The Memorial Report of Tadashi Sakai. “昔、アメリカンV8に拘り続けた男がいた!!” 酒井 正 TADASHI SAKAI
酒井正さんを偲んで・・・。 |
“日本グランプリでのクラッシュは、かなりハンデだったが、右足に6針の切り傷とその他打ち身をした程度ですんだ。 あの事故のとき、初めから終わりまで、意識は失わなかった。グランプリの後、都内の病院に2週間ほど通って、もうすっかり回復した。むろん傷口はふさがったし痛みも感じない。 今度の全日本選手権第4戦は、傷が治ってから1週間目の出場ということになる。だから練習する期間はほとんどなかった。プラクティスの前日に20周ほど走りこんだ程度だ。 マシンは、ディーラーにあずけっぱなしにしていた例のフォード・コブラだが、長いこと使ってなかったので壊れることが一番心配だった。 アクシデント後初のレースということで、不安がなかったといったら嘘になるだろう。コースは比較的安全な船橋だったといえ、やはり怖かった。走っている間中事故のことが頭から離れなかった。結果的には優勝することが出来たが、僕としては、むしろ完走出来たことのほうがうれしい。 カムバックということがしきりにいわれているが、もう1度富士で走ってみなければ、本当に復調したかどうか、断定することは出来ないと思う。7月の富士1000kmレースがその試金石になるかもしれない。” 1967年5月28日
酒井 正 |
“全日本スポーツカーレース 船橋大会第2戦”
1967年5月28日、ここ船橋サーキットに酒井正は戻って来たのです。 5月3日に起きたあの大クラッシュからまだ1ヶ月も経っていないにもかかわらず酒井は奇跡の復活を遂げたのでありました。それも優勝でこの復帰レースを終える事が出来たのですから・・・凄いの一言であります。 実は、このレースの模様を撮影した映像が存在していたのです。それは、ある方が1967年に撮影された8ミリ映写機フィルムにこの懐かしい船橋サーキットでのレースが収められていたのでした。これは奇跡としか言いようがありません。それでは、この映像を特別にご覧頂きたいと思います。 ちなみに、この映像は、生前の酒井さんもご覧になっており、大変感銘したとおっしゃっていました。 |
Top : Formation Lap at Funabashi in 1967. フォーメーションラップ ポールポジションは、#200酒井正のデイトナ・コブラ。 |
|
Top : Before start of this race. |
Top : Sakai and Daytona Cobra. |
Top : Top groups on a 1st corner of 1st lap |
Top : Dead-heat between the winning Daytona Cobra( T.Sakai ) and Fairlady2000(K.Takahashi). 2位の酒井を必要に追いかける高橋のフェアレディ。 |
Top : The top three. レースは、この3台のデッド・ヒートに絞られた。 |
|
|
ただ1度、高橋は酒井を強引にパスするが・・・。 結局高橋は、13周目にエンジントラブルでリタイヤ。 |
Top : The winning DAYTONA COBRA. 栄光の200番! |
"T.SAKAI " |
|
PART 3(1968-73年の活躍)に続く
(C) 22/APRIL/2001
Photographs by S.H.
(C) 22/APRIL/2001
Text reports by Hirofumi Makino.