Photograph by Joe Honda.
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上の写真は、ピットガレージにおける“ビッグ・ツー”である。右は、1962年F1世界選手権チャンピオンで、この年(1966年)のインディアナポリス500マイルレースの覇者である“グラハム・ヒル”。そして、左のサングラスのドライバーは、当時若手ナンバー1と言われ、将来の世界チャンピオン候補と言われていた“ジャッキー・スチュワート”である。2人共、当時はイギリスのBRMチームに所属していた。もちろん、ヒルがナンバー1ドライバーだったことは言うまでもない。ところで、オーバル・コースでもない富士スピードウェイに、左側オフ・セットのまま出場していたグラハム・ヒルのローラ・フォードは、走行中とても辛そうだったと記憶している。余談だが、「VAN」のスポンサーがついているのは意外であった。
この写真を見ていてつくづく思うのは、ジョー氏の写真の中心を成すものは、レーシングマシンではなく、ドライバーに向けられていることがこの写真からもわかる。これこそ今も続くジョー氏の作品における真骨頂であり、まさに氏の原点ではないかと思う。 |
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(C)Photographs by Joe Honda.