THE ROOM OF LE HONDISTE
by Philippe Lalanne ( Club Honda S800 N&Z France ) 
 “クラブ・ホンダS800N&Z・フランス”の会長をされている“フィリップさん”が日本の“ホンディスト”達に送る熱いメッセージを紹介!!

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Top : A magazine of club honda S800 N&Z France( It is published every 4 months.)


 この“THE ROOM OF LE HONDISTE”は、フランスにおいて、ホンダS、N&Z600をこよなく愛し、そして今もフランスを中心として“ヒストリックカーレース”にホンダSやZで積極的に挑戦し続けておられる「クラブ・ホンダS800N&Z・フランス」会長フィリップ氏が日本の“ホンディスト”のためにと書き下ろして頂いた貴重な情報ページであります。また、我がHPのためにとレース活動等の情報も頂くことになっています。
 フィリップ氏とは、先月私のHPに氏よりメールを頂いたことが縁で、お付き合いをさせて頂いております。そして、今でも1967年当時の生沢徹氏の活躍を覚えておられるようです。
また、クラブ員の一人“Yves Derisbourg”氏は、故・本田宗一郎氏とも交友があり、生前の宗一郎氏と日本で対面し、後に本田氏の栄光を書き綴った著書「MONSIEUR HONDA」を出版しているとのことでした。
 そういえば日本では、60〜70年代に活躍したフランスの栄光のレーシングカー「アルピーヌ」を今だに愛するエンスー・ジアスト達が沢山います。このことから私は思うのです。1960年代を駆け抜けた世界のレーシングカー達に国境はないのだと・・・、そして、理屈抜きにホンダS、およびN&Zは名車だったのだと今さらながら思わずに入られませんでした。
To Japanese Hondiste   
 はじめまして、フィリップ・ラレーンと申します。私はこの3年間、フランスのホンダ・クラシックカー・クラブ(S600/800 N and Z)の会長を致しております。今日の午後、先月行われたNurburgringでの24時間耐久レースに関する情報を探していたところ、貴HPを見つけ、大変驚き、また嬉しく思いました。
私達にとって生沢徹さんは、本当に憧れの人です。彼の駆る「ホンダS800」は今でも我々クラブ員の羨望の的であります。それにも増して牧野さんのホーム・ページに生沢さんのページを見つけて大変喜んでいます。
 ところで私達のメンバーの一人、イヴ・デリボーは、ジャーナリストであり、彼は1992年に本田宗一郎氏が急死された時に、ホンダと、宗一郎氏についてのTVレポートを準備しているところでした。これらの写真は、おそらく本田宗一郎氏の残された最後の写真の幾つかであろうと思います。TVレポートは、結局未完に終わり、代わりに、彼は本田宗一郎氏の伝記を書くことになりました。その題は、簡潔に「Mr.Honda」といいます。
 イヴ・デリボーは、ホンダ・フランスの会長を1964年から1993年まで勤めたジャック・デリボーの子息です。彼はN360を所有し、私達のクラブのメンバーでもあります。
 私達は、フランスのホンダ・ヨーロッパの広報部とは親しくさせて頂いており、クラシック・カー・ショウの折には、いつもお世話になっております。また、スイスのクロード・F・サーゲ氏ともお付き合いがあり、11月に開催されるモーターショウ(クラシックカーショー)には、氏からフォーミュラ1カーの提供を頂く事になっています。
 私達は”le hondiste”というニュウズレターを会員向けに発行しております。フランス語なのですが、面白い記事もあると思います。ところで、”le hondiste”とは、「ホンダ・ユーザー」の事なんですよ!
 ところでご存知かとは思いますが、昨年より、ホンダS800でFIAクラシック・レースに参加する事ができるようになりました。それに当たり、1966年から68年まで、ホンダ工場で作られたレーシング仕様のS800が、どのようなスペシフィケイションであったかを調べる必要に迫られております。
どなたか、これに関する情報、資料をお持ちの方をご存知ありませんでしょうか。特に「RSCワークショップ・マニュアル」をお持ちの方がいらっしゃいましたら幸いです。
 このワークショップ・マニュアルについてですが、私達にとって、またとない資料であることは、間違いなく、何とかしてコピーを手に入れたいと考えております。ご存知かと思いますが、フランスで1968年に売られたS800レース仕様車には、CRキャブレターを使う事を前提とした ワークショップ・マニュアルが付いておりました。しかし、残念な事にこのマニュアルは失われ、いま誰もコピーも持っておりません。
このマニュアルを実際に見た者や、当時のメカニックから聞いたところでは、これは日本語のマニュアルからフランス語に翻訳されたものだったそうです。もしも、オリジナルのショップ・マニュアルをお持ちでしたら、私達にぜひ教えてください!!日本語からフランス語への翻訳をし、30年の時を超えて再び蘇らせたいと思っています。
 今後の情報提供についてですが、私が何ヶ月ごとに送るレポートを日本語にして頂き、私も大ファンとなってしまった“「くるま村」の少年たち”に掲載して頂くことになると思います。これは大変素晴らしいことだと私は思います。なぜならば日本には、英語を話す人があまり多くないと聞いていますので、日本語訳であれば、より多くの日本のクラシックレースファンに、私達の欧州での活動を知ってもらえるからです。だから大変期待しているのですよ。
by Philippe Lalanne


