THE SPECIAL REPORT OF MODEL SPEED LIFE 
What's the 60's Stockcar of Modelcar Racing in Japan ?!!
60年代日本モデルカー・レーシングにおける
ストックカー・レーシングの歴史
栄光の60年代モデルカー・レーシング界におけるストックカーとは、どんなスロットカーであったのか!?

PART 1
PART 2
PART 3

(1)60年代モデルカー・レーシングにおける栄光のストックカーたち大集合!!
 PART 2では、1965年当時から、71年当時に登場した歴戦のマシンたち、そして当時は常識だったシャーシたちを
紹介しようと思います。
 1966年当時の写真を良く見てみると、ほとんどがシャーシは自作で、モーターは、カツミや宮沢模型などで発売していた鉄道模型用を使用しています。その理由としては、トルクがあることが第一の搭載理由を上げていました。
また、当時のレギュレーションでは許されていたのでしょうが、ツインモーター(モーター2個使用)のシャーシ(画像参照)が平気でレースに出場していたのも今考えてみると驚異でありました。これはまるで、1976年にF1チャンピオンシップに登場した6輪車「タイレル(ティレルとはあえて言わず!?)P34」が平気にグランプリに出場していたのと同じじゃないか!? などと勝手に考えてしまうのは私だけでしょうか。
 そして、レースに出場できるボディは、AMTやJO-HANのプラボディ限定のレギュレーションであったことから、私などの小学生には、ただでさえ高いモデルカー・レーシング・キット以外に、さらに、それ以上高かったアメリカ製ストックカーボディキットを買うなどということは、夢のまた夢のことでありました。
 そんな中に発売された長谷川製作所の1/25スケール「ビィック・ワイルドキャット」は、まさに私にとっても、また日本中のチビッ子(死語でしょうか 笑)ファンにとって朗報でありました。
当時のモデルスピードライフ誌1966年6月号には、下記のようにこの長谷川のワイルドキャットについてコメントしています。いかに日本中が待ちに待った貴重なキットであったかがわかります。
 「人気の出てきたストックカーも、今まではアメリカ製のプラスチックモデルを使用してきましたが、今度わが国ではじめてのストックカーの組立てキットが発売されました。
 シャーシはステンレス製で、モーターはFT−36Dを使用、ボディは、大変軽く走行状態でわずか170gです。
 縮尺1/25、全長220mm、全幅80mm、ホイールベース126mm、モーターFT−36D、モーター別950円
 なお、“東京ストックカーモデルレーシングチーム”と“デイトナストックカークラブ”では、このワイルドキャットをレース出場指定車にしました。」

TOP: '65 PONTIAC GRANDPRIX and 60's full scratchbild chassis with Katsumi-motor.
 上の画像は、1966年発行の「モデル・スピードライフ」誌より引用活用させて頂いたものであります。
右の画像が、カツミ・モーターを使用した自製シャーシでありますが、モーター・マウントまで自製する技術力は、やはり大人の技術が必要とされるもので、私のような小学生では所詮無理だったと今さらながら判断する次第です。

TOP: The special full scratchbild chassis with twin motors(FT-36 right+FT-16D left).
 上の画像は、ツイン・モーター仕様の自製シャーシであります。2つのモーターを使うということは、それだけ電力が必要となるわけでありますから、当時の製作記事を見ますと、活躍するサーキットは、おのずと限られたところになると書かれておりました。つまり、“フロントを回転力のあるFT−16Dを巻き直して使ったので、直線で引っ張り有効にスピードが出ることです。また、ツインの特徴であるブレーキも良くきき、加速もスムーズです。しかし、消費電力が大きい為に、バッテリーコースのようなアンペア―のあるコースでなければ、ツインモーターの場合生きてきません。”
と当時の製作者は述べているとおり、サーキットの下調べが当時は大切だったわけです。
また、このシャーシは、車軸の平行度の正確さ、前後のギヤ比の選択など、様々な技術力等を要求されるものでありましたので、実車(インディは別として、60年代後半に、ロータスF1やマトラF1等でトライされていた)と同じく実戦での輝かしい戦績はありませんでした。

TOP: The 6th WestJapan modelcar race in 1966. Best elegance winners.
 1966年2月6日に行なわれた日本モデルカーレーシング連盟関西本部主催、関西モデルカーレーシング協会後援の「第6回関西モデルカーグランプリ・レース」でのストックカー部門エレガンス・コンテスト優勝車(左、当時の賞名は、“ほんものそっくり賞!!)と準優勝車(右)であります。

TOP: CHRYSLER 300 and modified Tamiya's chassis(Leftside). 
It's winners AMT's Chevrolet Impala and modified Monogram's chassis at  the 6th WestJapan modelcarGP in 1966(Right).
 右上の写真は、1966年2月6日に行なわれた「第6回関西モデルカーグランプリレース」においてストックカークラスで見事優勝したH氏のシボレー・インパラであります。ボディは、AMT製で、シャーシは、モノグラム製を改造したものでありました。
そして、左側の写真は、一時期はこのタイプのシャーシでなければ勝てないとまで言われた田宮模型製の真鍮スプリング・サスペンション・シャーシ改造型であります。

