初めての富士スピードウェイと「八月の濡れた砂」

 1971年8月15日、高校2年の夏。この日は猛暑であったが、60年代後半、あのビッグマシンの激突に沸いた富士スピードウェイ。その富士へ行く私の夢が遂に叶った日だった。
入場券は確か3,000円ぐらいだったと思うのだが、招待券が手に入り友人H君と共に行くことが出来た。その後もお金を払って見に行ったことはない。当時、AUTO SPORT誌にグランチャン毎レースに対して、必ず招待券が当たる応募企画があり、確か25名分ぐらいの枚数だったと思うが、私、そして、友人H君は毎回応募があると、ハガキを10枚ほど出していたのだ。偶然なのか、ほとんどそれが当たるのだから面白い。どうなってんだとは思いながらも2人はその招待券を持って富士へ勇んで向かった。車はないので、すべて電車だ。新宿から小田急ロマンスカーで御殿場まで行き、そこから2人でタクシーに乗り富士へ。沢山の車で渋滞している正面ゲートを歩いてすんなりと通り抜ける。その間にプログラムを買う。そのプログラムの中には、ガリ版印刷された前日の予選結果が必ず入っており、それを見ながら今日のレースの予想をH君と話しながらグランドスタンドに向かう。その間、タイヤの燃える臭いやオイルの臭いが漂ってくると、前座のマイナー・ツーリングレースのレーシング音が聞こえてくる。
 「富士500Kmレース」は、グランチャンにおいて、後にも先にも2ヒート制500Kmという長距離レースは、この年だけの開催だ。翌年からはシリーズ戦から外れることとなる。
出場者は、男は黙っての 酒井 正 と タナケンこと 田中健二郎 の マクラーレンM12 と、ヤングジェネレーションの筆頭 風戸 裕 のポルシェ908II 。そして、日本初登場の話題の2リッター級マシンの“シェブロンB19FVC”と“ローラT212”を駆るこれまたヤングジェネレーションの 田中 弘 と 高原敬武 。さらに、GTRのエンジンを積む ベルコ72D などもエントリーしている興味津々のレースだ。

また、このレースは 田中健二郎 が現役引退を宣言したレースとしても有名だ。(その後フォーミュラレースにカムバックしたが・・・)
第1ヒートで2位に入賞した田中のM12だが、どうしたことか戻って来ない。その後長いインターバルの後、グランドスタンド前の表彰台の上でマイクを持ち、引退宣言をすることとなる。ハッキリとは聞こえなかったのだが、「ゴール後、バンク下で車を止めた。体力の限界を感じた」と相撲取りの引退かと勘違いしそうなコメントだったと記憶している。


 時を同じくして、この夏、話題の邦画が封切られた。「八月の濡れた砂」だ。我がクラスでもT2君やT3君が盛んに話題にしている映画だ。私はその時はあまり興味がなかったのだが、後にこの映画を見た時は何か アラン・ドロンの出世作「太陽がいっぱい」のような感じがした記憶がある。その時代の“気だるさ”や“世の中に対するやりきれない気持ち”を何かにぶつける若者の姿が見事に描かれている映画だと感じた。また、主題歌を歌う 石川セリ は、この曲により注目されメジャーへと登りつめることとなる。
 この「富士500Km」に出場した 風戸 裕 、高原敬武 そして、田中 弘 のヤング・ジェネレーションたちも、このレースに青春をぶつけていたのだろうか?!

TOP: Rolling start !! 71' Fuji 500Kms race.
Pole McLaren M12 with T.Sakai.

  

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TOP : Hiroshi Kazato and his #88 Porsche908II.
 
TOP : #17 McLaren M12. Driven by Kenjiro Tanaka.
#88 Porsche 908II. H.Kazato did not finish.


TOP : This is a heat 2 race.
T.Sakai's M12, Hiromu Tanaka's Chevron B19 FVC and Noritake Takahara's Lola T212 FVC.
(C) Photographs by H.Makino.



1971年GCの小ネタ その1

 記念すべき富士グランチャンピオン開幕戦のチラシはこれだ!!


 
 皆さん!この記念すべきグランチャン第1戦の公式チラシのキャッチフレーズは、なんとドリフと為五郎のコラボだった!!
しかし、67年の日本グランプリの写真はどう見ても「ビッグ・マシンの激突!」の再現にはならないと思うのだが。せめて 69年日本グランプリの写真をと思うのは私だけだろうか。

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