DRIVING BY SEIICHI SUZUKI
'72 FUJI GRAND CHAMPIONSERIESNO.4
FIA・JAF公認 インターナショナルレース







富士マスターズ

250キロレース
決勝10/10体育の日
主催 富士スピードウェイ/FISCOクラブ
後援 毎日新聞社/スポーツニッポン新聞社
/東京12チャンネル


 
 1972年に行なわれた富士グランチャンピオンシリーズ第4戦「富士マスターズ250kmレース」は、前年と同じ10月10日体育の日に行なわれました。今回も前戦同様私は、友人“ハマ”とこの世紀の一戦を観戦すべく小田急ロマンスカーで御殿場にやってまいりました。
 ところで、「ロマンスカー」で思い出したことが1つ。その昔初めて私が「ロマンスカー」に乗ったのが確か昭和32年だったと思います。後でわかったのですが、なんとその日は「ロマンスカー」の開通式であったのでした(多分 新宿〜箱根間開通)。この写真は、1957年頃開通したばかりの「ロマンスカー」にこれから乗り込もうとしている私であります・・・(笑)。
 さて、レースのタイム・スケジュールを見ますと次ぎの通りとなっておりました。
 
 


●タイム・スケジュール●
―1周=6km―
(1)マイナーツーリングレース 20周 10:30AM
(2)スーパーツーリングレース 20周 12:10PM
(3)グランチャンピオンレース 41周 14:00PM

 今回は、メイン・レースのグランチャンピオンレースが午後からということで私たちは、少々遅めに家を出て昼頃到着というスケジュールをたてておりましたが、なんとここで大ハプニングが発生したのでした。それは、本件とまったく関係無いことで書くこと自体どうしょうかとも思ったのでありますが、一応御報告ということで書かせて頂くことにいたしました。
 朝のことでありました何気無く電話の音で目が覚めた私は、当時まだ健在だった親父の声で起き上がったのでありました。「ヒロフミ!ハマから電話だよ!」と親父。
一瞬何のことだかわからくなっていた私は、その電話を取ったのです。すると友人ハマの悲痛に満ちた声「えーッ!」が返ってきたのでした。
私は、やっと我に返り悟ったのです。今日は、10月10日「富士マスターズ・・・に行く日だ!!!」と・・・。
顔も洗わず、その場で大事なカメラ道具一式だけ持って・・・、そして財布も・・・、私は、板橋の実家を飛び出し国鉄(懐かしい!)赤羽線に飛乗り、一路池袋に向かったのでした。そして、ハマの姿を発見するやそのまま2人は山手線に飛び乗って新宿へ・・・。さあ、間に合うのか、その時の15分間というもの2人は顔を合わすことなく無言でありました。
 それから、2時間後、2人は、富士スピードウェイのグランド・スタンドに立っておりました。朝のハプニングが嘘のように思える快晴の富士スピードウェイであります。
 すでに、1300cc以下のツーリングカー・レースは終了しており、12時10分スタートのスーパーツーリングカーレースがまさにスタートしようとしていました。
私たちは、当時このスーパーツーリングが大好きでありました。それは、スカイラインGT―RとサバンナRX3の対決、すなわちニッサンのサムライ(高橋国光、黒沢元治、北野元、長谷見昌弘)とマツダの野武士(片山義美、従野孝司)の対決でもあったからでありました。今思い返すと、こんなにも伝説化した対決をこの目で見ることができたことを幸せに思います。
このレースの予選タイムが凄いのです。


ポールポジション 従野孝司 サバンナRX3 1分59秒35
予選2位 黒沢元治 スカイラインGT−R 1分59秒70
予選3位 片山義美 サバンナRX3 1分59秒94
予選4位 武智俊憲 サバンナRX3 2分00秒52
予選5位 増田健基 カペラ・ロータリー 2分00秒75
予選6位 長谷見昌弘 スカイラインGT−R 2分00秒94


