(C)Photograph, modeling by Hirofumi Makino.

 ニッサンR381に唯一対抗出来たマシン。それはローラであった。
田中健二郎の駆る赤に白のVラインのローラは、華麗にもR381に戦いを挑みながらも敗退。
そして、もう1台のローラT70MKIIIがその続きを演じるはずであった・・・・。
そのローラは、1968年日本グランプリに出場車中最大の6300ccの排気量を持ち、ストレートでのスピードはR381以上であった。
 


(C) Photograph.modeling  by Hirofumi Makino.

 あまりにも準備不足だった。日本モータースポーツ界の歴史において、初めてトップカテゴリーのマシンを配した“タキ・レーシングチーム”。
マシンもエンジンも何もかもが初めてづくし。彼らは、素直にこの結果は受け入れるほかなかった。
しかし、予選でR381を向こうにまわして同等のスピードを示したローラと、そのローラをドライブした“脅威の新人”長谷見昌弘の実力はその後花開く事となる。

 同年8月4日、全日本スポーツカーレースにエントリーした長谷見昌弘とローラ。富士の右回り4.3Kmを使ったわずか25周のレースではあったが、完全優勝を遂げ、本来の実力を発揮。さらに、10月20日、富士のフルコースで開かれた大イベント「NETスピードカップレース」においては、日本グランプリより長い90周540Kmを走り抜き、宿敵トヨタ-7を木散らしての優勝。遂に日本グランプリの雪辱を遂げる。
 

(C)Photographs,modeling by Hirofumi Makino.


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(C) Photographs by Hiforumi Makino.