皆様からの御便り紹介 

TOP : Hiroshi Kazato and his Lola T222 in '71 Can-Am.
(C) Photograph by Joe Honda.
 
 皆さんのご意見を載せさせていただくコーナーを作りましたので、よろしくお願いいたします。

1999年12月までの皆さんからのメール

2000年5月までの皆さんからのメール

2000年12月までの皆さんからのメール

2001年5月までの皆さんからのメール

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 13/DEC/2005   J様から頂いたメール紹介 「RSCについて」

 MACH−1のHPからアクセスさせていただきました。
私自身、始めてTVで見たモータースポーツが74年の富士GC第2戦でした。
ブラウン管の向こうで風戸選手と鈴木誠一選手のマシンが紅蓮の炎に包まれた映像は30年を経た今でも鮮明に脳裏に焼きついています。
その後82年のWECinJAPANで念願の富士SWに足を運んで以来、鈴鹿サーキット・筑波サーキット・スポーツランドSUGO等サーキット行脚を続けています。ここ数年はチーム高武RSCの選手たちを応援しております。おそらくこの名称を見て「おやっ?」と思われると思いますが、このチームのオーナー兼監督はかつて生沢さんや風戸さん等としのぎを削っていた高武さんです。私が一昨年レース中の事故で亡くなられた加藤大治郎選手への千羽鶴の取りまとめをしていたこともあって、以降このチームを見守っております。話がそれてしまいましたが、私の中の生沢さんというと1980年代I&IレーシングやBEAMSHONDAwithTeamIKUZAWAに集約されます。残念ながら生沢さんの生の走りを見ることはできませんでしたが、何らかの形でそのような機会があったら是非見てみたいと思っています。
末筆ながらより素晴らしいHPになることをおいのりいたします。
 

 WEB MASTER : 

 J様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂いただけでなく、メールまで頂き、本当にありがとうございました。
高武選手。73年のGCにおけるローラT290の走行、今でも脳裏に焼きついております。そして、RSC時代のホンダ800R,1300Rの白いボディ。今考えても本当にかっこよかったです。
RSCの仲間、永松選手、木倉選手などRSCのドライバーたちは本当に実力者が多かったと思います。GCでの生沢選手は確かに凄かったですが、私はやはり60年代のイギリス修行当時の彼の走り(日本グランプリも含む)が最高だったと思っています。(行動力というか・・・)
ところで、5年ぐらい前ですが、フランスのClub HONDA S800N&Z Franceのフィリップ氏から当時のRSC S800チューニングについての問い合わせが私のHP宛てに有りました。
しかし、専門外だったので当時のオートスポーツ誌に偶然有りましたRSC関連の記事をコピーして送ってあげました。
その後交流が続き、現在はクラブ誌「Le Hondiste」を私のHPに紹介したりしております。
それほど海外のホンダS愛好家たちはRSCに憧れているわけです。すでにフィリップ氏のことはご存知かもしれませんね!
では、今後とも良きアドバイス等ありましたらお願いいたします。ありがとうございました。
 

 05/DEC/2005  兵庫県にお住まいの松井様より頂いたメール紹介 「ケロヨン号について」 

 いつも楽しませていただいております。私は貴方と同年令です。私もボーイズライフ誌等で車の知識を得ておりました。
さて、37年間輪判らなかったのですが、68年の日本GPに出場していたケロヨンRSBについて教えて頂けませんでしょうか?
たしか木馬座の番組にも出ていたと思います。(この番組は幼児向けなのにTVR、トヨタS800,2000GT等すごい車を使っていました。)
今日、CSで日本GPの記録映画を放送していて、それによるとクラウンエイトのエンジンを搭載していると言っていました。
お忙しいとは思いますが、ご存知の事があれば御教え下さい。
現在、長谷川明男、鈴木ヤスシの「レーサー」も夢中で観ていました!! (エラン、Eタイプ、チューンしたセドリックワゴン等が登場)
 

 WEB MASTER : 

