TOP : BELLET R6 COUPE
(C) Photograph by Hirofumi Makino.
 
 上の画像は、当時いすゞが開発した69年日本グランプリ出場車のベレットR6クーペであります。いすゞR6と書かれていますが、当時のAUTO SPORT誌等の紹介では、117クーペやベレットGTRに搭載されていた1600ccDOHC L6エンジンを搭載しグループ6モデルでベレットR6とされていました。また、同じ日本グランプリに出場したシボレーエンジン搭載車は、“いすゞR7”と記載されており、区別されていたと思います。その後開発されたスパイダーモデルもベレットR6スパイダーといわれていたと思いますので、ここではあえてベレットと記載しましたのでご理解お願いします。
しかしながら、今見てもこのマシンは、美しい!スパイダーモデルが鈴木板金で作られたものですが、このモデルはいすゞの内部の若手デザイングループの手で開発・設計されたものでした。
左の写真は、ボディデザインを決める初期段階での写真です。このモデルがあの名車となるR6クーペになるまでには約1年の期間がかかったと言われています。どことなく66年のフォードJカーのフロントににているような気がしてしまうのは私だけでしょうか?!
 
 いすゞの展示ブースには、R6以外に、いすゞMX1600(下記写真参照。この車のみ会場メインブースに展示。117クーペ用4気筒DOHC1600ccエンジン搭載で、市販前提というキャッチフレーズで展示されていたこの車。遂に市販は夢と終わった)、ベレットGTX、フォーミュラ2のアロー・ベレットなども展示されていました。

TOP : ISUZU MX1600 Show Car.
(C) Photographs by Hirofumi Makino.

TOP : Mitsubishi Colt F2C.
(C) Photograph by Hirofumi Makino.
 ジャッキー・スチュワートの来日と完全優勝、そして、生沢 徹の選手宣誓拒否事件に沸いた1970年JAFグランプリに、フォーミュラの三菱として登場したマシンが、コルトF2Dでした。
今回の三菱自動車の展示ブースには、当然そのコルトF2D(生沢選手のマシンは、ブラバムBT30そのままに三菱1600ccDOHC4気筒エンジン搭載、永松選手のマシンは、革新的なサイドラジエターを備えたマシン)の2台が展示されると期待して会場に乗り込んだのですが、なんと展示されていたのは69年型マシンの“F2C”でとてもがっかりした思い出がありました。
 モンテカルロ・ラリーに初出場ながら5位に入賞したダットサン240Z仕様を出品したニッサンですが、当時あまりラリーに興味がなかった私は、この写真を発見した時にもあまり記憶がありませんでした。
しかし、色々調べていくと、当時のモンテカルロ・ラリーは、RR車が毎年良い成績を上げており、FR車の240Zでは、まず上位入賞は難しいと考えられていた中での5位は非常に評価される結果だったと思いました。
 この展示車両が、実際にモンテに出場したマシンであるかどうかは当時の資料にも書いてありませんでしたので、同じ仕様という感じではないかと思っています。

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(C) Photographs by Hirofumi Makino.