The Challenge Of TEAM TOYOTA c .
The Fuji 1000Km Eco-Run Race
「富士1000Kmエコ・ラン レース 挑戦レポート」 
by Hirofumi Makino

TOP : Driven by Kiyoshi Misaki in 2002 Fuji 1000Km Eco-Run
(C) Photograph by Hirofumi Makino.
 元チーム・トヨタ ドライバー陣が30年振りに集結、そして過酷な1000Kmエコ・ランレースに挑戦した!!さて、その結果は・・・。
 今回、光栄にもこのレポートを書かせて頂くこととなった私自身、この富士スピードウェイを訪れたのは先月の「Team Toyota同窓会」は別として、実に20年振りのことでありました。そして、今回のようにピット内に入れさせて頂くことなどは初めての経験であり、チーム・トヨタの皆さんにこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
さて、8月真夏の祭典、そして快晴の富士スピードウェイというとどうしても私は生まれて初めて見に行った1971年富士グランチャン第3戦「富士500Kmレース」を思い出してしまいます。この時は、ビッグ・マシン“マクラーレンM12”に乗る故 酒井 正氏が、やはり今は亡き 風戸 裕氏のポルシェ908II を押さえてグランチャン初優勝した印象深いレースでありました。
ところで、今回の富士1000Kmエコ・ランレースは、本格的なレースというよりは参加して燃費を争うというもので、スピード重視よりはむしろいかに効率良く決められたタイムで走り続けられるかがポイントとなる。
レギュレーションとしては、大まかに言って排気量が1500cc以下であればどんな車でもかまわないが、特に主催者が認める車両についてはその限りではないと言うことでありました。また、排気量が大きいものには給油時に時間ハンデがつけられ、公平化をはかっているところが特徴で、ちなみに我がチーム・トヨタは、給油時にハンデとして15分がつけられていました。
レースにはレーシングカー紛いの本格的なものも参加しており、実に面白いレギュレーションであったと思いました。
 そんなこのエコ・ランに我がチーム・トヨタの面々が挑戦すると聞き、黙ってはいられず仕事を休んで(!?)応援に来た次第であります。
我がチーム・トヨタの参加メンバーは、キャプテン「細谷四方洋」、「田村三夫」、「津々見友彦」、「久木留博之」、そして「見崎清志」のトヨタ2000GT、そして、トヨター7使いたちで、マシン(!?)はといえば、さすがにトヨタ―7とはいかず“トヨタ・セラ”でのチャレンジでした。
ところで、当時のエース鮒子田 寛氏は、先月の「Team Toyota同窓会」の後、イギリスに戻られている為、今回は不参加ということでありますが、私としては次ぎの機会には是非参加して頂きたいと切に希望するところであります。
 
トップ・バッターは見崎清志!!
 
 参加台数118台を数える大イベントとなった富士1000Kmエコ・ランは、午前9時30分に懐かしいル・マン式スタートで始まった。
我がチーム・トヨタのトップ・バッターは現役ドライバーの見崎清志氏である。
「気持ちが先に行っちゃって・・・、とにかくノーマルだからパワーがないね」と見崎氏。しかし、ヘアピンの走行は流石プロ・ドライバーであり、「ヘアピン・サーカス」は伊達じゃないと改めて感じることが出来る素晴らしい走りであった。
事実、今回のTeam Toyota内においての最高ラップである2分14秒台を記録するなどまだまだ鋭いドライビングを見せつけていたのは流石である。


TOP : Hairpin Circus's Kiyoshi Misaki at Team Toyota's pit.
(C) Photographs by Hirofumi Makino.

TOP : Top Runner #1"Kiyoshi Misaki"and "Shiden"!?
(C) Photograph by Syohzoh Okuda.
津々見友彦から久木留博之へ!!

 午後1時過ぎ、見崎氏から変わり2番手で走行しているのは1963年「第1回日本グランプリ」からドライバーをされている津々見友彦氏である。見崎氏と共に現役でおられる氏は流石に速い。その津々見氏からいよいよ3番手の久木留博之氏にバトンタッチする時間が迫っている。
レースリザルトはレース主催者側の都合で、1時間前のものしか分からずトップからこの時点で3周遅れということしか分からず、とにかく現状ではチームの計画通りに進めていくより方法はないようであった。
そして、津々見氏がピットに入って来た!!いよいよ久木留氏が30年振りに富士を走るのだ!!
私は、早速ピットからヘアピンに移動して、久木留氏の応援に向かった。
私は1972年雨の富士グランチャンで久木留氏のワークス・セリカを駆るドライビングを見ている。そのダイナミックなドライビングは今だに記憶に新しいところだが、今目の前を走り去るセラを駆る久木留氏がヘアピンの入り口でアウトから被せて4台をまとめて追い抜いていくさまは、まさしく私の記憶する久木留氏のドライビングでなんら30年間のブランクを感じさせないものであった。(下画像は、1972年富士グランチャン第2戦富士300マイルレース(スーパーツーリングカーレース)においての久木留選手のワークス・セリカ1600GTの勇姿)


TOP : Hiroyuki Kukidome and his TOYOTA 1600GT at Fuji in 1972.
(C) Photograph by Hirofumi Makino.
「いや〜、遅かったやろ。あんたがヘアピンにいるの知らんかったからなぁ・・・。だけどパワー無かったわ〜」とコクピットを降りた久木留氏は謙遜していたが、元チーム・トヨタのドライバーの実力を垣間見た思いであった。

TOP :( Leftside) Tomohiko Tsutsumi ( center), Shihomi Hosoya ( Leftside), and Mitsuo Tamura ( Rightside).
( Rightside) Tamura and Tsutsumi.

TOP : Hiroyuki Kukidome ( Leftside) and Team Captain's Shihomi Hosoya ( Rightside).

TOP : Hiroyuki Kukidome driving Toyota Sera.
(C) Photographs by Hirofumi Makino.

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(C) Photographs, text reports by Hirofumi Makino.