 松井様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂きありがとうございました。
私と同年齢とのこと、楽しい時代をお互いに生きられて良かったですね!最近はDVDでも当時の日本グランプリ映像が売られるようになり少々嬉しく思っています。
さて、ケロヨン号の件ですが、NAC(日本オートクラブ)の中心にいたデル・レーシングが製作したグループ7カーでした。エンジンはトヨタクラウンV8(3000cc)を搭載していました。
後にオートスポーツ誌に販売する予定という広告を見たのを最後に静かに消えていきました。
デル・レーシングは、日本初の国産FJ(デル・コンテッサ)を作り市販したのを皮切りに、第1回日本カンナムではマカオで活躍していたロータス30を改造してクサビ型マシンを作ったりと60年代を中心として活躍していました。
後ストックカーレース(セドリックにクラウンのエンジンなんかを載せてしまう!!)でも有名でした。
ケロヨン号についてはそのくらいしか分かりませんがやくにたったでしょうか。
では、これからも良きアドバイス等頂ければと思っております。
追伸
ケロヨン号は木馬座のスポンサーがつく前に1967年デルRSBという名前で11月3日に開催された全日本選手権レース(富士4.3kmコース)に伊能祥光選手のドライブで、滝進太郎選手操るポルシェカレラ6、酒井正選手のデイトナ・コブラ、そして、鈴木誠一選手のフェアレディについで4位に入賞しました。
これが記憶に残る完走したレースだったのではないかと思います。
ちなみに記事によりますとキャブレターはアメリカンV8が使うホーリー4バレルを使っていたようです。また、実験的にシャパラルのようなリアウイングを付けたモデルもあったとのことです。
 

 05/DEC/2005  A.Oさんから頂いたメール紹介 「CHAPARRAL etc」

 牧野様
いつも大変楽しくウエブサイトを拝読させていただいております。
私は仕事の都合で現在はCaliforniaに住んでおりますが、実家は桜台です。牧野様は常盤台にいらっしゃったようで、ご近所さんですね。
Chaparral Tourの記事も大変面白かったです。特にJim Hallへの質問はマニアックで楽しめました。また、すべてのChaparralには図面がない、ということには驚きました。
私も今年のMonterey Historicsに行き、初めてChaparralの実車を見ました。2JをVic Elfordがドライブしているのを見て本当に感激しました。また、トヨタ7とGT-1もすごくかっこよかったです。
そのVic Elfordですが、69年の日本グランプリで彼が運転したトヨタ7のカーナンバーを以前から知りたかったのですが、牧野様のウエブサイトに書かれているのを発見しました。私と同じことを知りたがっている人が他にもいるんですね。
実はもうひとつ知りたいことがあります。同じく69日本グランプリでR382の(トヨタ7も?)フロントのカーナンバーの横に色見本?のようなものが縦にあるのですが、あれは何なのでしょうか。もしご存知
でしたら教えてください。
それでは失礼します。楽しい記事をありがとうございます。
 

 WEB MASTER :  

 この度は私のHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂きありがとうございました。
そして、カルフォルニアでHPを見て頂いているとのことで大変感激しております。
さらに、シャパラルツアーレポート読んで頂き重ね重ねありがとうございました。
レポートを書かれた神戸在住の山田氏は若いながら行動的であり、またモデラーとしてもプロ並で本当に頭が下がる思いです。
ところでご質問の件ですが、私も実はつい最近までそのことが長年の謎でありました。1年ほど前にある方からその意味を知る事が出来ました。
あの縦長のカラー見本みたいなものはなんと「車検合格」の印だったんですね!そう言えばほとんどの車に貼ってありますね!
ところで11月13日富士で開かれました「トヨタモータースポーツフェスティバル」において、鮒子田 寛氏がトヨタ7(ラグナセカで高橋晴邦氏が乗ったものと同じだと想像します)にチームトヨタのドライバーとして35年ぶりにデモンストレーション走行をされました。このレポートも近日中にレポートする予定です。また、12月のニスモフェスにもトヨタ7で出場して、R382などとデモ走行するとのことでした。
では、まだまだ未熟なHPですのでご意見、そしてご協力お願いいたします。ありがとうございました。

 *12月4日に開かれたニスモフェスには、ニッサンR382(高橋国光)、ニッサンR381(北野 元)、そして、R380II(スピード記録車タイプで砂子選手のご子息がドライブ)が実際に富士を走行、特別参加のトヨタニュー7(自然吸気車 鮒子田 寛ドライブ)と共に新しい富士をデモランしました。レポートは近日中にUPする予定です。

