TOP : Mark Donohue moved into the lead from the start, with Peter Revson.
 
 左回り4.3Kmコースを舞台に繰り広げられた'68 日本CAN-AMは、私たちにアメリカンV8エンジンの豪快な走りを存分に教えてくれました。当時私は中学2年生の子供でしたが、テレビの前に終始釘付け状態だったことが思い出されます。
マーク・ダナヒューとピーター・レブソンのマクラーレンM6B同士の戦いはまさにシボレーとフォードの対決でした。
特にマークのスノコ・スペシャルの速さは圧倒的で、さすが同年のCAN-AM第2戦「ブリッジハンプトン」優勝車という感じでしたね!
上の写真においてマークとピーターの後ろに見える2台は、長谷見昌弘のローラT70MKIIIと鮒子田 寛のトヨタ7のようであります。
この2台は終始デッドヒートを繰り返していました。

TOP : George Follmer(#16) and his old-Lola T70/Ford with Al Anser's Lola T160/Ford
 「6」はマーク・ダナヒュー、「66」はジム・ホール、「48」ないしは「36」はダン・ガーニー、「43」はストックカーのリチャード・ペティーかジャッキー・スチュワート、「4」はブルース・マクラーレン、「7」はジョン・サーティーズとくれば「16」は?!
そうです。ジョージ・フォルマーのゼッケン番号であります。
中年親父になっても自然と番号を見るとドライバーの名前が出てくる私は異常でしょうか?!ついでに「69」と言えばもちろん我らのTETSUですが・・・。
さて、皆さん上の写真をご覧ください。実は、68年シーズン最終戦において明暗を分けた2台なんです。#16はまだまだトップ・ドライバーに成りきっていない頃のジョージ・フォルマー。後ろはインディの雄“アル・アンサー”でジョージ・フォルマーを激しくプッシュしています。両雄とも奇しくもフォードエンジンを使用していますが、アル・アンサーのローラT160はその年のCAN-AM最終戦「ラスベガス・グランプリ」においてマリオ・アンドレッティが乗って出場したマシンそのもので、スタート直後の大クラッシュのきっかけを作ったマシンでもありました。反対にジョージ・フォルマーが乗っているローラT70は、その大クラッシュの恩恵(!?)を受けて2位に入ることが出来た大変ラッキーなマシンだったのです。ところで、マリオ・アンドレッティはどうして来なかったんでしょうか?今だに理由が分かりません。

TOP: "SUNOCO SPECIAL". Driven by Mark Donohue at Fuji S.W in November 23rd 1968.

TOP : Mark and his machine gots a top time of qualify.

TOP :  Mark tooks a lead in the early of the race. 

 マーク・ダナヒュー。ロジャー・ペンスキー(昔はペンスケと言っていたのがなんとも懐かしいですが・・・)との二人三脚はまるでジム・クラークとコーリン・チャプマンのように感じてなりません。
1969年マニファクチャラーズ世界選手権におけるスノコ・ローラT70MKIIIBを駆っての劇的なデイトナ24時間レースでの勝利。強力なJ.W.ポルシェ917Kに対して、正面きって速さで対抗した1971年マニファクチャラーズ世界選手権デイトナ24時間とル・マン24時間レースにおけるスノコ・フェラーリ512Mでの活躍。そして、66年CAN-AMシリーズでのスノコ・ローラT70MKIIでのシリーズ優勝争い。
インディカーレースにおいても1972年にスノコ・スペシャル(マクラーレンM16B/オッフィー)を駆り優勝。Tran-Amシリーズでのスノコ・ジャベリンなどでの優勝も忘れる事は出来ないでしょう。
さらに、72−73年CAN-AMにおけるポルシェ917/10-30ターボでの圧倒的な強さなど数え切れないほどの優勝をペンスキー・チームと共にマーク・ダナヒューは私たちに見せつけてきました。
 ペンスキー・チームの強さの秘密は、やはりその時代時代のトップ・マシンを見定めてのマシン選択が正しかったことと、チーム内でのマシンセッティングとマシン全体をモデファイする技術力が非常に優れていたのが成功の秘訣だったのではないでしょうか。

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(C) Photograph by Satoshi Suzuki.