Tetsu Ikuzawa and Hiroshi Fushida Memorial Special Project
And this special guest
Mr. Hiroshi Fushida
!!

(C) Photograph by Kosei Owari
 
 2017年11月5日(日)、今年も恒例の「ホビーフォーラム」がやってきました!
そしてクラブ「くるま村少年団」のメンバーおよびゲストモデラーの力作を今年も展示することが出来ました。
メンバーおよびゲストの協力あって無事に終了することが出来ました。皆さん本当にお疲れ様でした!
また、当日会場に足を運んで頂いたくるま模型ファンの方々、その中でも当方ブースに立ち寄って頂いた熱烈な60年代日本モータースポーツのファンの方々、本当にありがとうございました。

ところで一昨年、昨年と展示方法を色々トライしているのですが、昨年より当日だけでは準備が間に合わない状態になっており、案の定今年も・・・。

しかし、そんなことも当日のサプライズによってどこかに飛んでしまいました。
今年の柱になるテーマは2つ。 「Tetsu Ikuzawa 1967年第4回日本グランプリ優勝50周年記念」と「鮒子田 寛 1972年富士グランチャンピオン シリーズチャンピオン獲得45周年記念」であります。 もちろん、日本グランプリや日本カンナム関係もありであります。

 そして、当日の昼前に事前の連絡は頂いたものの実際に「あの人」が当ブースの前に登場すると一気に当方ブース周辺がヒートアップ!!
今回のテーマの1つでありました「鮒子田 寛」氏登場であります! 
お仕事のついでと言うことではありますが、わざわざこの日にスケジュールを合わせて横浜大さん橋に来て頂いたことにこの場をかりてお礼申し上げる次第です。
 
This is Hiroshi Fushida Show !!

(C) Photograph by Hideyuki Yokokawa


TOP : 1969 Hiroshi Fushida and his Toyota 7 in 69'Japan GP
Built by Takehiko Sudo.

須藤氏の69' TOYOTA-7
GO TO SUDO'S TOYOTA-7
TOP : TOYOTA 7 and Hiroshi Fushida in 68 NipponCanAm
Built by Hideyuki Yokokawa
 
TOP : 1968 Fuji 1000Kms race winning car with Hiroshi Fushida.
And 1969 McLaren Toyota and Hiroshi Fushida in Nippon CanAm
Lending by Motoi Hanada
 
 チーム・トヨタ在籍中の鮒子田 寛は野球に例えれば打率4割バッターに匹敵する勝率を誇っていた。
そのチーム・トヨタ時代およびそれ以前の鮒子田 寛については「鮒子田 寛 レーシング・ヒストリー」をご覧いただければ幸いです。
 また、上記写真の68〜69年トヨタ 7作品(すべて1/24スケール)の中でもっとも注目するモデルはなんと言っても69年日本グランプリ仕様の#5トヨタ7ではないでしょうか。 この仕様はあまりモデル化されておらず貴重な作品となっています。 製作者はあのモデナで腕をならし60年代日本モータースポーツのマシンを主に作り続けている “須藤 武彦”氏であります。 鮒子田仕様のラインは紫。この調合が意外と時間がかかって難しかったことと、原型はモデナ製で特にボディサイドラインを自身納得がいくまで修正したということでした。

 その他の#5マクラーレン・トヨタ、68年#10 トヨタ7富士1000Km優勝車 は先日アウトガレージ“ルーチェ”で開催されました「不出世のパイオニア・レーサー 鮒子田 寛の半世紀」をくるま村取材班として取材して頂いた“花田 基”氏がこれらの作品の持ち主であります。今回このイベントのためにお貸しいただいた次第です。

 また長い間「くるま村少年団」ブースに協力して頂いている“横川 秀行”氏には1968年日本CanAm鮒子田仕様車を展示していただきました。
 
アメリカ武者修業時代

(C)Photograph by Bontaro.

