TOP : Del MKIV Toyota Crown Eight V8 2600cc in the Speedcup Race of '68 Japan GP
(C) Photograph by Shingo Shiozawa.
 デルRSCについて 

 次にデル RSC ロータスフォード4800です。この車はロータス40の改装です。ロータス40は初期のカナディアン アメリカン チャレンジカップ用にロータスが開発した車でした。フレームはボックス仕上げのXフレームでした。全てのボディを棄てて飛行機工法のポップリベットで、超ウエッジに仕上げたこの車は、練習とテスト走行不足のまま勝常時の出走する所となりました。私は「日本カンナム」の既に何回も述べてきたゴタゴタのためレースディレクターとして、そしてオーガナイザーとして多忙で、全くこの車の走行にタッチ出来ませんでした。RSCの車体の製作は、デルレーシングの藤田チーフメカ一人が担当しました。助っ人に勝常時でした。出走の費用は、静岡の玩具商 今井英一氏が負担して、車名は「イマイ A-1(エイワン)」。ドライバー勝につくクルーは藤田と作業衣を着たスポンサー今井氏だけでした。
 この車とロータスフォード4800エンジンは素晴らしい出来上がりでした。第1回日本カンナムで最後尾からスタートした勝は、2周目のヘアピンまでに5台のトヨタの全車を抜いてしまいました。これは当たり前のことでした。トヨタは3000cc、デルRSCは5000ccに近いエンジンである上に、当然ながらロータスのエンジンの方がはるかに回転数は上でした。結果は第3ターンからのオーバースピードのためヘアピンの土手に駆け上がって「おしまい」です。その辺りのお客さんだけしか喜びません。宙返りして落ちなかったことで良しとするしかありません。その上、この車のヒューランド トランスミッションは当時のインディアナポリス用で、バックギアがありませんでしたからもう戻れなかったのです。私は後に藤田メカと本当にガッカリしてお酒を飲んだのです。勝負を急がないでじっくりレースの後半まで行けばびっくりするような結果があったかも知れません。
私は、前年の安田のローラ、この年の勝のRSCの2件は、観客に対してもスポンサーに対しても罰金ものだと思うのです。
 


TOP : IMAI A-1/RSC(LOTUS 40 4800cc) in 1968 Japan Can-Am.
It was a ex-#7 LOTUS 30/40 in 1967 Macau GP.
 ここで、デルRSCの母体となったロータス40について当時のオートスポーツ誌の説明を元に紹介します。左下の#7ロータス40(当時のオートスポーツ誌における名称は、Type 30/40というような言い方をしていました。)は、マカオグランプリにおいてスタート準備に入るロータス40です。ドライバー兼オーナーは、ジョン・マクドナルドで、1968年に第1回東京レーシングカーショーに出品後、日本で開催されたNAC主催の「アジア・チャレンジカップ」に出場。いかなる経緯を経てジョン・マクドナルドにこの車が渡ったかは不明です。
その後、この車は、NACの所有となり、あの玩具メーカーのイマイのスポンサードを受けて改装され、日本カンナム出陣となったと思われます。

TOP : #7 LOTUS 40 in 1968 1st Tokyo Racing Car Show.
 日本カンナムの話が出たところで、当時の日本グランプリより何倍も賞金総額が多かったこの日本カンナムレース。では、一体いくらぐらい優勝者はもらっていたのでしょうか?その優勝賞金について塩澤氏に伺ってみました。
 ワールドチャレンジカップの賞金に関してですが、ここに69年に開催された第2回ワールドチャレンジカップの資料があります。
日本語で書かれた特別規則書第10項に賞の表示があります。これで優勝のトヨタの川合君は \3,600,000-を受け取ります。次に STP の公示の通りSTPのアクセサリーマネー $2,000 × @\360 = \720,000- 加えて チャンピオンスパークプラグのコンティンジェンシーマネー $1,000 = \360,000以上、合計 \4,680,000-という計算でした。
 
 アメリカでは、主催者が支払う賞金をPurse moneyと言います。これは、興行主が昔、サイフを投げたことに由来しますが、今でもそう呼びます。例えば、インディ500のPurse moneyは1000万ドルといった具合です。これに放送権料の配当、ラップMoney、STPのような公示ずみのアクセサリー、その場でのコンティンジェンシイなどが加わります。


TOP : PRIZE MONEY for a drivers of Nippon Can-Am
(C) Copyright and photograph by Shingo Shiozawa.