 22/JUNE/2005   Hさんより頂いたメール紹介 「トヨタ7」 

 私、生まれも育ちも鈴鹿のスポーツカーレース好きのHともうします。
いつも楽しく拝読させていただいております。
子供の頃初めて4輪レースの虜になったのは、68年日本GPで、当時の少年雑誌のグラビア特集を学校で見てすごく盛り上がっていたのを覚えています。
一番人気だったのはやはり優勝したニッサンR381でしたが、私はなぜかトヨタ7が一番大好きでした。中でもエキパイがリヤカウルの上から出ているモスグリーンの福沢車の大ファンでした。そして次にやはり我らがヒーロー生沢徹です。スター性では彼以上のドライバーは現在まで出ていないと思っています。そしてタキレーシングは少年の心を本当にわくわくさせてくれました。
69年のGPは学校で誰が勝つか私主催で賭けをやったものです。残念ながら私はシファートのポルシェ917に賭けたのではずしましたが、テレビの前でドキドキして観戦したのを覚えています。
 昨年より50歳にしてミニカー集めに、はまってしまい、当然古き良き時代のレーシングカーなのですが、実は教えていただきたい事があります。
 本日エブロより待望の5Lのトヨタ7(69GP)のミニカーが発売になったのですが、どの車に誰が乗っていたのか忘れているのです。実は68年から雑誌AUTO SPORTはずっと買っていたのですが、数年前に諸事情で手放してしまいました。
JAFの公式RESULTSを見てもなぜか69年GPは車番が見記入なのです。かすかな記憶では、水色の3が川合で青の5が鮒子田、緑の7がエルフォードでは?では久木留は?蟹江は何番?もし解るようでしたらぜひ教えて下さい。
よろしくお願いいたします。
尚私は上記メンバーでは鮒子田選手が一番好きでしたので絶対買おうと思っています。

 WEB MASTER : 

H様、この度は私のHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂き本当にありがとうございました。
私も昭和29年生まれの50歳ですので同学年ですね!
68年日本グランプリが載っていた少年雑誌というと今でもその切抜きを持っておりますが、月間「少年」のグラビアだと思いますが・・・。酒井正選手のイエローのローラT70MKIIと細谷選手の赤いトヨタ7がヘアピンで争っている写真などがありました。
 69年日本グランプリ時は丁度中学3年の時でして、同級生で友人だったK君が両親とグランプリを富士に見に行くと言うのでとても羨ましいと思っていたことを思い出しました。決勝レースの写真と頼んでおいたパンフを後でもらい、今でも大切に持っております。
 さて、69年の日本グランプリでのトヨタ7のドライバー、カラー、ゼッケンですが、下記の通りです。
                                      #2 レッド 久木留博之/細谷四方洋
                                      #3 ネイビー 川合 稔
                                      #5 パープル 鮒子田 寛/高橋晴邦
                                      #6 イエロー 蟹江光正/見崎清志
                                      #7 ダークグリーン ヴィック・エルフォード
 架空の話ですが、もう1台の917でTETSUが出ていたらとか小島レーシングからフォードGT40が出ていたらとか・・・、今でも思ってしまうことがあります。
鮒子田さんは当時のエースドライバーでありましたが、運がなく日本グランプリではあまり良いところがありませんでしたが 、記憶に残るドライバーだと思います。現在もインギングF3チームの監督として活躍中です。昨年はチャンピオンを取ったり、2002年はベントレーを影ながら優勝に導くなど今でも進行形のモータースポーツ界の重臣的存在です。
では、これからもよろしくお願いいたします。
 ありがとうございました。
 

 14/APR/2005   mini07さんから頂いたメール紹介「初めまして」 

 HP拝見させていただきました。楽しい、懐かしい、思わず読みふけってしまいました!!私は栄光のルマンの大ファンの46歳意の少年?です。映画が封切られた時は中1の時だったと思います。レース好きの兄の影響で69年日本グランプリも小学生で夢中になって見ておりました。R382の大活躍を今でも思い出します。
 最近やっと栄光のルマンのDVDを入手し、念願だったポルシェ917の模型も入手し、R382のミニカーも入手しました。入手まで30数年もかかってしまいました。笑!小学生の時からプラモデル好きで何百台模型を作ったか知れませんが、ポルシェ917とR382だけは入手できず、今になって30数年のタイムトラベルをした気分です。私の趣味で写真と模型を融合させる変なHPを作っております。よかったら遊びに来て見て下さい。よろしくお願いします。