 1970年初頭。 鮒子田 寛はアメリカ リバーサイド・スピードウェイにいた。 チーム・トヨタ在籍のままアメリカのレースの視察を兼ねて当時人気となってきたSCCA主催のアメリカ版 F-5000(フォーミュラカーにアメリカンV8 5000cc搭載)“F-A コンチネンタル選手権”を見るためであった。 ところが日本CanAmで知り合ったドライバーなどの紹介でとんとん拍子で話が進み、なんとこのレースに出てみないかという話となり、当時のチーム・トヨタの了解も取り付けいきなりの海外レースデビューということとなった。 これが鮒子田 寛のアメリカン・ドリームに向けての始まりであった。
 その模様についても「鮒子田 寛 レーシング・ヒストリー アメリカン・レースへの憧れ Part1」および「Part2」をご覧いただければ幸いです。
 

TOP : (C)Photograph by Kosei Owari.
Bottom : (C) Photograph by Bontaro
MAC'S IT SPECIAL

 1970年シーズン。 チーム・トヨタのワークス・ドライバーという約束された地位を捨ててアメリカ修業に全てを賭けた“鮒子田 寛”は、インディ500出場を夢見て貪欲にその機会を模索する。
この“MAC'S IT SPECIAL”は、当時チャパラル2Jファンカーと共に異色のマシンとして注目されていた。

 今回このモデル作品を貸して頂いたのは独自の路線でスロットカーライフを楽しまれている “尾張 公正”氏であります。 興味あるスロットカー記事も書かれている氏のブログ「クマゴローの巣穴」もご鑑賞ください。
 
1970 AVS SHADOW MKI RIVERSIDE TEST
 
 1970年当時、日本でファイアストン関係の仕事に携わっていた“ドン・ニコルズ”が責任者として仕切っていた AVS シャドウ・チームは遅れに遅れていたマシン開発の過程においてアメリカでレース活動を模索する鮒子田 寛にテストの機会を提供することとなり、リバーサイド・スピードウェイにて鮒子田のドライブが実現した。

 このテスト車両を模型化したのはClub Sebring のせぶ氏であります。
デカールや細かい部分も忠実に再現し、まだ未完成で改良中のシャドウMKIの雰囲気を上手く表現しているのは流石 せぶ氏であります。
 
1970 EAGLE PLYMOUTH
 
 この“イーグル・プリマス(Eagle Mk 5 No503 Zeus Developments)”もシャドウ同様マイスター“せぶ”氏の力作であります。 ホビーフォーラムに来場した鮒子田氏本人もこの1/43スケール イーグルの超絶な仕上がりにしばし沈黙。 「よくこんなに精密につくれるね!」と驚かれていました。
 鮒子田氏のこのイーグルでの活躍は大変なものでシアトルでの3位入賞、ラグナセカでの5位入賞と好調さをキープし総合順位でもかなり上位にランクされるのでは期待されていたのだが、次のシアーズポイントで大クラッシュ!F-A挑戦は幕を閉じることとなる。
 その当時の手記は「F-Aがオレを魅了する」をご覧ください。
 
1970 CHEVROLET CAMARO Z28
 
 イーグル・プリマス同様、鮒子田氏が興味を持って見つめていたのはこの“シボレー・カマロZ28”。
1/24 AMT改造のこの鮒子田仕様カマロは急遽製作することになったもので作りはとても自慢できるものではない。
 現在も「ヒストリックTran-Am」に出場しているのでカラーとして見る事が出来るのだが、当時のオートスポーツ誌での鮒子田氏の手記に掲載されている写真はすべて白黒であり、当時はグリルやゼッケンのカラーやホイールインナー、そしてリア・スポイラー裏側が赤だったとは全くわからず真実を知った時にはショックを受けたものでありました。
 また、当時の鮒子田氏のカマロでの活躍「やとわれレーサー旅日記」もぜひ見て頂きたいと思います。
 

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