THE SPECIAL REPORT OF M SPEED LIFE


ボン太郎の“無謀”挑戦記(その1)
中古クリヤーボディ復活術!?
60年代物ランサー製「フォードGTX」を復活させる方法

THE ALL OF FORD GT-X
'65 NASSAU SPEED WEEKに出場した
フォードGT-Xを作ってみよう!!


TOP : Chris Amon and his Ford GT-X.

 “はじめに”
 皆さん初めまして。私は人呼んで「遊星仮面!」ではなく、“ボン太郎”と申します。無理やりMSL編集長にお願いして、今回からこの「ボン太郎の“無謀”挑戦記」を書かせて頂くことになりました。
60年代当時に「モデル・スピードライフ」などで紹介されていた製作記事などに挑戦したり、「こんな事はやらないよね!」などという事柄にも敢えて挑戦していきたいと思っていますので、「無謀だ!」だと思われるかも知れませんが、御理解の上宜しくお願いします。
では、挑戦記に入る前に、簡単ではありますが、今回のテーマとなる「フォードGTX」について参考資料を元に紹介したいと思います。
 “フォードGTX”
 1965年、ヘンリー・フォードII世は、世紀のル・マン24時間レースにフォード・フェアレーンに搭載していたストックカー用エンジンである“427 V8”すなわち7リッターエンジンをなんとフォードGTに積んで挑戦するという当時としては考えられないプロトタイプカーを開発し参加させたのでした。
この挑戦を受けてたつエンツォ・フェラーリは、この無謀とも思える大排気量レーシングカーをあざ笑うかのように「ル・マンには、4リッターで十分勝てる!」と声明、フォードを完全に無視していました。
そして、事実その年のフォードは、フェラーリに対する絶対的な速さの証明には成功したものの、レース途中でリタイヤ、打倒フェラーリを達成する事は出来ませんでした。
 フェラーリに対する絶対的なアドバンテージを得るためフォードはシーズン終了後、翌66年のマニファクチャラーズ選手権獲得のため、すぐさまアルミ・ハニカム・フレームを持つ“フォードJカー”の開発と共に、チャパラル(すなわちシボレー)が開発していたオートマチック・トランスミッションを7リッターフォードGTに搭載し、当時アメリカで人気のあったオープン2座席カーのレース( USRRC)等に参加させたり、ローラT70やロータス40などにワークス7リッターエンジンを載せて、クリス・エモン、マリオ・アンドレッティ、そして、AJ.フォイトなどのフォード系ドライバーに開発テストを兼させ参加させたりしながら、急ピッチに熟成させていたのでした(右の写真は、1965年リバーサイド・スピードウェイで開催された“タイムズ・グランプリ”出場して5位となったクリス・エモンのフォードGTX)。
 ここに1966年1月号「ROAD & TRACK」にフォードGTXについての解説記事がありましたので、引用活用させて頂きます。
 
 それは、1965年ブルース・マクラーレンとロイ・ランによって、ル・マンなどを走った“フォードGT 7リッター グループ6カー”を幾つかの違った部分を改良することで出来あがったものだが、決して良い素材とは言えなかった。
なぜならば、フォードGTXは、グループ6カーをグループ9カーとして作り上げられたものだからだった。
GTXは、GT40のフレームと幾つかのアルミニウムを使ったもので、ボディーは、ル・マンを走ったロング・ノーズやGT40ロードスターなどを使い改良したものだ。
エンジンは、「427」フォードV8で、ル・マンでシングル・フォーバルブで485馬力を発生していたのだから、4基のウェーバーチョークを使用しているこのエンジンは、きっと590馬力は出ていると思う。
ギヤ・ボックスは、ヒューランドLG500 4スピードを持つ。
さて、重量はヘビーだ。1730 pounds プラス150 poundsといかに重いことが分かるだろう。

 このレポート時には、まだフォードGTXに、オートマチック・トランスミッションを組み入れる予定はなかったようですが、同じ時期に開催されていたNASSAU SPEED WEEKには、オートマチック・ミッション付きGTXが現に出場していたわけであります。
このNASSAUに出場したオートマチック・トランスミッション付きフォードGTXは、次期フォードの旗艦となるはずの(!?)“フォードJカー”の開発も兼ねていたのではと思われます。
 このGTXの開発は、1966年も続けられ、遂にその成果が現われる時がやってきました。
それはマニファクチャラーズ世界選手権シリーズの第2戦「セブリング12時間レース」での勝利でありました。
第1戦「デイトナ24時間レース」も新型フォードMKII により勝利したフォードは、このセブリングでは、ブルース・マクラーレン(製作)とロイ・ラン(カー・クラフト社 設計)がやはり開発したプロトタイプ“フォード・ロードスターX1”を出場させて、ケン・マイルズ/ロイド・ルビーのドライブにより宿敵フェラーリ330P-3を打ち破ることが出来たのでした。