 この予選結果をみると分かる通り、なんと3台のマシンが2分を切っているのです。それもツーリングカーですよ!!
 2分を切ったといえば、5年前の1967年で初めて富士スピードウェイ6kmコースを2分を切って話題となったのが我がTETSUの「ポルシェカレラ6」でありました。その時のタイムが1分59秒43であった事を考えると、なんと技術進歩が速いかがお分かりになると思います。
 そして、ついに12時10分!メイン・ストレートに4・3・4・・・の隊列で並ぶスターティング・グリッド。壮観であります。スタート!!
まず、私たちの前を車重が軽いサバンナ(武智)がダッシュをみせて30度バンクに突っ込んでいきました。
その後を黒沢のスカイラインが1歩も引かずに追っていきました。
そして、第1周目は武智のサバンナがトップでメイン・ストレート前を通過していきました。
しかし、2周目武智は、S字でスピン、そして他車とクラッシュしピットイン、片山のサバンナも続いてエンジントラブルでリタイヤ、さらに従野もバーストでリタイヤとなり、あっけなく黒沢のスカイラインの独走となってしまいました。ところが周回遅れの武智のサバンナが黒沢にアタックを続け遂に接触という後味が悪い結果となってしまったのは誠に残念でした。レース結果は、黒沢の脱落によって増田カペラ・ロータリーの勝利となりました。
私たちは、結果を見終わらないうちにヘアピンに通じる地下道を通り、初めてのS字コーナーから250Rコーナーに向かったのでした。途中、屋台の“やきそば”を買い食べながら歩いたのを今も思い出します(笑)。
ところで、このレースを持ってニッサンは、スカイラインによるワークス活動を中止することとなったのはなんとも残念でありましたが、私はこの最後のワークス・スカイラインの勇姿と第2戦雨のグランチャンでの高橋国光選手によって達成されたスカイラインGT―R通算50勝をもこの目で見ることが出来たことが何よりもうれしいことでありました。
 いよいよ、メイン・レースである「富士マスターズ250kmレース」のスタートが切られようとしております。私と友人“ハマ”は、S字コーナー当たりに陣取り今か今かとスタートを待っておりました。
すでに、スタート前のフリー走行では、我がTETSUをはじめ、酒井正選手の一見CAN-AMマクラーレンM8D風の「ミノルタ・マクラーレンM12」や高原敬武選手が今シーズンから持ちこんでいる最新マニファクチャラーズ選手権用スペシャル・マシン「ローラT280・DFV」、そして今だ勝ち星に見放されている感のある永松邦臣選手が乗る「ロンソン2000(ローラT290・R39B)」などが勢いよくS字コーナーを駆け抜けて行っておりましたので今回こそTETSUは頑張ってくれるという確信にも満ちた気持ちでスタートを待っておりました。
 時間が14時を少々過ぎた頃、場内アナウンスが各車ローリング開始と放送。いよいよであります。
右の写真は、いつもの「アサヒペンタックスSP」により撮影したローリング中の各車です。ペースカーは、ダットサン240Zであります。
さて、予選結果ですが、当日配られましたガリ版印刷のによりますと次ぎの通りでありました。
 酒井のミノルタマクラーレンが不調だったのを除き、殆どの有力マシンが1分50秒を切っていたことはまさに驚異的な進歩だと思われます。
それにしても予選2位を確保した“ドクター漆原”のローラT290コルトの速さは驚きの一語でありました。
さらに、我がTETSUのGRDも今回は開発も進み予選3位をキープ、私たちは益々TETSUの初優勝を期待してレーススタートを待つことができたのでした。
予選1位 高原敬武 スタンレーT280 1'46"16
予選2位 漆原徳光 ローラT290コルト 1'47"26
予選3位 生沢徹  GRD S72 1'47"87
予選4位 田中弘 シェブロンB19  1'48"15
予選5位 永松邦臣 ロンソン2000 1'48"22
予選6位 鮒子田 寛 シェブロンB21P 1'49"08
予選7位 酒井正 ミノルタマクラーレン 1'50"48
予選8位 米山二郎 ローラT290 1'52"28
予選9位 渡辺一 ローラT212 1'52"39
予選10位 川口吉正 ローラT290 1'52"53
予選11位 木倉義文 ローラT290 1'53"06
以下23台出走
 上の画像は、S字コーナーにおけるスタート直後のトップ集団であります。なにせ私と友人“ハマ”にとってこの場所よりの観戦は初めてであり、大興奮のスタートでありました。私のペンタックスSPも気持ち手が振るえての撮影だったと記憶しています。
先頭は、スタンレーローラT280に乗る絶好調の高原敬武、そして、今回予選では振るわなかった酒井正のミノルタ・マクラーレンM12が早くも30度バンクで2位に躍進していたのには驚きました。我がTETSUは、ドクター漆原についで4位につけています。
 2周目の第2集団を引っ張る酒井正のミノルタ・マクラーレン。トップの高原は、すでに独創態勢に入っています。そういえば、この時酒井は、デッドヒートを繰り返す第2集団にわざとスピードダウンして留まり、テレビ中継に映ろうとしたという噂もありました。
第3位には、予選5位の永松邦臣(ロンソン2000)が進出し、酒井をプッシュしています。
 周回が進むにつれ、高原と酒井のビッグ・マシンは先行し、予想通り2000ccクラスのマシンによるバトルが開始されました。2リッタークラスのトップには、ドクター漆原の三菱コルトR39Bエンジン搭載のローラT290が直線の速さを生かし、2リッター・クラス・トップを堅持。TETSUのGRDは、前戦に使ったフロントカウルを改造した成果か、コーナーで漆原を追い詰める白熱の展開となったのでした。
“ミノルタ・マクラーレンだ!!” 

