TOP : Hiroshi Fushida and his SIGMA MC73 at Le Mans in 1973.

TOP and Bottom : Bentley EXP SPEED 8 modeling by Nobuo Ochiai.

 LAST YOUR MESSAGE NO.1( APRIL/2002 ) 

 18/JUNE/2002  鮒子田 寛さんから皆さんへ
 
 ベントレーを応援していただいた皆さん、ありがとうがとうございました。 
お蔭様で4位入賞、表彰台には届かなかったのですが、1台参戦で4位は上々の出来と言えます。24時間レースですから、1台はこけるかなとも思っていたのですが、Audi軍団はとりあえず強すぎました。
 来年は優勝を目標としていますが、決して楽なことではありません。運に頼らずに確実に優勝を目指せるように、これからの1年間、Team Bentleyの持てる力を傾注し戦闘力のアップした車を開発して行きたいと考えています。
ところで、ルマンでは、ベントレーがメインストレートに来ると、ベントレーのピット前のスタンドに陣取った英国のファンから、ウォーと云う地鳴りのような大きな声援が上がり、また、フィニッシュしたときは、エアホーンと旗と声援とで最高に盛り上がりました。ピットのメンバーが応援に応えると、いっそう大きく盛り上がり、ファンとの一体感を感じさせ、チーム全員を大きく勇気付ける心強いものでした。
牧野さんのHPを通して応援していただいた皆さん、簡単ですが、応援のお礼まで。

鮒子田 寛

 6/JUNE/2002 諸富さんから頂いた応援メッセージ紹介 「微力ながら応援させてください」
 
 少々のご無沙汰となりました、八王子の諸冨です。
もちろん鮒子田さんの応援、ぜひさせて下さい!
ほんとこの牧野様のホームページが無かったらどうにも知ることの出来なかった、日本のモータースポーツの謎(?!)を解明できなかったのですから!
 あんまり内部事情に触るのもどうかと思いますが、実はレーシング・テクノロジー・ノフォーク(旧TOM‘S GB)の作品は、日本のサーキットやショー、公道でも車好きの方なら必ず一度は眼にしてるはずですよ。
あ、これ以上はまずいかな・・・・・。 
 
 Tom's GB時代に製作したレーシングカー等は、日本へかなりの台数が出ていますが、現、レーシング・テクノロジー・ノーフォークとしての製品ではEXP Speed 8が1台日本にあるだけです。
鮒子田 寛

 とにかく鮒子田さんの情熱は本当にすごいものがあります。
林みのるさん、舘信秀さんとの逸話にはびっくりしました。
ということは、もし鮒子田さんがいなかったらどうなってたんだろう!!!!
あ、それと、自分より年下ですが当時同じカートチームの先輩に加藤寛規というドライバーがおりまして、
イギリスのDOMEチームで頑張っていますので、鮒子田さん、ご縁があったら宜しくお願いしますね!
それと寛規ちゃん、「ベントレーだけはぶつけんなよー」!

TOYOTA TEAM TOM’S 時代の果たせなかった完全優勝の夢ですが、ひょっとしたら鮒子田さん、かなうんとちゃいます?そんな気がしてなりません。
頑張れ!鮒子田さん!頑張れ!BENTLEY!!

 24/MAY/2002   M.Hさんへ 鮒子田さんから頂いたお返事コメント紹介
 
応援メールありがとうございます。質問の答えですが、期待通りの答えではありませんが悪しからず。

例のマクラーレンM12が実際にいつ購入されたか正確には知りません。日本GP後にシャシー開発・研究のため実車走行試験をすることになり、そのテストを担当していました。テストを重ねるうちにそのシャシー性能と速さは当時のトヨタ7を凌駕(ベストラップはR382をも上回っていました)するものであることがはっきりとし、日本カンナムが近づくにつれレースに出そうと言う話がどこからとも無く盛り上がってきました。もちろん、私もその方向であちこちに出たいと言うことを言って回ったものでした。日本カンナムは日本GPとは違い、トヨタ対日産と言う構図はなく、トヨタとしてもマクラーレンを出しやすい環境であったと言えるでしょう。

話を質問に戻しますが、と言うことで、仮に日本GP前からあったとしても、マクラーレンでの参戦は不可能でしたでしょうね。もちろん、前年の日産R381はシボレーエンジン搭載、前例はあったので絶対無いとは言い切れませんが、当時のトヨタの状況からすればあり得なかったことでした。仮に出ていたとしたら、日産とは対等、或いは、それ以上に走れたのは間違いなく、うまくすれば優勝していたかもしれませんね。あくまでも、『たら』の話ですが。 
では、また。

