1969 JAPAN CAN-AM 
ワールド・チャレンジカップ 富士200マイルレース
1969.11.23

TOP: 69' TOYOTO 7 V8 5000cc.
It had a won in 69 Japan Can-Am by Minoru Kawai.
(C) Photograph, modeling by Hirofumi Makino.
 今から40年前の1969年。日本モータースポーツ界は、まさにメーカー同士の面子を賭けた戦いのピークを迎えていた。
それは、ニッサン、トヨタの日本2大メーカーの技術力の戦いといっても過言ではない。
 この年から、将来のF1開催を視野に入れたフォーミュラ路線をJAFグランプリとして春に行い、従来の日本グランプリを秋に開催するというJAFの方針を受けて、10月10日の日本グランプリは、加熱の一途をたどる大イベントに膨れ上がっていった。
さらに、ニッサン、トヨタは、日本のレースに飽き足らず、アメリカ市場への売り込みを踏まえて、人気の高かったCAN-AMシリーズへの参加計画も水面下で進めていたのだ。

 そして、第2回目を迎えた日本CAN-AMは、トヨタにとって本場CAN-AMシリーズへの参加を決定付けたレースとなる。
4台の5リッタートヨタ7(1台は、マクラーレンM12のシャーシを使用したマクラーレン・トヨタ)を送り込んだトヨタは、前年のような脇役で終わる事はなく、主役として堂々と本場のマシンたちと渡り合い、遂に勝利する栄冠を勝ち得えたのだった。
しかし、トップ・クラスのブルース&デニーのワークス・マクラーレンM8B、ジョー・シファートのポルシェ917PA、クリス・エモンのフェラーリ612などの不参加は、トヨタに少なからず課題を残したのも確かだ。

 翌年トヨタは、1970年日本グランプリ制覇はむろんのこと、1971年からのCAN-AM挑戦を前提としたターボチャージド・トヨタ7を開発することになる。
しかし、なんと不運なのか、CAN-AM挑戦が決定したその日に鈴鹿でテスト中の川合 稔が事故死。そこでトヨタの全ての計画が白紙撤回された。
 
 今回製作した69年型トヨタ7は、日本CAN-AMで、ジャッキー・オリバーのオートコーストTi22を下して優勝した川合 稔のトヨタ7を再現したものだ。この7は、2006年、レストアされ、鮒子田寛氏のドライブでグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードに参加している。
 


TOP : Leftside #5 McLaren Toyota. Drivin by Hiroshi Fushida.
(C) Photographs,modeling by Hirofumi Makino.


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