 S字コーナーから260Rコーナーにさしかかる酒井正の
「ミノルタ・マクラーレンM12」。

 ストレートを風のように走り去るミノルタ・マクラーレン。アメリカンV8の野太いエンジン音が懐かしい!

 物凄いGを感じているのでしょうか!?酒井のヘルメットが後ろに傾いています!
酒井は、予選で9連続ポールポジションを逃し、7番目からのスタートとなりました。
 酒井レーシングが参考にしたと思われる1970年CAN-AMシリーズで完璧なまでに勝利した「マクラーレンM8D」。しかし、このマシンのテスト中、創始者「ブルース・マクラーレン」が事故死したのは誠に残念でありました。
“TETSU ! TETSU ! TETSU ! ”
 我がTETSUの「GRD S-72」は、前回のレース後、オリジナルカウルを大幅に改良して本レースに登場しました。
加藤真監督率いる「シグマ・オートモーティブ」によりモデファイされたNEW GRD S-72の最大の特徴は、リヤ・カウルではないでしょうか。
 当時のトレンドでありましたサイド・フィンを「マクラーレンM8D」風のものにチェンジ、その間にウイングを装備し、リヤのダウン・フォースを稼ぎ、空気抵抗減とダウン・フォースを得ることを目的とした改良型フロント・カウルと合わせ、かなり強力なマシンに生まれ変わりました。
 右上の画像は、序盤戦ロンソン2000(ローラT290・三菱R39B)を操る永松邦臣とデットヒートを繰り返すTETSU。
しかし、永松は、鮒子田寛のシェブロンB21Pと接触、結局リタイヤに終わるのでした。
“いとしのローラ 新旧揃い踏み!” 

 御存知 高原敬武「ローラT280DFV」。本レースでも完璧な勝利を飾る。

 GCレース最初の主役をつとめた「ローラT212」。今回は、渡辺一がドライブした。

 鈴鹿を主戦場としていた木倉義文が、グランチャンに挑戦。マシンは、最新のローラT290。
 同じくストレートを疾走する木倉。
“240ZG登場!” 

 クラッシュ!!NO.10谷口芳浩のフェアレディ240ZG
私と友人“ハマ”のすぐ横で起きた出来事でありました。
命がけの撮影でした(笑)。

 グランチャンピオンも夢ではない柳田春人ドライブの240ZG。予選14位で1分59秒20は立派でした。総合でも9位にはいる健闘をみせました。
“ベレットR6だ!カレラ6だ!” 

 懐かしい(当時は、なんて古いマシンで走らしてんだ・・・なんて思ってましたが・・・笑)ベレットR6。ドライバーは、米村太刃夫。

 1966年デビューのカレラ6も当時は、6年落ちの旧式マシンでした。ドライブするのは、ピーター・ベラミ。
 本当にすばらしい天気に恵まれた「富士マスターズ250kmレース」は、私の願いも叶わずTETSUのリタイヤによりグランチャンクラス優勝は、“ドクター漆原徳光”のローラT290・コルトの頭上に輝きました。
しかし、29周目までグランチャンクラスのトップを独走していた我がTETSUの好調さは、必ずや最終戦に開花する事を私と友人“ハマ”は確信して、快晴の富士スピードウェイを後にしたのでした。

レース結果(出走29台)
41周 246km

順位 ドライバー マシン 周回 タイム
優勝 高原敬武 スタンレーT280/DFV 41 1"15'49"35
2位 漆原徳光 ローラT290/R39B 41 1"16'46"60
3位 鮒子田 寛 シェブロンB21P/FVC 41 1"17'20"06
4位 酒井 正 マクラーレンM12 41 1"17'20"17
5位 木倉義文 ローラT290/FVC 40 1"16'11"45'
6位 川口吉正 ローラT290 40 1"17'35"13
7位 渡辺 一 ローラT212 39 -
8位 浅谷孝夫 リバーサイドNO.2/12A 38 -
9位 柳田春人 フェアレディ240ZG 38 -
10位 鈴木誠一 フェアレディ240ZG 37 -


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(C) 28/JUNE/2000 PHOTOGRAPHS AND TEXT BY HIROFUMI MAKINO