 WEB MASTER : 

 mini07様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂き本当にありがとうございました。
日本グランプリと栄光のル・マン。少年時代だった私たちを本当に夢中にさせてくれましたね!あっ、そしてCAN-AMも・・・。
 最近は日本の自動車メーカーも世界のメーカーに習って、ヒストリックカーのレストアに熱心になってきたのは大変嬉しい事です。新しい富士スピードウェイで開かれるオープニングフェスティバルにはニッサンR382とターボチャージドトヨタ7が同時にデモランする予定なので是非見たいのですが仕事で行けません。残念!!(注)ターボチャージドトヨタ7には、細谷四方洋選手、ニッサンR382には、高橋国光選手が乗り込んでデモランされたそうです!
そして、mini07さんのHP拝見させて頂きました。素晴らしい熱意を感じるHPなので感激しました!これからも模型を作り続けてくださいね!
私の方も当時の香りのするページを作り続けたいと思っています。
では、ありがとうございました。

 01/APR/2005   神戸の籾山さんから頂いたメール紹介「コメットさん 世紀のスピードレース」

 初めまして。google検索「九重 コメットさん」で参りました。神戸の籾山(もみやま)と申します。
掲示板に以下のような記載があり興味を持ちました。
“そう言えば、九重佑三子(だったか!?)の主演した初代「コメットさん」に67年の「富士1000Km」のシーンを使ってコメットさんの家のお父さんがトヨタ2000GTでレースに出るシーンがありました。結構面白かったです。”
これは九重佑三子主演「コメットさん」第67話「世紀のスピードレース」(脚本・吉原幸栄、監督・山際永三、1968年10月7日放映)ですね。仰る通り、伊丹十三扮するパパがトヨタ2000GT(番号は1番)に乗ってレースに出場し優勝する話です。
 1968年9月11日(水)9:00〜15:00に富士スピードウェイを15万*6時間=90万円で借り切って撮影したのですが、それだけでは足りなかったようで、記録フィルムが結構写ります。
 フィルムは白黒しか無かったようで、青く着色しているとはいえ、カラー番組でレース「スタート」から「ゴール」までちょっと違和感がありました。
この白黒フィルムが1967年7月9日の「富士1000kmレース」なのですね。ということは劇中パパの2000GTに乗っていた“影武者”は鮒子田選手だったのでしょうか。誠に不勉強で失礼ながら鮒子田選手のことはよく知らないのですが、大選手なのですね。何も知らない無知な僕に何かご教示ご返信いただけましたら誠に幸いです。

なお、僕は下記の通り、九重「コメットさん」特集HPを運営管理しております。よろしかったら是非ご覧ください。
それでは、何卒よろしくお願い申し上げます。
 

                            。.・:'☆。.・:'★。.・:'☆。.・:'★。.・:'☆。.・
                                    "☆。.・:'\(∂_∂)/':・.。☆"
                               籾山幸士 Koji Momiyama
 

 WEB MASTER : 

 籾山様、この度はメールを頂きありがとうございました。
九重コメットさんのHPをお作りになっていると聞き、早速拝見しましたがその記録の凄さと熱意に驚いてしまいました。私も現在50歳になりますが、小学生当時はよく見たと記憶しております。
鈴木さんと言う方が主宰しておりますHP「60年代通信」を初めて見た時と同じような感激でした。
ところで、トヨタ2000GTを使った富士でのロケについては良く知りませんでしたので大変助かりました。
さらに、この「世紀のスピードレース」の巻は、良く調べてみると少々前に述べた内容と少々違っておりました。実は、67年富士1000Kmの記録フイルムを使っていると思ったのですが同年の富士24時間レースの模様を使っていたことが分かりました。富士1000Kmの時は、大雨で豪雨でしたので違いました。それと同時に同年の鈴鹿1000Kmのフイルムを使って合成してのが正しいです。ゴールシーンは単独撮影のものでした。
 スタートのシーン(ル・マン式スタートと言い、コース脇からドライバーが車に駆け寄り乗り込んでからスタートする方法)はなぜか鈴鹿1000kmの時のもの。その後スタートして第1コーナーに入るまでが鈴鹿のもので、その後上手く合成して富士24時間でのバンクに突入するシーンに変ります。これはよほど当時レースの事を知っている人でないと区別つかないと思います。
その後は富士でのシーンとロケでのシーンをつないでいるようです。でも、良く出来ていると思いますよ!
ドライバーが鮒子田さんだったかどうかはちょっとわかりませんが、実際のレースシーンには出ています。冒頭に協力NACと出ているところを見ると、当時のNAC(日本オートクラブ モータースポーツクラブでアマチュアのレース組織)が協力してトヨタ2000GTを当時のトヨタワークスチームに似せて走らせたように思われます。とするとドライバーは、そのクラブのメンバーと言う可能性があります。
この件は、今度鮒子田さんや当時のチーム・トヨタキャプテンの細谷四方洋さんにうかがってみます。
ということで、これからもよろしくお願いします。また、貴重なお話しありがとうございました。
P.S.
NACの件ですが、どうも私のNAC違いのようです・・・。コメットさんのNACは、タレントプロダクションのような会社のようで、モータースポーツを当時扱っていたクラブとは違うようです。毎回NACが出ているのであればやはりタレント関係の会社だと思います。とすると、謎なのはあの回の車はどこが出していたのか?!
 調べてみたい気がしてきました。

