TOP : MANA 06 F-J by Kenji Mimura.
(C) Photographs by Hirofumi Makino.
 東京レーシングカーショー・・・。
 それは、晴海の国際貿易センターで開かれるレーシングカーの祭典。唯一、サーキット以外で本物のレーシングカーを目の前で見れる憧れのイベントでありました。現在大盛況の「オートサロン」のまさに前身の姿がこの「東京レーシングカーショー」なのです。

 1971年4月。高校2年生になったばかりの私は、友人H君と共に晴海国際貿易センター東館に向かっていました。第4回目を迎える「東京レーシングカーショー」を見るために・・・。
友人H君とは現在は音信不通状態となっていますが、彼なしでは私の現在まで続く趣味人生はなかったのではと思います。
スロットカーレースも彼と共に楽しみ、富士グランチャン創成期のレース観戦にしてもしかり。いつかこのHPで彼との再会が出来れば幸せだと思うこの頃であります。

 その年の東京レーシングカーショーは、以前まで主役を演じていた過去のメーカー製ビッグマシンなどを中心に構成したものから、国内コンストラクター育成目的のレーシングカーコンテスト中心の構成へと変貌していました。
 前年を飾った「EVA CARS」や「マクランサ」などの若手コンストラクターに続けとばかりに、今回初登場し特選を獲得したのは、三村健治デザインの“MANA 06 FJ”でした。
 前年のEVAやマクランサもそうであったように、未来的なデザイン、イタリアンカロッツェリアな雰囲気を持ったMANA 06は、特選候補だった「ベルコ72D」を抑えて見事特選に輝いて見せました。その後の三村健治の活躍はまたの機会に書かせていただくとして、私たちは、当時は正直言ってあまりこのコンテストには興味がなく、やはり欧米のレースマシンに視線は集中していたと記憶しています。
 その中で印象に残っているマシンたちを紹介してみましょう。


TOP: The Pamphlet of 4th Tokyo Racing Car Show in 1971.

 当時の窓口はオートスポーツ誌の三栄書房で、「オートスポーツを楽しむ会」会長に現東京都知事の“石原慎太郎”氏という豪華さ!?
会場内は、今のオートサロンなどと比べると、とても簡素な感じがします。
そして、ベレットがイエローに塗られています!


TOP: The Booth of Entrants at Harumi Hall.

 当時のパンフレットに印刷されていた各メーカー、ショップ、レーシングチームなどのブース案内です。
手書きをそのまま印刷しているとこが当時らしいですね!
鈴木板金がトヨタやダイハツよりもブースが大きいのにはビックリしました。
 

 
 左のマシンは、コンテスト準特選になった「BELLCO 72D」であります。
富士グランチャン初年度である1971年から津々見友彦のドライブで参戦するこのマシンには、日産S20型DOHC直列6気筒エンジンを搭載したシェブロン、ローラが登場する以前の2リッタークラス最強マシンでした。今見ると、ボディフロントノーズ形状は、どことなくポルシェ917Kと似ているように感じてしまいますが・・・。
 下の画像は、ベルコ96A FJと72Cだが、いかに72Dのボディデザインが洗練されてきたかがよくわかる写真です。
(Leftside: BELLCO 72D by Suzuki Bankin)

TOP: BELLCO 72C and 96A by Suzuki Bankin
(C) Photographs by Hirofumi Makino.

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(C) Photographs by Hirofumi Makino.