TOP : The Prize money from STP Corporation(Rightside) and Champion Spark Plug for '69 Fuji World Challenge Cup Race.
(C) Copyright and photograph by Shingo Shiozawa.

 最後に 

 私はプロに撮影させた1964年の第2回日本グランプリのメインイベント JAFトロフィーレース でデル・マークIIコンテッサがデビューして6位に入賞する鈴鹿サーキットでのレースの16ミリフィルム1時間ほどのものを持っております。これは音とナレーション未了です。1964年の川口市営自動車競技場で生沢が優勝するストックカーレースの16ミリの音入り完成品と1965年同レーストラックでの デルRSAコンテッサ のレースショットも完成品で持っております。これに1970年3月、タイニイ・ランドが登場する富士スピードウェイの日本ストックカー富士300キロレースの完成フィルムと デルRSC が登場する富士スピードウェイで撮影した16ミリの完成品のコマーシャルフィルムも持っております。(事務所にあるベルアンドハウエルの私の16ミリのプロジェクターはダンハムに壊されて使えなくなったままで、部品もなく形だけで残念ながら上映してお見せ出来ません。)
そうした事を知っているモーターレースと映像ビジネスの関係者が「塩さん、年だから死んじゃう前に早くDVDにしなくちゃフィルムが変質してダメになっちまう」などと申します。既にシナリオは書いてあります。バックミュージックは、ず〜っと遠くで聞こえるヒットラー・ユーゲントのマーチ(ヒットラーはきらいです)、と空の神兵(軍国主義はきらいです)、バックホーム アゲイン イン インディアナ、アンカーズアウェイ そして最後はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の最終楽章(音は権利をよけて最後以外は全て私が電子ピアノで出します)で、まとまればなぁと思っているのですが・・・。
いずれにしろ皆んなが言うように死んじゃう前にはDVDに仕上げようとは思っております。笑ってくださいネ。おわり。

 「創造の軌跡」刊行記念特別企画として掲載してまいりましたが、氏の著作「創造の軌跡」に書ききれなかったデル・レーシングカンパニー製レーシングカーについて塩澤進午氏より細かくコメントを頂きながらパート1,2を終わらせる事が出来き本当に幸せだと感じています。この場を借りて塩澤進午氏に心よりお礼を申し上げたいと思います。
そして、さらに塩澤氏より「創造の軌跡」を縁あって読んで頂いた方々のためにお礼としてプレゼントを頂いております。
そのプレゼントを下記の内容にて皆様に差し上げたいと考えています。

1) 塩澤進午著作「創造の軌跡」の感想文を簡単なコメントで結構ですので、「くるま村の少年たち」編集部までメールにてお送りください。
頂いた感想文は、直接塩澤進午氏にお渡しします。
そして、感想文数がプレゼント数内の場合はもれなく、多い場合は抽選にてお送りいたします。
当選は、発送を持って変えさせていただきます。

2) プレゼント内容 : 直筆サイン&コメント入り「日本CAN-AM」「むつ湾ストックカーレース」などの日本レース100選誌など多数。

3) 「創造の軌跡」刊行記念として、1/24スケールのレジン製モデルカー「デルRSB」キット&完成品を製作いたします。
ご希望の方がいらっしゃいましたらお知らせください。

「創造の軌跡」感想文送り先メールアドレス

では、長い間お付き合い頂きありがとうございました。

「くるま村の少年たち」編集長 
牧野弘文 
END


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Special thanks Shingo Shiozawa.
(C) Copyright and photograph by Shingo Shiozawa.