雨にたたられた“富士グランチャンピオン・シリーズ第2戦 「富士300マイル・レース」”は、2ヒート制で行われ、第1ヒートにおいては、ニューマシン「スタンレー・ローラT280」に乗る“高原敬武”が、常勝“酒井正”の「マクラーレンM12」を押さえ制したのでありました。しかし、話題の2リッター・マシンは、共に振るわず低迷し第1ヒートを終えました。 ところで、私と友人“ハマ”は、昨年の「マスターズ250kmレース」以来の“ヘアピン・コーナー”へと場所を移し、期待と不安を隠しながら“第2ヒート”を待っていたのでありました。あまりの2リッタークラスマシンの不調に2人ともショックを受け、さらに、2戦続いての“大雨”で心身ともに疲れ果てていたのでした。 そんな中、注目の“第2ヒート”はスタートしました。雨はさらに強くサーキットに降り続き、コース上はもはや川のような状態でありました。 今回も、スタートでは、酒井正の“マクラーレン”と高原敬武の“スタンレー・ローラ”が1〜2位でヘアピン・コーナーに現われたのですが、すぐ後ろに、柳田の“フェアレディ”が続き、さらに、高橋健二と歳森康師の“フェアレディ”が追うという展開となっておりました。私と“ハマ”は、明らかにコーナーにおいてのスピードがフェアレディ勢よりも遅い“TETSU”ら2リッター・マシンの状態を見て半ばショックを受けずにはいられませんでした。その中でも、最初のうちは、永松邦臣の“ロンソン2000(ローラT290・三菱コルト)”と田中弘の“シェブロンB19(左画像は、1周目のヘアピンの立ち上がりで、2位の高原に迫る田中の“シェブロンB19”)”が3位争いに入っていたのでありますが、徐々に後退し、入れ替わるように我が生沢徹の乗る、本レースデビュー戦となるイエローの「GRD S72」が決死の追い上げを見せてきたのでありました。私と“ハマ”は、まさに小躍り状態となったことはいうまでもありません。 それもそのはず“雨の生沢”という異名をとる“TETSU”の本領発揮でありました。水澄ましのように走る“TETSU”の鬼人のようなドライビングは、雨で良く見えないコース上でも充分に目立つものであったと今もはっきりと私の脳裡に焼き付いております。 その“TETSU”の雨中でのラップ・タイムは、なんと“2分30秒”台であり、まさに驚異の追い上げでありました。しかし、柳田春人の“フェアレディ240Z”との差は大きく、なかなかその差が詰まらないのであります。 そんな状態が続いた11周目、私達は、“S字コーナー”の出口である“100Rコーナー”へと移動しておりました。ところが、いくら待っても“TETSU”が戻ってこないのであります! 私達は、何周たっても戻ってこない“TETSU”がリタイヤしたことを悟ると、すぐさま友人“ハマ”と共に帰り支度を始めるのでありました。(右画像は、100Rコーナーを鬼人のごとく走る“TETSU”の“GRD S72”) 私と友人“ハマ”は、帰り道、終始無言でありました。「また、ダメだった・・・」と・・・。 |
結局第2ヒートは、豪雨のため、40周レースが25周に短縮されて“柳田春人”、“高橋健二”、そして“歳森康師(左の写真)”の「ダットサン・フェアレディ240ZG」が1〜3位までを独占し、総合でも優勝、3位、5位(グランチャンピオン・ポイントでは、1〜3位を独占)となり、オープン参加の“酒井正”、“高原敬武”は、共に2位、4位に入賞して花を添えておりました。
2リッター・マシンでは、終始安定した走りで、“永松邦臣”の「ロンソン2000」が執念の6位(GCクラス4位)になったのが最高位でありました。 いやはや、ずぶ濡れになりながらの観戦も2戦連続、昨年から数えれば実に3戦連続の豪雨の中でのレースは、少々こたえ気味ではありましたが、当時私と友人“ハマ”は、白黒の写真現像に凝っておりました関係上、どうしても写真は撮りたいという気持もありましたので、こうして雨の中のレースでも観戦に行くことも平気でありました。ただし、連続の豪雨の中での使用で、私の“ペンタックスSP”はもう、ボロボロ状態でした。しかし、新しい機種である“ペンタックスMS(・・・不覚にも記憶が定かでありませんが、アサヒ・ペンタックス初の絞り優先のオートシャッター付き)”を親父が買うとの情報がありまして、これを使おうなどと密かに考えていた私が当時そこにおりましたのを今も覚えています。 レース結果(GCクラス)
*オープン参加の酒井正の「マクラーレンM12」は、総合で2位、高原敬武の「スタンレー・ローラT280」は4位となり、それぞれ賞金だけを獲得した。 追伸
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(C) 21/JAN/2000 BY HIROFUMI MAKINO
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