あの「創造の軌跡」の著者でもあり、60年代〜70年代の日本モータースポーツ創世記の重鎮として牽引し活躍され、現在もまだまだご活躍中の “塩澤進午”氏が「創造の軌跡」の続編を計画されているという。くるま村取材班として待ちに待った朗報である。 
そして、先日なんと塩澤氏より連絡を頂いた。
「今度、続編を出す予定なんですが、その時用に序文として書いたものがあるんですけどね、どうも出版社がこの内容だと出せないって言うんであんたのHPでどうですか?」というなんとも嬉しい言葉であった。
内容は、現代のことを中心に書かれているのでその点はちょっと意外ではあるのだが、やはり60年代からNAC(日本オートクラブ)の総帥として数多くのビッグレースや日本CAN-AMなどを主催し、1970年代初頭には天下のJAFを相手取り、独自の路線をあくまで主張しストックカーレースを開催したそのファイトあふれる振る舞いなど、日本モータースポーツ界のご意見番の異名を取る“塩澤進午”氏でなければ語れない内容である。
では、「続・創造の軌跡」の刊行を期待しながら皆さんと共に読ませて頂こうと思う。
また、このようなレポートを快く掲載承諾を頂いた“塩澤進午”氏にこの場を借りてお礼申し上げたい。
 

 1995年8月8日に建設工事を開始した(写真1)米国内のスポーツ施設の中で、その規模から第2位に位置するモーターレーススタジアムがありました。 その概要はグランドスタンドの椅子席15万6千人。 グランドスタンド上部には、21基のエレベーターによって導かれるガラス張りの空調付きのスウィートルームがあって、13,192人を収容することが出来るのです。(写真2)

 最大24度のバンクを持つ、一周2,500メートルの髄円トラック内のインフィールド、ガレージエリアなどの立見席を加えると、ティケットの対象となる観客数は約21万5千人に達します。 元来このスタジアムは最大32万人を収容する狙いで計画されたものでした。 中には立派なトイレットが2,450セット作られました。 組み合わせは男子トイレ1基と2基の女子トイレというセットで施工されているのです。
21基ものエレベーターを持った巨大なテキサスモータースピードウェイは、ブルトン・スミス氏の持つ7番目のレーストラックとしてテキサス州フォートワースに出現しました。 このレーストラックの経営を支える最初のストックカーレースが、邦価換算で約4億7千万円の賞金を賭けて1997年4月6日に開催されました。
 





 
 
 巨大なこのスタジアムは建設工事が始まってから約1年と8ヶ月でイベント開催に至っているのです。(写真3)
この日開催された500マイル(約800キロメートル)のレースには、5周の平均時速180.856マイル(289.369キロメートル)を出したシボレーのテリー・ラボンテを含む予選を通過した43台がスタートしました。
このレースでのフォード、シボレー、ポンティアックが使用するエンジンは5.7リッターのV8エンジンで、車体は一見市販車に見えるパイプフレームにペラペラの薄い鉄板を溶接して整型されたストックカーと呼ばれる純レーシングカーです。 1周1.5マイル(約2,500m)、左右のコーナーのバンク角は24度に仕上げられ、メインスタンド向かい側の直線、バックストレッチさえも5度のバンクがついていて、テレビ放映での映像でもグランドスタンドからの目視でもレーシングカーの屋根の車番と、エンジンフッドのコマーシャルがよく見える作りとなっております。 レースの周回数は334周に達します。

 この日準備された賞金は、3,804,005ドル(邦価約4億7千百万円)でした。 19回に及ぶ先頭ランナーとして入れ代わりに加わった10台のレーシングカーとドライバーの中、優勝したのはフォードに乗る “ジェフ・バートン” でした。 レース終了時、8台がバートンと同じ334周のリードラップ。 走行中だったのは29台、9台が衝突事故によって消えるという残念ながら観客を大いに喜ばせる結果となりました。 この年から数えて4年後、フォード、シボレー、ポンティアックにクライスラーのダッジが加わります。
そして、2007年トヨタがこの組織のトップシリーズにトヨタ・カムリの名称で参加し、同時に非常に人気の高いトラックのレースシリーズに5.7リッターのエンジンのタンドラというトラックで参加したのです。 これによってフォード、シボレー(GM)、ダッジ(クライスラー)、トヨタの4大メーカーがナスカーのレースシリーズで揃うことになりました。

 そのトヨタはデビュー2年目にして早くも年間36戦のスプリントカップシリーズの中で10回もの優勝を果たすのです。 2位が10回、3位が15回に及びました。
 本文の最初に申し上げた開場10年目のテキサス・モータースピードウェイは順調に発展し、春の500マイルレースの賞金は7,255,977ドル(邦価約8億9千9百万円)を提供するに至りました。
 



 

 一日で集客するスポーツイベントとしては世界最大のフォーミュラ・インディレーシングカーによる毎年5月に開催されるインディアナポリス500マイルレースがあります。(写真4)
40万人に及ぶ観客を集めるこのインディカーのシリーズも今やナスカーのホストトラックのオーナー達の協力無くしては成立しないと言われる程ナスカーは巨大になりました。 今ではストックカーレースと呼ばれるアメリカのモーターレースの80%以上を占るモーターレースを1949年組織的活動に統合したのは “ビル・フランス” という人物でした。 この人は自らも1周2,5マイル(約4キロメートル)。 ターンのバンク角31度、ホームストレッチ18度、バックストレッチも3度のバンクの3角オムスビ型(トライオーバルと呼んでおります)の超高速スピードウェイを建設運営しただけでなく、同じタイプのもっと巨大な一周2,66マイル(約4,256キロメートル)ターンのバンク角33度のタラテガ・スーパースピードウェイを提供したのです。(写真5)

 このレーストラックの予選での5周のタイムアタックの最高記録は平均時速 212.809マイル(約340.494キロメートル)に達しているのです。 大成功だったトヨタ二年目のデイトナ・スピードウェイの43台がスタートした500マイルレースでは、42回もの先頭ランナーが入れ換わる烈しいリーダーチェンジが繰り返されました。
 リーダーチェンジに加わったのは16人のドライバーの乗るストックカー16台で、その中でトヨタのウォルトリップ、スチュアート、ハムリン、カイルブッシュ達がレースリーダーとしてリードしたのです。 この2.5マイルのトラックを200周する500マイルレースでは、32台がレース終了時200周を回っているという高いレースの完成度を見せたのです。 このレースの賞金は、18,689,238ドル(邦価約23億1千7百50万円)。
 そして、トヨタの成功を決定づけたタラテガ・スピードウェイでの成果がありました。
カーオーナー、ジョーギブス所有のトニー・スチュアートのトヨタは、この超高速レーストラックの10月5日の500マイルのレースで34位からスタートし優勝しました。
また、このレーストラックでは同じチームのカイル・ブッシュは4月27日の賞金6,101,309ドル(邦価約7億5千6百万円)の500マイル(800キロメートル)レースで優勝します。 平均時速は157.409マイル(251.854キロメートル)。
観客は15万6千人でした。





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(C) Photographs and textreport by Shingo Shiozawa.