「100年に一度の偉業の軌跡、楽しい500マイルレース」

 私はモーターレースの現場を去った後、1970年の末頃から、私の出生地 静岡県藤枝市のスポーツでありますサッカーの幾つかのOB達のサッカークラブにプレイヤーとして参加しました。 そのひとつが「旧制高等学校サッカーOBインターハイ」(略籍SOI)でした。 これはそんなことからサッカー仲間に送ったFAXです。

    
                                                                                                           
 いつもグランドでお世話を給わりありがとうございます。 昔のSOIのメンバーでただ一人生き残ってグランドにおじゃましております塩澤でございます。
 本日は、過去の百年でもこれからの百年でも二度と出来ない偉業を成しとげた日本人が居ります。 世の中も、本人もまだそのことに充分に気が付いていないようです。 そのイベントは世界の興業の頂点に立つ、世界のスポーツの中で一日当たり最大の観客を集める“インディアナポリス500マイルレース”。

 1911年に始まったこの伝統の一戦で“佐藤琢磨”という日本人が主催者のインディアナポリス モータースピードウェイの発表で40万人の観客の前で優勝しました。 毎年5月の最終日曜日は1861年に開戦した南北戦争終戦記念日に、その間の戦没者を追悼するだけでなく、第一次世界大戦、第二次世界大戦の戦没者に感謝をささげるアメリカでの最も重要な記念日でもあるのです。 この地、インディアナはフランス人が主として開拓した地域でずっと昔、一面のトウモロコシ畑でした。 生産されるコーンを商品化するためのコンバインのエンジンがオーフンハウザ、後のインディ500マイルレースの主力となったレーシングエンジンでした。 そして使った燃料が食品を侵さないため、ガソリンでなくメタノールであったことが今日まで100年を越す伝統となっているのです。
 南北戦争でも、第一次世界大戦でもインディアナの軍人は激戦地に送られ多大な犠牲を出したことで知られております。 そのことが州都インディアナポリスの交通の拠点、空港設定を行ったワイアークック空軍大佐は第二次世界大戦でガナルカナル周辺の日本軍との戦いで戦没しているのです。 氏の巨大な肖像がインディアナポリス空港のコンコースに掲額されております。 また、インディアナポリスと日本との因縁は更に深く、広島に投下された原爆部品をテニアン島に運んだ帰りみち、アメリカ海軍の大型巡洋艦インディアナポリスは日本海軍の潜水艦によって撃沈されてもいるのです。

 ずっと以前からS01では一切個人の職業を持ち込まないという無言の約諾がありました。
本日私が、昔の私のビジネスの時に私が1966年にこの年、インディアナポリスモータースピードウェイで出走した33台をそのまま日本に持って来て、富士スピードウェイで開催したイベントのオーガナイザーであったことを考えるとき、これはその約諾に反するやも知れません。
然しそれでもこの佐藤の偉業は、アメリカを代表するフェスティバルの大トロフィーに顔が彫刻され、記念館には優勝車と肖像が永久に残されるという事実を御伝えしたいのです。

 それではこの500マイル(800キロメートル)レースを案内させて頂きます。 四角いレーストラックは一周約4000メートル。 レースは200周です。 表彰はスウィートスティクス、唯一人、唯一台優勝する者だけです。
賞金総額は約20億円です。 レーシングカーの能力はエアレースの飛行機のレベルと考えて下さい。 エンジンは500馬力、最高速は時速380キロメートルに達します。 スタート台数は昔から33台 横3台 タテは11列、スタートはインディアナの州歌と言われる「バックホーム アゲイン イン インディアナ」の唱歌に続く「スタート ヨー エンジンズ」の号令から、ペースカー(先導車)の時速160キロからのフライング ローリング スタートで始まります。 今では、デイトナ500マイルストックカーレース(5700ccのレーシングカー43台のレース、トヨタが成功しております。)、ル・マン24時間レースとインディ500が世界三大レースと称されております。
昨今インディ500マイルレースで一台スタートさせるのに10億円かかると言われております。 多分佐藤の搭乗フィーは年間4億円プラス賞金配分あたりでしょう。

 さて、レースでは事故、落し物、あらゆる理由をつけて33台でスタートしたレーシングカーがバラけてくるとペースカーを入れてもう一度パック(羊の群れ)にして、興業上の理由からも再スタートを繰り返し行います。 レース中は、前の車の空気の流れの中に入って燃料を節約します。 外れるとタービュランスから方向すら変わってしまうのです。
 この地は昔、ワインやシャンパンのない農場でした。 そこで昔の通り優勝すると牛乳を飲むことになるのです。 レーストラックのコースの幅は15メートル程、バンク角はコーナーで約11度しかありません。(デイトナは31度)
旗はグリーンがスタート。黄色は作業のためペースカーが入る。 注意、一列になれ。 赤は停車。 白は残りあと一周です。 
NHKの放送はとても良い事故のある楽しい映像です。 多分、インディアナポリス500マイルレースそのものの高額の放送権をよけて、佐藤琢磨のストーリーとしてNHKは仕上げたのでしょう。 この子は人柄も良く、日本人のナマッた英語も下品でなく、とても賢い香りが致します。 それでなければこの世界での名門、アンドレッティ モータースポーツという会社と役員が何億円もするレーシングカーと名誉の両方を彼に預けることはないのです。(エンジン提供のホンダも含めて)

 事故はモーターレースにはつきものです。それでも東京、青森間の約800キロを大体新幹線の倍、2時間30分で走ります。
 これでNHKはこの映像を5回放送することになります。 では、NHK BS1で今年のインディ500マイルレースを是非楽しんで下さい。 以上ご案内に及びました。

(注)すでにNHK BS1およびNHK 総合1での放送は終了しています。 また、上記内でワイアクック大佐の時代アメリカ空軍はまだ独立しておりません。この時代は陸軍空軍と言うべきかもしれません。)
 


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(C) Photographs and textreport by Shingo Shiozawa.