ニューズレター32号の記事

Top: A no.32 of "Le Hondiste" in April 2000
 Monsieur Honda (Mr.Honda)   

 これらの写真は、本田宗一郎氏の生前最後の物である。本田氏のTVインタヴュー2本を収録するために、私達が本田青山センターを訪れた時に撮ったものである。本田社屋は、東京の「シャンゼリゼ通り」に面して建っている。これが私の最後の本田氏訪問となった。
一本目のインタヴューは社長室で、2本目は社屋1階で収録した。
本田氏は、ホンダの新車BEATがS800コンヴァーティブルに似ている、という私達のコメントに対し、S800への思いを語った。
 S800は、まさに彼の手がけた車であり、彼の子供であった。一台一台に彼のサインがされていた。・・・本田氏はそう言うと紙を取り、それにサインをした。本田宗一郎のサインは、S600/S800のホンダ・バッチ(ウィング)に付いているHONDAのロゴと変わらない、Hondaの証明書である。
ピニンファリーナがしたように、彼がこの車を作り、名前を付けたのだ。彼の名前は、日本語しか話さない本田氏の言葉の中で、唯一私達がそのまま書き取ることができたものである。
彼の言葉は、その豊富な身振り手振りによって、いつも笑いを巻き起こし、私達にあたかも自分達も日本語を話していると思わせるような効果をもたらした。「ホンダ」は、まさしく国際語である。
  これらの写真は、1992年6月の15日間に亘る日本訪問の記憶を呼び起こしてくれる。この創業者との出会いは一日だけであったが、私達は本田工場でも長い時間を過ごしたのであった。
残念な事に、本田宗一郎氏は数週間後に亡くなってしまった。本田氏とのインタヴューは、私が製作していた52分もののドキュメンタリーに挿入される予定であったが、インタヴューテープの編集も終える前に本田氏は逝去された。そしてドキュメンタリー完成のために必要な画像を追加すること事がついに出来なくなったため、この企画は断念せざるをえず、その代わりとして、本田氏の伝記という出版物の企画が生まれる事になった。 この本の企画は、私の記憶と、私が携帯していたミニカセットレコーダーが録音した多くのインタヴューに基づいて進められる事となる。(盛田昭夫氏に感謝しなければならない。)録音テープを携えての取材の旅は、日本、米国、スイス、そしてフランスと広がった。
本田宗一郎氏が亡くなった時、当時の川本信彦会長から、私達の最後の訪問における写真、フィルムの提供を依頼された。本田氏の部屋を、生前そのままに復元するための資料として使いたいとの事であった。
 今となっては、もし完成したとしても、TVドキュメンタリーが成功したかどうかは分からない。しかし、この本は、アイスランド語からロシア語、そして勿論日本語を含む14ヶ国語に翻訳され、25カ国で販売されるという大きな成果を上げることができたのだ。

(右写真解説)
左から右へ、ながたき・たつじさん。彼は、私の日本の友人の一人で、セルジュ・ゲンズブールとイヴ・シモンの日本での翻訳者・編集者であり、1982年以来、私が日の出る国(JAPAN)を訪問する際には手助けをしてもらっている人である。
 言葉の通じない国では、どうしても専門の通訳が必要である。特に、ホンダ訪問時に、宗一郎氏が冗談を言われたり、興味深い思い出話をして下さるような場合、絶対に通訳が必要であった。
次がクロード・ユーゴー。彼は、ホンダ・フランスの広報担当で、我々がフィルムを上映/編集した時に付き添った人物である。
なにしろ、8日間に亘ってホンダ内部の撮影をしたので、工場設備、サーキット、研究開発についての映像がふんだんにあったのだ。
次がカメラマンのドミニク・ファルセット、ドキュメンタリーの製作者である私の妻、ソフィー・デリボー、本田宗一郎氏、召使を勤めているイヴ・デリボー(笑)。そしてチーフ・オペレイターであるパトリス・ゴールポー。
By イヴ・デリボー
By Yves Derisbourg
 未熟な我がHPも僭越ながらフランスの有名なクラシックカークラブである「クラブ・ホンダS800/600 N&Z・フランス」と交流を持つことが出来ました。さらに、会長であるフィリップ氏から暖かいお言葉を頂き、なんとこの“「くるま」村の少年たち”内で同クラブの活動を発表する事が出来る事となりました。
何か流れの中で掴んだ幸運とでも申しましょうか、縁の不思議さに戸惑いさえ感じているこの頃であります。
これからも、この縁を大事にして第1回目の「THE ROOM OF LE HONDISTE」を終わらせて頂きたいと思います。
どうもありがとうございました。
また、今回、「クラブ・ホンダS800/600 N&Z・フランス」と私との間に入り、英訳等大変お世話になりましたアメリカ・ペンシルヴァニアにお住まいのM.Sさんにこの場を借りましてお礼を申し上げたいと思います。
主宰者

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(C) 19/AUG/2000 Text repart, photos by Club Honda S800 N-Z France
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