74' March 742 BMW F2000
74'JAF GP winning machine.
At Suzuka in Nov3,1974.
Driven by Noritake Takahara.


TOP : 1/20 scale March 742 BMW.
(C) Full scratch building and photographs by Teruo Nishioka.

 高原敬武コレクションを作り続けている“西岡 照夫”氏の新作を拝見することが出来た。
いつもながらの素晴らしい作品なのだが、今回は今までとは大きく違う。 他プラモデルよりエンジン単体やタイヤ&ホイール等の流用以外はフル・スクラッチという凄い作品なのだ。 しかも私などが考えると、原型を作ってレジンで複製などと考えてしまうのだが、西岡氏の場合は、発想が違う。 なんと、60年代のレースカーがアルミボディを叩き出して作るように、March742のモノコックフレームとカウルを金属板(洋白板)を叩き出して製作しているのだ!!
 
 今回、この凄すぎる"March 742 BMW"を西岡氏にお願いし、当方HPに紹介させて頂けることとなった。
この場を借りてお礼を申し上げたい。

 

TOP : BMW M12 Engine.
This reproduction is amazing !!
 まずこのBMW M12エンジンの再現が凄い!!
「これは模型です」と言わなければ、本物と信じてしまうくらいリアル感がある。 オイルを感じてしまう感じと言ったらいいだろうか。
これはこのモデルに限らず、西岡氏の作品すべてに言えることであるが・・・。

 もう1つの驚きは、エンジンを覆う“アルマジオ”のようなルーパーを持つリヤカウルだ。
ルーパー一枚一枚づつ作ったという話しだが、ただの段々ではなく、ちゃんと穴が開いている。

 




 モノコック・フレームも金属の叩き出しであるが、その中の骨組みもちゃんと存在する。見えない部分であるが、金属棒やパイプ等で組み上げている。
 また、サスペンションAアーム関係のリアルなところも凄いが、それらにタイヤ&ホイールを装着後、ちゃんと4輪共に接地するところが見事だ。これは事前の設計の正確さを物語る。

1974年JAFグランプリ
初めてのグランプリ勝利 高原 敬武


 下の画像は、1974年発刊された「オートテクニック 12月号」でグランプリで初優勝した“高原 敬武”を特集した記事である。
この年、絶好調の“長谷見昌弘”を抑えての優勝は賞賛に値する。


 オートテクニック12月号に掲載されていた「高原 敬武 マーチ742 BMW」についての解説を紹介

 「メインのF2000レース終了後、表彰台に上がった3人は、いずれもこれからのモータースポーツを背負う若きホープばかりだった。3位の星野一義が27歳、2位の桑島正美が24歳、1位の高原敬武が23歳とフレッシュだ。
 日本の最大のイベントともいうべきグランプリで、今後の活躍が期待できるヤングドライバーたちが上位を占めたことの意義は大きい。日本のモータースポーツの歴史も、大きく変わりつつあるのかもしれない。」

 「F2000マシンで最も多く今年になってから走っている彼は、自信をもっていた。リヤウイングを後方にセットしたマシンで10月26日にテスト、オーバーヒート気味になるが、はやくも1分59秒8を出している。その後30日から再び走り始め、ニューカウルをテストしたが、オーバーステア気味となるために、これまでのノミノーズにする。31日に130Rでスピン、フロントカウルを破損させるが、マシンに異常はなく、1日はスペアカウルをつけて走行する。彼はFJ1300とダブルヘッターでFJのセッティングにもかなり時間を費やす。午後4時からはコースは寒いほどで追い風というコンディションの中で1分59秒2を出す。これはこの日までの全ドライバーのベストタイムである。」

 ウイナー 高原 敬武

 「グランプリへの出場は今回で3度目。これまでの2回のレースでは、いずれもいいところまでいっていたがリタイヤ。今回はグランプリに関していえば初優勝である。本人にとっても、最もうれしく価値のある勝利であったようだ。それにしても“勝ちグセ”というのがあるのだろうか。彼は以前にもローラT280から翌年のローラT292まで、富士GCレースで4連勝している。
そして今回はこのグランプリで3連続優勝をしているのだ。これは単にツキということではなく、チーム体制の確立。ドライバーの着実性などがなくしては達成し得ないことだろう。
 このレースでも、決して最初から最後まで順調にいったわけではない。FJ1300とダブルヘッターだったが、仕様を変えたノバ01のセッティングにはかなり悩まされていた。そうでなくともスタート前はかなりストレスが重なっているのに、今回はかなりそれがひどかったようだ。それにレースが始まってからも悩みはあった。スタートした周に5速にシフトアップしようとしたが、シフトがうまく出来ない。ギヤを入れようと2,3度やり直してようやく5速に入った。ところが、その前にエンジン回転をかなり上げてしまったのだ。もともと高原は、エンジン回転は確実にリミット以下で走ることを鉄則としている。ところがこの時に1000rpmほどオーバーレブさせたので、エンジンが壊れないかという不安をいだきながら走行したという。
その後も5速は入りづらいまま走行、トップを行く長谷見を心では追っていたが、その差は縮まらないので、優勝はムリだと思っていたようだ。ところが、21周目のデグナーカーブ手前で、エンジン破損で長谷見がストップしているわきをすり抜けた時は、思わずニンマリしたという。あとは2位の桑島との差に注意してペース配分を考えてマシンをコントロールするだけ。 そして、見事にこの日のヒーローとなったのだった。
 大事な試合に勝つことが出来るのは、勝負師にとっては何ものにもかえがたいことであろう。」

 JAFグランプリにみるフォーミュラマシンより(抜粋)

 「高原のマシンは、すでに鈴鹿を走り込んでおり、コースやタイヤに合わせたセッティングの面では完璧に近い。
彼のマーチ742 は、もちろんサイドラジエターに改造されたものだが、ノーズ形状は2種類ある。1つはノミ型をしたフラットノーズで、もう1つはフロントラジエタータイプのノーズエアインテーク部をふさいだようなダル型ノーズだ。
 どちらもタイム的には同じだが、高原はダルノーズの方がステアリング特性がまろやかで戦闘能力が高いといっており、トレーニング中やプラクティス中には、しばしばノミ型フラットノーズを付けたが、実戦ではダル型ノーズを使った。

 サイドラジエターは左右に2分割式だが、プラクティスの前日、外気温が12-15度と低かったためにオーバークールとなり、同じような気温であったプラクティスの日は左側のラジエターを取り外してしまった。しかし、レース当日は気温が上がり、再びラジエターは2個となった。
 エンジンは松浦チューンのBMW M6/12、BMWのスタンダードパーツを使っているのだが、285PS前後は出ているという。

 高原は現在ブリヂストンタイヤのナンバーワンドライバーだが、今回のブリヂストンタイヤはJAFグランプリ用に開発してきたニュータイヤで、基本的な考え方は、ブレーキングと加速を重視したもので、現在のF1やF2レースで使われているグッドイヤーやファイアストンなどと同じ傾向を持ったタイヤである。」

 
                                        以上 1974年12月号「オートテクニック」誌より抜粋
 




END


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(C) Full scratch buildingand and photographs by Teruo Nishioka.
Special thanks : Noritake Takahara.