“2時からの最終車検はなんなく通過した。最終予選の発表で82台の車があすのレースに出場することになった。車番58のわがホンダS800は、アルピーヌ、マトラ、ロータス47、同エラン、アルファ・ロメオ、アバルト、ミニ・マルコス、ミニ・クーパー、BMW、グラス、NSUバンケル・・・といった欧州の名車に混じって31位のポジションを得た。
ポール・ポジションはマウロ・ビアンキのルノー・アルピーヌ、ロータス47のトレバー・テーラーなどが上位を占めている。” 

上の文は、TETSU自ら書き上げた「チェッカー旗はまだか」より引用させて頂いたものだ。
初めての国際レース「ニュルブルグリンク500Kmレース」に出場したとは思えない堂々の予選通過である。
また、初めての国際レースということで、次ぎのようなコメントも書かれていたので再び引用活用させて頂く。

 “「ニュルブルクリンク500Km」は国際レースなので、ぼくのホンダは、こちらに来る前に白く塗り替え、ボンネットに「日の丸」を書き込んである。ジャパン・カラーだ。そのせいかめずらしそうに人が集まって来る。” 

 “ニュルブルクリンクのコースは1周約13Kmほどあって、1ラップ中に180以上のコーナーを持ち、レース前には最低100周以上走り込まないと、とても覚えきれるものではないという。だが、僕にはそんな予算も時間もない。” 

上の文章は、「チェッカー旗はまだか」より引用させて頂いたものだが、当時のTETSUがどんな態勢でこのレースに臨んでいたかが非常に理解できる内容である。

 “・・・レースも後半になると、リタイヤする車が多くなった。エンジンを壊すのがほとんどで、コース上はオイルだらけだ。トレーバー・テイラーのロータスが12Km地点でエンコしてとまっており、そばの草むらでテーラーがぶすっとした顔をしてしゃがんでいた。
 1000cc以下のGTのラップ・レコード10分32秒2を破ろうという欲望にいくどかさいなまれる。しかし、じっとこらえて9000rpmで最後まで走り続けた。まったくトラブルもなく、スタート時と変わらない快調なエンジン音のまま3時間45分17秒でゴールした。
・・・同クラスでは、もちろん僕が優勝で、総合でも11位に食い込んで皆を驚かせた。なにしろ、僕より上位の車はアルピーヌ、アバルト、アルファ・ロメオと大きな車ばかりだが、うしろにもマトラ、ロータス・エラン、ミニ・アバルトなど上位クラスの車がずらりと続いている。自分でも信じられないほどの結果だった。” 


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 「TETSU IKUZAWA」。この名前を聞くとどうしても当時代名詞のように呼ばれていた“一匹狼 生沢 徹”という言葉を思い出してしまう。それだけ当時のTETSUに対する評価は他のドライバーたちとは一線を引いていた。とにかくプロのレーシング・ドライバーとはどういうものなのかを教えてくれたのがTETSU だった。
「VAN」「PEPSI」「RACING MATE」といえばすぐにTETSUを思い出すほど彼の個性は強烈だったのだ。
それはまさに、我々の目の前に突如現われた未来人、ジャンルを超えたスーパースターだったと言っていい。
そのTETSUも今還暦を迎えている。それはたえず未来に向かって走り続けたTETSUがやっと彼自身の未来に追いついたかのように、今静かに過去を見つめている。
我々はこれからもTETSUが作り上げた栄光のレース・ヒストリーを絶対に忘れることは出来ない。
ありがとうTETSU !!!


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(C) Photographs by Joe Honda.