TOP: From leftside 1/25scale's  Lincoln Continental, Chrysler Imperial, and Buick Wildcat. 
TOP: (Topleft) A breach modelcar of rule in 1966. (Bottom) Mercury, Ford Galaxle, and Dodge.
 当時のレギュレーションでは、上のコンバーチブル・タイプの車は出場できませんでした(それは実車にその例がないからであります)。

TOP: (Toprightside) A lot of modified chassis, Tamiya's, and full scratchbild chassis.
Bottom: Plymouth, Chrysler300, Chevrolet Impala ,and Pontiac Bonnebill.
 代表的な、当時のシャーシの一例。(1)は、田宮改造型。(2)は、田宮エルバ用スタンダード・シャーシ。(3)カツミモーターを使用した当時としては、常識的な自作シャーシ。
TOP: The 7th WestJapan modelcarGP winner Dodge Monaco(MPC) and modified Tamiya's chassis.
 1966年4月24日に行われた「第7回関西モデルカーグランプリレース」において、ストックカークラスで見事優勝したH氏のダッチ・モナコ(MPC製)と田宮シャーシ改造の写真であります。このモーターは、シャフトを逆にしたFT−36Dを巻き直したものを使用していました。
(2)1968−69年度を駆け抜けた歴戦ストックカーたち大集合!!


TOP: The winners 1/25 Plymouth with full scratchbild chassis at all Aichi GP in 1969(Left side).
The winners Buick Wildcat and a musashino special chassis with a mabuchi FT-26D at a Tokyo Teatol circuit in 1968(Right side).

 左上の画像は、1969年1月12日、名卓サーキットで行なわれました「オール愛知新春グランプリレース」において、見事優勝したN氏の“田宮製「プリムス・フューリー」+自作サイドワインダーシャーシ+FT−26D巻き直し”と準優勝したK氏の“同じく田宮製「プリムス・フューリー」+自作サイドワインダーシャーシ+FT−26D巻き直し”であります。このとき使われておりました青柳製モーター・マウント「R:512」には、私自身も大変思いであり、またとても使いやすく加工しやすいものだったと記憶しています。
 右の画像は、1968年8月18日、東京・赤坂テアトル・サーキットで行なわれました「第4回全日本モデルカーレーシング・チーム対抗レース」で、ストックカークラスに見事優勝した“長谷川製「ビュィック・ワイルドキャット」+ムサシノ・スーパー・スペシャル・シャーシ+FT−26D巻き直し”であります。この「第4回全日本モデルカーレーシング・チーム対抗レース」は、驚くことに“レースウェイ ムサシノ”の各クラス独占状態で幕を閉じた驚異の大会でありました。
しかも、全てのシャーシは、ムサシノ・スペシャルと名づけられたスペシャル・シャーシであり、さらに、時代遅れと言われていた“インライン方式”を見事復活させた記念すべきシャーシでありました。


TOP: This is world -famous  TAMIYAs chassis.

 上の画像は、1968年8月4日、名卓サーキットで行なわれた中部モデルカーレーシング連盟主催「第2回オール中部選手権大会」で見事優勝した“長谷川製「ビュィック・ワイルドキャト」+田宮ダイキャスト・サイドワインダー・ストックカー・シャーシ+FT−26D巻き直し”(左側)と準優勝した“田宮模型製「ダッジ・チャージャー」+田宮代キャスト・サイドワインダー・ストックカー・シャーシ+青柳R:512マウント+FT−26D”であります。特に、準優勝のダッジ・チャージャーのボディ塗装の美しさは、当時としては珍しいのではないでしょうか。また、同じ68年で、地区によりこれだけシャーシに対する考え方が違うのは驚異でありました。

TOP: The Mercury of Climax's clear body with full scratchbild chassis.
 1969年8月17日、東京・大田区「カマタ・グランド・サーキット」で日本モデルカーレーシング連盟主催で行なわれた
「第5回モデルカーレーシング・グランプリ(チーム対抗)」のストックカークラスにおいて見事優勝した“クライマックス製「マーキュリー・サイクロン」+自作シャーシ(アングルワインダー方式)+FT−26D巻き直し”であります。
実は、PART 1でもご説明したとおり、この69年連盟規約改正に伴い、ストックカー・クラスで初めて“クリヤー・ボディ”が許可されたのです。そして、このレースにおいて、早くもクリヤー・ボディ装着車が出場し、早速優勝を勝ち得ています。
そして、来るべく“アングル・ワインダー”時代の幕開けでもあったレースでありました。
また、このシャーシついては、後に青柳金属から発売される“RH-555”シリーズの元となったものではないかと私は想像していますが、実際にはどうだったのでしょうか。

TOP: It became the clear body world in 1970s Japan !! 
 1970年を過ぎると、ストックカーレーシング界は、クリヤー・ボディ1色に染まった時代となりました。クライマックス社は、“フォード・トリノ”、“マーキュリー・サイクロン”を出した後、後発のMINI AUTO MODELSの躍進に押されながら、第3弾“ダッジ・チャージャー”、第4弾“ダッジ・チャージャー デイトナ”を発売しました。当時の価格は、それぞれ500円でありました。
 しかし、それ以後のクライマックス社の経緯は、私もモデルカーレーシングから遠ざかった時期でしたのでまったく分かりません。将来機会がありましたら、当時の関係者の方々からお話しをうかがってみたいと思っております。
PART 3へ続く

GO TO TOP

GO TO NEXT

(C) 3/JAN/2001 Text reports by Hirofumi Makino