プリンス・チームのファクトリードライバーとして開花した 生沢 徹

TOP: #41Prince Skyline 2000GTB with Tetsu Ikuzawa and S.Shikiba's his Porsche904GTS.

 Tetsuを知ったのは 第3回日本グランプリ が最初だった。その時はあまり良い印象を持たなかったのが正直なところで、プロレスで言う ヒールであった。悪役というと誤解を招くので解説すると、あのグランプリは私の見た最初の自動車レースであったのだが、白いカレラ6を必要にブロックする黄色いプリンスがとても悪役に見えたからだった。後から思えばチーム作戦の1つで後でカレラ6の滝進太郎もインタビューで言っていたとおり「テツのブロックは上手かった」のだが、幼い当方からしたらカッコイイカレラ6の行く手を阻むTetsuは悪人に思えたのだ。その印象が変わるまではそれほど時間はかからなかった。翌年の 第4回日本グランプリ での活躍は私だけでなく多くのレースファンを魅了したのだった。その話は後で述べるとして、上記の写真は、1964年に鈴鹿で開催された 第2回日本グランプリ でのGT-II 量産ツーリングカーレースでのプリンス・スカイライン2000GTと式場壮吉駆る ポルシェ904GTSとの攻防である。わずか1周だけであったが式場のポルシェを抜いてトップでメインスタンドに戻ってきた Tetsuとスカイラインは後のスカイラインの伝説として称え伝えられているのは有名な話である。しかしながら、ゴールではTetsuのスカイラインは2位ではなく、砂子のスカイラインになぜか抜かれて3位だったことは以外に知られていない。(と思うが・・・)

TOP : Built by Takehiko Sudou.

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 1/32スケールで独自のジャンルを切り開いた須藤氏。氏は、あの伝説のモデナでの1/24スケール黄金伝説時代をリアルタイムで経験され、その経験を元に新たなスケールの世界で日本グランプリを中心とした世界を表現し続けている。
プリンス・スカイライン2000GTは、1/32スケールのLS製(ARII製)のボディをモディファイして製作されている。
また、ポルシェ904GTSは、MRRC製をリペイントし、式場ポルシェに改造されている。

 上記2台は、第2回日本グランプリにおける代表的なレーシングカーたちである。この2台、形もまるで違うが同じ年間100台以上を生産するれっきとしたスポーツカー公認車両であり、同じ土俵で戦う車である。#1のポルシェ904GTSはまるでレーシングカーの形をしているのに対し、スカイラインは突貫作業でノーズを伸ばし、グロリア直6エンジンを無理やり積み込みウェーバーを装着したスペシャルツーリングカーである。車高も車重も不利なスカイラインに当初から勝機は望めなかったが、そこはプリンス自動車、逃げはしなかった。結果敗れたとはいえ生沢 徹の活躍も相まって後のスカG伝説がここから始まったわけである。
 
 私は当時小学校4年でエイトマンや鉄人に夢中な少年であり、せいぜい親父に買ってもらう戦争物プラモデルで遊んでいたのが関の山。一般のニュースにも中々登場しない自動車レースなどは知る由もなかった。

TOP : Repainting by Takehiko Sudou.
This is ex-MRRC Porsche 904GTS


 そもそも1/32のリペイントを始めたきっかけは、2012年頃から巣鴨のヘリテージに昔の仲間が集まりだして、
久しぶりに晴れてスロット浪人から解放されて新しい拠り所を見つけた頃でしょう か。 
何か作りたい気はするけれど、ガッチリやるという気にもならないといった状況の時です。
たまたま店にあったMRRC1/32の赤いポルシェ904が目にとまり、元々旧モノグラムのボディでもあり、
値段も比較的安めであったので、軽い気持ちでシルバーに塗りかえて式場仕様にしてみようと思い立ち、
長年ため込んだ余ったデカールストックから@のゼッケンとLSの生沢スカイライン54B(今や貴重品ですが)
のキットのGT-Uのデカールを使い決勝仕様にしたくてフロントに補修テープの跡を黒いラインテープでツギハギしましたが、
これについてはモノクロながら結構資料が見つかるもので、何枚も重ねてできるだけ貼り位置や見栄えを再現してみました。


Text report by Takehiko Sudou

(C) Repainting, and Built by Takehiko Sudou.