 さて、前置きはこの程度にして、中古ランサー製1/24スケール「フォードGTX」の再生作業に入りたいと思います。
“ランサー”社と言えば、1965〜66年当時、“デュブロ”社と共に、アメリカを代表するクリヤーボディとして、日本でも大人気のクリヤーボディでありました。特にランサー製クリヤーボディは、プラボディと比べディテールがあまいクリヤーボディの中にあってリアルティーに優れている逸品でありました。
そんなランサーのフォードGTXがひょんなことから私の手元にやって来たのが今年の春のことでありました。しかし、このクリヤーボディは重大な問題点を抱えていたのです。それは、中古であるが故の宿命とでも申しましょうか、仕方ないのかもしれませんが、両サイドに2つづつシャーシーマウント用ビス穴が開いていることと、何故かサイドアンダーラインとフロントアンダーラインが深く切り込まれていて、とてもリアル感に乏しい状態でありました。ただし、カラーリングはされておらず(剥離させていたのかもしれませんが・・・)その点はラッキーだったかもしれません。そしてもう1つ。何故か色がイエローに変色していることです。
何故なんでしょうか!?材質に問題があるのでしょうか!?私が持っております国産クリヤーボディの草分けである“コンパ”製「フォードGT」もマッ黄色であります!そう言えば、当時の国産クリヤーボディである“ゴーセン”社の製品はコダック製ブチレートで作られていると書かれておりましたので、もしかするとそれらの材料になんらかの問題があるのかもしれません。
全体の出来としては非常にリアルなこのフォードGTXを是非作りたいという欲望に負けて、無謀とも思える再生作戦を立てる訳なのですが、作り上げる為に私が考えたのは、サイドとフロントのアンダーラインを正常な形にすることでありました。
フォードGTXの特長であるフロントラジエタ―用に作られている大きな口、そしてロング・ノーズのラインこそがこのクルマの命であることから“無謀”にもフロント・フェンダーラインよりカットし、さらにサイドはドア下ラインよりカットして、穴を無くしてしまうことを考えたわけであります。
そして、製作方法としては、カット部分をプラバンで補足して接着し、継ぎ目をパテで埋め、表から塗装をしてしまう方法で進めていく事にいたしました。まして黄ばんでいるわけでありますから、表から塗るしかないので・・・。
そこで問題点として、昔からクリヤーボディは「ハンブロー(ルとも言いますが・・・)か、パクトラで裏から塗ってください」という鉄則(!?)があったわけで、私も今だに当時(30年前になるのでしょうか?)のハンブローの缶を逆さにして保管しており、今だに使えます(笑)。
シンナー系塗料を使うと変形してしまうという材質のため、エナメル系塗料でしかクリヤーボディは使えないのです(と言われているだけで、シンナー系塗料で塗装した経験がありませんので悪しからず)。
では、“無謀”な再生作業に入ることにいたしましょう。
フロント・ノーズ部が上手く出来ない!!

TOP : Ex-Lancer Clear Bodie's "FORD GT-X" with a Plastic's Sheet.

 上の写真は、すでにフロント・ノーズ周りとサイドアンダー部をカットし、プラ板で再生したものであります。
特に、フロント・ノーズ周りの曲線を再生するのは至難の技でありました。ちなみにここでは「1mm」厚のものを使っており、裏の補強には、「0.5mm」のプラ板を使用しました。
市販されているプラ板は、無理に折り曲げようとするとすぐに折れてしまう特性を持っています(皆さん知っているって!!知らないの私だけですか!?)。そこで、思いだしたのは、師匠Dr.Kの言葉でした。
「プラ板曲げる時は、M製プロユース プラスチック用接着剤 をベチャベチャ塗ればプラ板はフニャフニャになって、曲げやすいよ!」
 この言葉を実行して仕上げたのが上の写真でした。師匠ありがとさん!!
さらに、この上から“パテ”盛りをしたのですが、心配されたボディの変形は起こりませんでした。しかし、裏側から補強のためプラ板を接着するのに用いた接着剤が実は大誤算でありました。
シンナー系の接着剤であったため、ボディサイドが歪んでしまいました。「あ〜あ」という感じであります。

フロントラジエタ―部とスポイラーを作る!!

TOP : Do it !! From leftside to rightside !!

 左端の写真は、フロント部をプラ板とパテで作り直したものです。そして、0.5mm厚のプラ板でフロント・スパッツとリア・スポイラーを作り、取りつけます。さらに、ウインドウを除いた全てをサンド・ペーパーで仕上げ、その上からホワイト・サフェ―サーを吹きつけます。
しかし、下の写真のように接着剤による変形したサイド・アンダーライン上と下の面が合っていないのはどうにもいただけませんが・・・。御勘弁ください!!


