1968年CAN-AM 最終戦「スターダスト・グランプリ」
あのスタート時の多重クラッシュは、マリオ・アンドレッティが原因だったのか?!
あの事故さえなかったらと今更ながら思ってしまう。1968年富士スピードウェイで開催された「CAN-JAP-AM WORLD CHALLENGE CUP FUJI 200 MILES(通称 日本CAN-AM)」に参戦したであろう ジム・ホールのチャパラル(シャパラルとも言う)、ブルース・マクラーレンのM8A、クリス・エモン(エイモンやアモンとも言う)のフェラーリ612などのマシンたちである・・・。 同年のCAN-AM最終戦「スターダスト・グランプリ」でいったい何が起きたのか、もう一度当時の画像(映像)を元に検証してみよう!! この多重クラッシュにより、優勝候補だったブルース・マクラーレン、チャパラルのジム・ホール、ブランニューフェラーリのデビューだったクリス・エモン、そして、ザ・ウェッジ“マッキー・スペシャル”のチャーリー・ヘイズなどがリタイヤ、ないしは補修後の再スタートに追い込まれた。 その後、チャパラルのジム・ホールは、右フロントカウルを応急修理後再スタート。そして猛追。その結果モッチェンバッハとの大クラッシュを起こしてしまう。この事故でジム・ホールは両足骨折の重症をおい結果的に選手生命を絶たれてしまう。 このようなスタート時の事故に関連した間接的な大事故を招いたスタート時のクラッシュは何が原因だったのだろうか。 |
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CAN-AMでは珍しいグリッドスタート !!
すでに予選4位のマーク・ダナヒューのスノコ・マクラーレンはエンジンストールでコース外に出されており、
真後ろにいたマリオ・アンドレッティのローラT160フォードが猛ダッシュ!!
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D.ハルムの真後ろについていたアンドレッティは、 グリーンフラックと同時にハルムのアウト側に並ぶ。 下の画像を左より右に見ていただくとこのスタートで 何が起きていたかが想像できる。 左下の画像を見ると、ハルムがアンドレッティをブロックして左に寄っているのがわかる。 分からないのがなぜ予選1位でまずまずのスタートを切ったB.マクラーレンが アンドレッティとやり合っているハルムを先に行かせたかである。 考えられるのはこの年はハルムにチャンピオンを取らせることを約束していたため、 最初からのトップに立たせることになっていたのではないのだろうか。 67年はマクラーレンがチャンピオンを取っており、順番からするとハルムの年である。 ちなみに翌年の69年はB.マクラーレンがチャンピオンになっている。 一 明らかにアンドレッティがマクラーレンに接触している。これでは流石のブルースも避けきれない。 後ろのチャパラルのホールは一瞬のことでなすすべもない。 この後大アクシデントが起こる。 その後の画像がないが下の画像はその結果である。 なんと仕掛けたアンドレッティとハルムは無傷で走り抜けている。 以上の証拠写真だけでは不十分ではあるのだが、どうもアンドレッティだけの暴走が原因だとは断言できない。 D.ハルムの強引なアウトからのインへの切り込みもB.マクラーレンとアンドレッティとの接触を誘発した原因 のようにも感じられるのだが、皆さんのご意見はどうだろうか?! |
1周目第1コーナーでのアクシデントにより、リタイヤしたC.エモンのニューフェラーリ612と フロントカウルを痛めながらもその後レースに復帰し、猛追したチャパラルのJ.ホール。 しかし、ホールに待ち受けていたのはあまりにも大きな事故だった。 模型作りには参考になった問題のL.モッチェンバッハとJ.ホールとのアクシデント。 ちなみにこの時モッチェンバッハは2位走行中であり、ホールは周回遅れだった。 その年日本で初めて行われた「ワールド・チャレンジカップ・FUJI 200マイル」通称 「日本カンナム」レースは、11月23日、富士スピードウェイ左回り4.3Kmコースで 開催された。主催はNAC(日本オートクラブ)で責任者は、塩澤進午氏である。 以前に塩澤氏の著作「日本モーターレース 創造の軌跡」特集をHP上で書かせて いただいた時に書いた「フィクション 1968年日本CAN-AM」は、塩澤氏へのプレゼントで あった。当時、J.ホールとチャパラルがこのアクシデントにより来日出来ないと分かった時の 悔しさは今も忘れないと氏は語られていたことがとても印象に残っていたからである。 実際の日本CAN-AMは、正式名CAN-JAP-AMシリーズとして継続して行く予定であった と言うが実際は財政難を理由に1969年の第2回で消滅してしまう。 ちなみに第1回日本CAN-AM時の来日ドライバーとマシンの中に、スターダスト・グランプリ でのアクシデントの原因を作った1人M.アンドレッティの乗っていたローラT160フォードが来て いたことをご存知だっただろうか。アンドレッティは諸般の事情で来日せず、代わりに インディヒーローのアル・アンサーが来日しての参戦だった。 END |