 27/MAR/2005   名古屋の鈴木さんからのメール紹介 「ローラT70」 

 はじめまして、鈴木と申します。
いつもインターネットのローラの記事を興味深く拝見させていただいております。

日本にある T70Mk3 について調べておりますが、資料が少なくなかなか、調べられません。 
滝レーシングさんの2台の内の、SL73/116は縁があって10数年ほど前に 岡山県の青野氏から譲り受けまして大切に保存しています。
しかし、もう一台のシャーシーNO130の行方が解らなくて気になっています。アメリカに在るようなことも聞きましたが、はっきり解らないのです。

ロ-ラは何故か好きで F3 レース時代(1979年ごろ)から少しずつ集め始めまして、現在290/24, 280/3, 70/116の三台が残って保管してあります。

そんな様な訳でその後の記事も楽しみに待っております、どうか続編をお願いいたします。

こちらは、名古屋ですが、いつでも実物のローラを(T290はレストア中ですが)ご覧いただけますので、機会がございましたらぜひお立ち寄りください。
突然のメールで失礼いたしました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

株式会社 鈴商 鈴木

WEB MASTTER : 

 鈴木様、この度はメールを頂きありがとうございました。
10年ぐらい前でしょうか、ニューイヤーミーティングにてサーティーズカラー(赤に白の矢印ライン)のT70MKIIIを見させていただきました。大変感動した思い出があります。
さて、タキレーシングのローラについてですが、私も当時の資料だけしかありませんが、1台はクラッシュしていすゞワークスに引き取られて、いすゞR7として復活し、69年日本グランプリに出場したという事だけしか分かりません。その後のR7は、71年のGC戦に登場したりしていましたが、その後の消息は分からないでいます。
もし、可能でしたらその当時のいすゞの浅岡さんや当時のいすゞのメンバーを探して聞くしかないのではないでしょうか。
ところで、LolaT280は当時の高原敬武選手のスタンレーT280でしょうか?!そして、T290は誰が乗っていたマシンだったんでしょうか?!非常に興味あります。
ということで、あまり参考にならなくてすみません。
これからもよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
P.S.
その後鈴木さんからの連絡で、ローラT280は、高原敬武選手のものだったマシンで、購入当時はポルシェのエンジンがなぜか載っているそうです。
また、T290は、当時川口選手が乗っていたマシンだったそうで、エンジンはシボレー・ベガが載っているとの事でした。すると、浅岡選手が乗っていた「いすゞスペシャル2000が中身か・・・・?!
 