TOP : The side view of Ford GTX.
フロント上部のカラーリングは!?

TOP : The outline of Ford GTX( Leftside) and it's a engine.

 フォードGTXのカラーリングについては謎が多いです。通常のフォードGTでは、ホワイトとミッドナイトブルーのツートンカラーでありますが、このフォードGTXについてはカラー写真が少ないこともありますが、当時のビデオなどを参考して今回はセミマットブルーでいくことにしました。つや消しのブルーか、クリヤーブルーか、はたまたつや消しブラックか、とにかく掴みきれないフォードGTXのカラーリングでありました。もし、御存知の方がいらっしゃいましたら、是非教えて頂ければ幸いです。
また、エンジン部分には右写真のとおり“サイド・ブラスト”式の手持ちパーツを使い装着してみました。
なお、ウインドウ部は今回師匠Dr.Kの教え(「切り取ってエンビ等のクリヤー板で作り直すこと」)を無視(!?)して、黄ばんだままで行くことにしました。

問題はタイヤとホイールだ!!

TOP :  Modified mag's wheels and Slotcar's sponge tires.
 タイヤとホイールは、そのクルマの命と申しましょうか、とにかく大事な部分であります。
ホイールに関しては、当時のコブラ(ロードスターやデイトナ・コブラ)やフォードGTにこぞって使用されておりましたMag wheelを使用するのですが、今回は旧LS製「フォードGT」に付いておりますMagWheelが雰囲気的にもピッタリでありましたので、このホイールに1/32スケール用のスロット用ホイールをねじ込み、ボンドで接着して使用しました。

TOP : Ford GTX with real mag's wheels.
さあ、デカールどうしょう!?
 1965年のリバーサイド・スピードウェイで開催された「タイムズ・グランプリ」に出場していた時のフォードGTXと、その年のナッソー・スピードウィークに出場した時では、微妙に仕様が異なっています。
まずボディ関係では、フロントラジエタ―口左右のスポイラー形状がナッソー仕様では、角が切られていること、そして、リヤ・スポイラーがナッソー仕様の方が大きく上に突き出ていました。
デカールについては、まずナンバーがタイムズ・グランプリでは、「41」。そしてナッソーでは、ただの「4」。
ちなみに、ローラT70で出場していた“ボブ・ボンデュラント”などは、タイムズ・グランプリでは「11」だったのに、ナッソーではなんと「111」になっておりました。ついでに、“ブルース・マクラーレン”は、「4」から「47」でした。
当時のみんなは、めんどくさがり屋だったのでしょうか?!でも、チャパラルはいつも「66」と「65」ですが・・・。
その他のデカールについては、資料がタイムズ・グランプリの時の写真しかありませんので、その時の仕様にしました。

TOP : A shot of the Ford GTX, 1/24 body and Decals with A driver.
 上の写真は、デカールを貼りつけて、ドライバーを付けたフォードGTXであります。
サイド下の“フォードライン”は、適当な濃紺のラインの手持ちがなく、クリヤー・デカールの上から“カラス口”を使ってラインを描くことにしました。また、「FORD X1(FORDと書かれていない)」と書かれたアルファベットは“インレタ”を使い作成することにしました。
ところで、フロント・フェンダー上部にあるバック・ミラーは、これまた手持ちがないのでタミヤの“ポリ・パテ”をクネクネしながら粘土のようにして作ってしまいました。
 余談ですが、フォードGTX専属ドライバーであった“クリス・エモン”のヘルメットのカラーは、1965年シーズンまでシルバーに、バイザーがブラックだったようであります。
有名なホワイトにブルー/レッドのライン入りのカラーは、1966年からだったようです。新しい発見をしてしまいました!!
TOP : Dead-heat !! The winning #47B.McLaren( McLaren Elva) and the #4 C.Amon's Ford GTX at Nassau in 1965. 
最後に
 どうにかこうにかたどり着いたらいつも雨降り・・・なんてフレーズがありましたが、まさにそんな感じでありました。
やはり自分の限界というものを謙虚に受けとめなくてはいけないな・・・とつくづく今回の“無謀挑戦記”を行ないながら改めて感じた次第であります。
などと思いながらも次回はあの企画をやってみようなどと思っている自分もまたいるわけであります。
とにかくこれからも暖かい目で末永く見守って頂ければ幸いです。
どうもお付き合い本当にありがとうございました。
凡太郎


 
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(C) 24/DEC/2001 Photographs and Textreports  by BONTARO.