The Chaparral 2F Made by Hiroshi Tadokoro.

(C) Photograph by Hirofumi Makino.
A material is a wood---
The hand made body by Hiroshi Tadokoro.
A Wing bars is a spring bars.
 チャパラル2Fと言えば1967年のマニファクチャラーズ選手権において異色なプロトタイプカーとして大変有名でありました。唯一フォードMKIVと対等に渡り合えたマシンでもありました。
しかし、日本モデルカーレーシング界にとって1967年は不毛の年であり、雪崩れ式にブームの去ったスロット業界は衰退して行った年でもありました。そんな時に登場したチャパラル2Fはモデル化されなかったことはありませんでした。
唯一、クリヤーボディメーカーが数社発売されただけでした。
そんな中、私の当時のバイブル誌でもあった「モデル・スピードライフ」誌の1967年5月号に目を見張る製作記事があったのです。杉崎英明氏製作「1/24SCALE スロットカー 2月4日開催のデイトナ24時間レースに初登場した ボディーを・・・バルサ材で作る CAPARRAL-2F(正確にはCHAPARRALと書きますが・・・雑誌掲載通りに書きました)」であります。
なんとも胸踊る製作記事でありました。しかし、当時中学生の私にはこれほどの製作技術は持ち合わせておらず断念した思い出があります。
今回ご紹介する田所博史氏のチャパラル2Fは、同じく67年に製作されたものでありますが、このスピードライフ誌に載った杉崎氏のチャパラルの製作記は知らなかったということでした。
田所氏のチャパラルは同じくバルサ材で作られており、最大の製作上の問題点であったルーフは、当時発売されていた長谷川製作所の「ディーノ166P」のルーフ使用し、“2F”の特徴をうまく表現しています。ちなみに、スピードライフ誌に掲載されていた杉崎氏の“2F”は、田宮模型より当時発売されていた田宮模型唯一のクリヤーボディである「フォードJカー」のルーフを切り取り使用していました。
また、“2F”の特徴でもあるハイ・ウイングについて田所氏は走行中のクラッシュを想定して、ウイング支柱を円形断面の堅いスプリング柱をバーに使用しており前後にぐにゃぐにゃに曲がるという特徴を持っていました。
さらに、田所氏はシャーシーについてもリヤだけは製作上の問題でピアノ線によるサスペンション・システムを使用していましたが、フロントについては、前記したホンダF-1同様、フロント独立懸架サスペンションを採用していたのには驚きを隠せませんでした。


TOP : The Front Sus Of Chaparral 2F At 1967 by Hiroshi Tadokoro.
(C) Photographs by Hirofumi Makino.