 16/JAN/2005   シロクロさんから頂いたメール紹介 「いつもホームページ楽し懐かしく拝見しております。」

 初めてお便りいたします。いつもホームページ楽し懐かしく拝見しております。もう何年かになりますが、まだ全部見終わっていません。少しずつ楽しませて頂いています。
 私は1956年生まれです。小学生の頃、スロットカーレーシングに夢中になって以来、未だに細々と続けております。等々力の近くに住んでいますので、幸い近くにサーキットもあり、時々覗きに出かけます。
 タミヤのキングコブラやニチモのエランの記事を拝見して、あの情報量の少ない頃の模型少年は、みんな同じ所にひっかかっていたのだなあと思ってとても懐かしい感じがしました。
あの頃はフリースタイルの実在しないプラモデルも結構ありましたから、実車があるかどうかさえ疑わしく思っていたような気もします。当時はディーノ166なんてハセガワの箱絵でしか見たことありませんでした。
 話が尽きなくなってしまうので、今回の主題に入ります。例の「タミヤのキングコブラ」についてですが、「デ・トマソ 70P」という車をご存知ですか?もうとっくにご存知でしたら以下の文は読み飛ばして下さい。
私もあのタミヤのボックスアートに魅了されていた一人だったので、後になって、あれが実は66年のカーグラフィックのトリノショーの記事にに出ていた、赤いデトマソ5リッタースポーツだった事や、シェルビーといろいろあった結果ああなった事までは知ることができましたが、気になっていたのは、ピートブロック氏の記事にある「この車はイタリヤで実際にレースに出場したが、大した成績も上げず・・・・・」の部分です。どんな草レースでもいいから、「あの車がゼッケンをつけて走っている写真が見たい」と思っていたのです。
最近見つけたCAR COMMUNITY.NETというホームページに件のDe Tomaso 70Pという写真があってその説明に、Model:70P (also: Ghia-DeTomaso Sport 5000)とあるのです。ノーズやウィンド周りはかなり実戦的にモディファイされていますが、ホイールアーチを切ったリヤカウルはまさにショーカーにそっくりです。これが実際にレースに出た時の姿なのでしょうか。しかも、車のコンディションは「Poor」とかかれているのは、まだ実車が残っているということでしょうか。もしご存知でしたら教えて下さい。

追伸:MPCのM6GTモドキでM12を作るアイデアには脱帽しました。あのMPCのキットは何回も見たことがあるのに、こんなところにM12のフロントカウルが落ちているとは気づきませんでした。確かにおっしゃる通りM6GTはボディの基本はM12ですもんね。それなら、エレールの917Kでシファートの917PAを作れるかも・・・。

これからも楽しいホームページを楽しみにしています。

 WEB MASTER :

 この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂き、さらにメールまで頂きありがとうございました。
 さて、キングコブラの貴重な情報本当にありがとうございました。頂いた写真は本当に貴重ですね!私もギヤ・デトマソについては下記の企画ページにて書かせていただきましたが、この写真は本当に貴重なものです。
                                      http://www.mmjp.or.jp/60srace/ModelSpeedLife3
しかしながら、シロクロさんが現在まで当時のモータースポーツ関係を忘れずにいらっしゃった思考と言いますか、何といいいますか、失礼ながらとにかく私と瓜二つではないかと感じてしまいました!驚きです!
ピーターブロックの言葉にしても、どれだけイタリア国内のレースに出たと言う「ギヤ・デトマソ」の証拠が欲しいと今でも思っているところでした。確かにこの写真は実戦向きに改造されたギヤ・デトマソに間違いないのではないでしょうか?!出来ましたら、現在のピーターブロック氏に聞けたら良いのですが・・・。
 
 さて、等々力レーシングパラダイスですが、私が主催しておりますMSL(あのモデル・スピードライフ誌からとったものです)スロットレースを一昨年前から開催しております。簡単に言うとリアル志向でボディを仕上げてスピードを争うことをモットーとしたパラダイスの方針(!?)とは反対の内容で行なっています。クラスは、CAN-AM HIROSHI FUSHIDA CUP(鮒子田 寛氏の協力を得て名前をつけました)とF200モーターを使ったレースの2本立てです。HP上にも過去のレースを掲載しておりますのでよかったら立ち寄ってくださいね!
 
 M12はなぜかグランチャン創世記のインパクトとサーティーズのM12が脳裏から離れず大好きな車の一台です。ミノルタ・マクラーレンがニュージーランドで甦ったページは見ていただけましたでしょうか!?これも感激でした!
シファートの917PAは魅力あるマシンですね!69年日本グランプリに出場したマシンのフロントがPAにするには最適なんですが、ユニオンのKタイプだとちょっと違う感じがして過去に途中まで作ってやめてしまいましたが、現状ではこの手で作るしかないですね!
では、これからもどうかよろしくお願いいたします。そして、良きアドバイスなど頂けましたら幸いです。ありがとうございました。