鮒子田 寛
 22/MAY/2002 M.Hさんから頂いた鮒子田 寛氏への応援メッセージ(御本人への質問付きです)
 鮒子田 寛様。初めまして。
私は1969年からオートスポーツ誌の購読を始めた三重県在住のモータースポーツファンです。初めて買ったオートスポーツ誌の表紙は鮒子田氏がドライブする5リッターNewTOYOTA7でした。この年、鮒子田氏は富士1000km、NETスピードカップと立て続けに勝利され、当時中学生であった私には憧れの存在でした。
その後トヨタのワークスドライバーの地位を捨て海外に活躍の場を移され御活躍されたことは当時のオートスポーツ誌に鮒子田氏が手記を投稿されていましたので毎月拝見していました。当時からすばらしくインターナショナルな感覚をお持ちでした。そして現在、海外のワークスチームで中心的な存在として活躍されている日本人は鮒子田氏だけです。今年のルマンのみならず今後の海外での御活躍も期待しています。
ところで、1969年の秋に開催されました日本Can-Amで鮒子田氏はマクラーレン・トヨタをドライヴされました。このマシンは、今でこそ高性能日本製エンジンが外国製シャシーに搭載されるのが常識ですが当時としては画期的であったと記憶しています。そこで是非お聞きしたいことがあります。このマシンは69年日本グランプリの時点で日本国内に存在したのでしょうか?もしそうであったらオリジナルTOYOTA7に代わって鮒子田選手がこのマシンで出場されていたら日産R382を打ち破っていた可能性は充分あったと思うのですが。もし支障がなければこの辺のいきさつを教えてください。
 22/MAY/2002 鮒子田さんから頂いたお返事コメント紹介
 
BSさん、B&Hさん

 応援メッセージありがとうございました。
ドライバーを引退して早21年になります。そう言えば、最後の年にマツダでルマンに出たのを思い出しました。ドライバーでの完走はありませんでしたが、監督としては優勝こそありませんが、2位・4位等があります。ドライバー・監督等で果たせなかった「ルマン優勝の夢」をこのベントレーで果たしたいものです。
ただ、今年は諸般の事情により1台だけの出場となり、ドライバーは昨年3位入賞実績のある確実トリオ(アンディ・ウォレス、エリック・バン・デ・ポール、ブッチ・ライツジンガー)です。ことしのSpeed8は昨年型の発展改良型ですが、今までの走行テストでの結果も良く今年も上位入賞を期待しています(優勝を狙うと言いたいところですが、やはり、1台体制では総合力で劣るので、上入賞としておきましょう)。
 来年は目標を優勝に定め、既に開発計画はスタートしています。ベントレーとしては3年目となるので優勝の栄光を勝ち取るべく全開で頑張ります。
 英国車であるベントレーを開発している会社を運営しているのが、日本人の私であるのも何か変な感じですが、RTN(レーシング・テクノロジー・ノーフォーク)は元トムスGBであったと言うことが分かれば納得頂けるでしょう。
 今年はもちろんですが、来年も応援して下さい。
それでは、また。

鮒子田 寛
 19/MAY/2002 B.Sさんから頂いたメッセージ紹介 「応援しますう!」
 おれは昔から鮒子田さんのファンでした。
よく、デサント・サファリ・シェブロンを教科書やノートの端にイメージスケッチしたものでした。
70年代のエネルギッシュな活躍を尊敬するものの一人です。たった今、このページに出会い、驚くとともに、ドキドキしています。
 応援します。
 18/MAY/2002 B&Hさんから頂いたメッセージ紹介 「ベントレー頑張れ!鮒子田頑張れ!」
 英車ファンの私にとって、ベントレーがルマンを走ることは、ジャガーが再度ルマンを制した時と同じ位くらい興奮させる物であった。ましてや、そのベントレーのディレクターの一人が、少年の頃の憧れのレーサーであった鮒子田 寛と聞いては、なおさらだ。
今年は1台のみのエントリーだと言う事だが、再度お立ち台に立つ事を心から祈っている。 
 ベントレー頑張れ!! 鮒子田頑張れ!!  
B&H



 
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(C) Photographs, modeling by Nobuo Ochiai.