TOP : Joe Honda ( Rightside ) and his art.
The all his works of 37th years that they're the most beautiful photographs, I'm ever seen before.
(C) Photograph by Hirofumi Makino.
 私がやりたいことはサラリーマンではなかった。
そのときからフリーランスの写真人生が始まった。
しかし、いったい、どんな写真を撮りたいのか、自分でもわからなかった。
 だが、それは時代が教えてくれたのだ。
 1964年の東京オリンピックで世界中の人々がやってきた。その年、鈴鹿サーキットで第1回日本グランプリが開催される。66年には富士スピードウェイが開設され、インディ200マイル・レースがオープニング・イベントとなった。
私は勇んで富士へ行き、生まれて初めて本場のレースを見た。ジム・クラーク、グラハム・ヒル、ジャッキー・スチュワートといった当代一流のF1ドライバーの走りを見た。ジャッキー・スチュワートとは話をした。
一方、写真の世界も、とても刺激的であった。アンリ・カルチェ・ブレッソンの「決定的瞬間」展が日本全国で開催された。
ヴェトナム戦争に従軍していたロバート・キャパが来日した。ヴェトナムの戦場では、日本人カメラマンの岡村昭彦が大活躍していた。コマーシャルの世界では、アメリカの巨匠アベニグ・ペンとリチャード・アベドンの写真が日本でも話題になっていた。
私はヴェトナム戦争に従軍したいと思った。しかし、そこには日本人の先達がいる。パイオニアとして写真を撮りたいと思っていた私には、それが不満であった。
 そんなときに、スピードが大好きな若者のなかで密かに人気を得た写真集があった。
「ニュー・マタドール」。オールカラーの写真集だった。撮影はドイツの新鋭写真家ホルスト・ボウマンで、企画構成はアメリカの新進フォトジャーナリストにして世界的権威の写真雑誌「スイスカメラ」の編集長をつとめていたアラン・ポーターである。
それはボウマンの撮影したF1グランプリ、インディ500、ル・マン24時間レースの、美しくも刺激的な写真で構成されていた。
 私は、その評判を聞きつけ、日本橋の丸善まで「ニュー・マタドール」を買いに行った。最初のページから目を奪われ、最後のページまで夢中になって見た。モーターレーシングの世界にとりつかれた。
 写真集を閉じたときに、私は決心していた。F1グランプリの写真を撮りにヨーロッパへ行こう。
日本人カメラマンはひとりもいないはずだ。私がパイオニアになれる。
 上のコメントはジョーホンダ著作「未亡人は言った。本田宗一郎を殺したい」(KKベストセラーズ)より引用活用させて頂いたものです。
若き日の我が“ジョーホンダ”がいかなる決心をしてフォトジャーナリストになったかが手にとるようにわかるコメントではないでしょうか。
そして、元々モータースポーツが好きで始めたことではなかったことや、とにかくパイオニアの写真家として世界で活躍したかったことなどまだまだ世界が本当に遠かった時代、そんな中“ジョーホンダ”はヨーロッパへと旅立っていったのでした。
時、1967年1月。
 1967年(昭和42年)1月、私は日本を飛び出した。
 自分の写真をF1グランプリで撮影する為に、横浜の港からナホトカ航路の貨客船に乗った。ひとりでヨーロッパへ旅立った。27歳だった。
 英語なんて一言も話せなかった。英会話教材で勉強してみたが、そんな時間さえもどかしかったのだ。最初に行動があった。F1グランプリの現場に行けば、なんとかなると思っていた。何とかしてみせると決意していた。自分への挑戦であった。
 私は、思いつくと、すぐにでも行動に移さないと気がすまないタイプなのだ。みんなで話し合って行動するなんて、性に合わない。根っからのフリーランスなのだ。組織が嫌いなのだ。
-Requiem-鎮魂-AYRTON  SENNA-

 2002年9月26日、東京都新宿区 新宿御苑前 アイデムギャラリー「シリウス」。
ジョーホンダ写真展「鎮魂-Requiem-AYRTON  SENNA-」が盛大に開催されました。
そして、28日(土)は会期中唯一のトークショーが開かれる日。私は、期待を胸に会場へと向かいました。
会場は地下鉄の駅からすぐのところで、とても新しい近代的なギャラリーでありました。
二階のギャラリーに入ったのが1時50分。すぐに2時からの「トークショー」が始まるということで会場へ。
入り口にジョーさんがおられたので挨拶して取材の許可を頂きました。
作品を見る前にトークショーを見ることになってしまったことにやや着く時間が遅かったことを後悔していた私ですが、すぐにトークショーを聞いているうちに後悔の念から開放されていきました。
今回は、ジョーさんが過去に撮られた「AYRTON  SENNA」だけに絞った写真展として行なわれました。また、それら作品は、数々の技術が盛り込まれていました。それは、デジタル変換ではない最新の光線技術によりカラー写真が白黒に変換され、なんとも素晴らしい独特のモノクロワールドを作り上げているのです。
また、今回の写真展の内容としては、その新しい技術で作られた作品の発表とジョーさん自身にとってのフォトジャーナリスト人生35年目の節目としての写真展という2つのテーマで構成されていました。


TOP : "AYRTON" and Joe Honda at SIRIUS.
(C) Photograph by Joe Honda and Hirofumi Makino.
 とても心地良い気分にさせてもらった早大アカペラグループ“クワトロ”の歌声で始ったトークショーは、ジョー氏のトークへと続いていきます。
また、ジョー氏のコメントについては、前記したジョーホンダ著作「未亡人は言った。本田宗一郎を殺したい」(KKベストセラーズ)の引用部分と重複するため省略させて頂きました。
 最初にお詫びとして今回ご紹介するジョーホンダ氏の作品については未熟な私がデジカメにて撮影したものであり、素晴らしい同作品を画像にて再現出来ないことをこの場を借りてお詫びします。
一早く写真展をご紹介することが私の目的であることを御理解頂ければ幸いです。
主宰者 牧野弘文

TOP : The Gallery Of Joe Honda at SIRIUS in 2002.
(C) Photographs by Hirofumi Makino.
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(C) Photograph by Joe Honda.
(C) Photograph, textreport by Hirofumi Makino.