TOP: ex-Hiroshi Kazato's March 722-8
Revolution ---------

 2012年10月6日、オーストラリアよりメールが届いた。内容は、驚くべき内容であった。
「私は、風戸 裕が乗っていた "1972 March 722-8"を持っている」と・・・。

 1971年、日本人として初めてCAN-AMシリーズにフル参戦した風戸 裕が、次なる目標として目指したものは、フォーミュラ1への挑戦であった。1972年、まずはその足がかりとするため、当時 生沢 徹も参戦していた"F-2ヨーロッパ選手権"への参戦を決める。
マシンとしては、新興コンストラクターのMARCH社が作る"March 722"に決定。前年のカール・ハースチームでの経験を生かし、プライベートでのエントリーは断念、マーチのセカンドチームの"Peter Bloore Racing"と契約し、フル参戦することになる。
しかし、1971年までのF-2規定は1972年より大幅に変更されたため、風戸だけでなく数多くのエントラントを悩ます事となる。
結果、合計5ポイント総合17位タイの不本意な成績でシーズンを終えることとなった。しかしながら毎戦上位にいるのは、良いエンジンを優先的に受けられるワークス・チームがほとんど。風戸はそんな不利の条件下、5位、8位、11位、13位と4回の完走を奪い取っている。

 翌年の1973年には、生沢 徹とチームを組み、"Team Nippon"を結成、F-2選手権に挑むも良い結果を残す事は出来なかった。
そして、1974年からは、実績のあるシェブロン・カーズのワークス・ドライバーとして3度選手権に挑戦する予定であった。しかし、あの悪夢の富士グランチャン第2戦で帰らぬ人となってしまう。

 わずか2年間のF-2挑戦であったが、一番輝いていた1972年の愛機 "March 722"が一番風戸には似合いのマシンだったのではないかと個人的には思っている。そのマシンそのものを今、オーストラリア人のMr.Andrew Giffordが蘇らせようとしている。
風戸のヒストリーを知りたい。風戸が当時乗っていたMarch 722のカラーリング&ステッカーを知りたい。これが今のMr.Andrew Giffordの望みである。

 酒井 正のミノルタ・マクラーレンM12はニュージーランドにある。風戸のポルシェ908IIもまだオリジナルカラーで市場を渡り歩いているようだ。あのローラT222はどうしているのだろうか?
来年の早い時期に、オリジナルカラーリングを施し"Hiroshi Kazato March 722-8"は完全復活する。
まずは、プレ・リリースとしてMr.Andrew Giffordのご好意でここにご紹介したいと思う。
 


TOP : Andrew Gifford and his #31March 722.
#28 Hiroshi kazato in 1972.

TOP: Test run in Australia 2012.
Driven by A.Gifford.
Middle: #26 Hiroshi Kazato at thruxton(GB) in 1972.

TOP: March's cockpit.


TOP : His engine BDA/G 1975cc.


TOP: Mr.Andrew Gifford.
Hi Andrew Thanks !! 



GO TO TOP

GO TO TOP PAGE

Photographs by Allan Giltrap.

(C) Textreport by Hirofumi Makino.

Special thanks : Andrew Gifford.